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イッセイエッセイ

1302号 外交における現実主義と理想主義

2018年03月25日(日)

 「国家が外交・安全保障問題に取り組むとき、少なくとも二つの方法がある。一つは政治の理念や理想にもとづいて外交目標を設定し、その手段を選ぶやり方である。もう一つは、逆に当該国の地政学的、政治的、歴史的、または経済的資源――すなわち当該国のパワーをもとに、それに見合った外交目標を設け、その実現をはかるやり方である。前者のアプローチは何が望ましいかを、後者は何が可能かを軸に政策を立案することだといってもよい。リアリズムの基本的な考え方は後者に属する。」
 大略このように土山實男教授(青山学院大学)は『国際政治理論から見た日本のリアリスト――永井陽之助、高坂正堯、そして若泉敬――』の冒頭で述べる(日本国際政治学会「国際政治」172号)
 リアリズムは、たとえばモーゲンソーのいう「パワーとして定義された利益」を指針にしており、あるいは為政者にプルーデンス(打算と慎慮)による困難な合意形成の努力を求める考え方だ、とも述べる。
 およそリアリズムという以上は、そういう徹底した考え方に立っていなくてはならぬであろう。これに反対の考え方が、国際政治におけるアイディアリズム(理想主義)なのであろうが、政治史上ではたとえば国際連盟を提唱したウィルソン大統領などのように、ヒーローとして登場することはほとんどない。ノーベル平和賞の受賞者は理想主義者であるなどとも、必ず断定する訳にもゆかないだろう。平和主義と理想主義とはまた思考の次元も違うであろうからだ。
 寺島実郎氏は近著『シルバー・デモクラシー』(2017年 岩波新書)において、「団塊の世代の失敗」は民主党政権の失敗によく現われているとして、次のように述べる。
 「団塊の世代の特色であり、この世代を先頭とする戦後日本人が身につけた強靭な価値基準を持たない者の危うい変容性が、この政権の迷走の要因であった。タテマエとしての理想主義への傾斜、そして要領のよい現実主義への反転、つまり、入口の論議ではたとえば『故郷(ふるさと)は地球村』『コンクリートから人へ』といった美しいキャッチコピーが好きで、複雑で厳しい現実に直面するとあえなく変容する。このことは、沖縄基地問題から原子力発電所の問題におけるまで、民主党政権のあきれるほどの無責任な変容を我々は目撃することになった。」(第一章13頁)
 ここには政治における理想主義と現実主義についての最近われわれが目撃した失敗例が示されている。わざわざ理想と現実を区分して論ずるほどでもないところに著者の落胆があるといえるのだろう。
 同じく寺島実郎氏の著書『ひとはなぜ戦争をするのか?脳力のレッスンⅤ(2018年1月)所収のトランプ政権発足二か月後の時点における次のような論評を目にするとき、読者は何を感じるか。
 そこには著者が期待する国際政治の場での知性主義の構築、進歩や理想の探求という視点が見られ、国際政治のリーダーによる世界像を逆さまにする言動や、価値倒錯の時代にさせたりする動きを容認できないとする意図が感じられる。
 「だが、価値座標混乱の時代に惑わされるべきではない。人類史を静かに考察するならば、たとえば近現代史における民主主義の歴史を正視すれば、歴史は抑圧や差別などの一時の熱狂を克服し、長い目では必ず条理の側に動くのである」(「トランプ政権の本質―正対する日本の構想」2017年 同書29頁から)
 一方で、トランプ政権も歴代の米国政権と同様、尖閣列島の施政権は日本にあることを認めても、領有権が日本に帰属することまでをコミットはしていない、また一つの中国論への理解を示している米国の態度を冷静に見よと述べる。
 このことに加え、寺島氏がさらに次のように述べるとき、理想主義と理念の信頼を背景に現実主義的視点を用意している。
 「日中双方への配慮を並立させること、つまり日中の対立を前提に自国の影響力を最大化する戦略が、トランプ政権のみならず米国のアジア戦略の基本であり続けており、この分断統治の論理を超えていくことが東アジアの課題なのである。・・・日本人は冷静な思考を取り戻すべきであろう。・・・尖閣についても、「同盟責任を果たす」と言っているのであり、「米中戦争は避けたい」という本音の中での同盟責任だということを冷徹に認識する必要がある。」(同論文39頁)
 この尖閣問題に関しては、集団的自衛権の枠組の下で米国が中日戦争に巻き込まれる懸念から、むしろ日本を迷惑な同盟国であるという本音を抱いている可能性を述べる。(「強靭なリベラルの探求」2014年 同書128頁)
 では日米間の確かなプログラムとは何か、この点について次のように提唱しておられる。
 「日本が『米国周辺国』にすぎないのか否か、アジアの国々は静かに見つめている。まず基本的な構えとして、新しい米国大統領に対し、日本がアジアに平和と安定をもたらす役割を果たすから安心してくれという姿勢で臨むべきである。・・・「日米で連携して中国の脅威と向き合う」という次元の外交を超えて、中・韓・露など近隣との信頼を構築していく創造的なプラグラムを語り、『分断統治』を脱したアジアの建設的まとめ役を果たす立ち位置を示すべきである」(同論文 2017年 40頁)
 「アジアから同盟国アメリカを孤立させることなく、責任ある形で関与させるのが日本の役割となるであろう。ペリー来航から164年の日米関係を振り返るならば、米国の対日戦略の基調が『抑圧的寛容』に貫かれていることに気づく。圧倒的優位にあるという状況で示す懐の深い寛容、一方では優位性が失われた時に駆り立てられる恫喝と要求、つまりアメとムチのバイオリズムに翻弄され続けるのは愚かである。『ディール』を信条とするトランプ時代の米国に正対する時、日本に求められるのは揺るがぬ『自立、自尊への意志』である。米国と正対する日本としての基本要件は、信念体系としての戦後民主主義を守る覚悟である。」(同論文42頁)
 こうした考え方は、先に引用した土山實男教授が「日米同盟における『忠誠と反逆』――同盟の相剋と安全保障のディレンマ――」という別の論文(2015年「国際問題」戦後70年記念号644号 日本国際問題研究所)で主張している文脈とやや併行関係に位置づけられるかと思える。
 冒頭に紹介した「日本のリアリスト」のパンフレットでは、1960年代に登場した三人の国際政治学者の事が次のように書かれている。
 永井陽之助―国際政治と外交政治の面では、もっと徹底的に現実主義とならねばならない。日本の国防と外交の第一原理は米国を敵にまわさないこと。中国の狙いは日米体制から日本を離脱させ中立化させることにある。米国の核の傘に入る以外に道はない。
 高坂正堯――国際政治が平和の名において語られても権力闘争がなくなるわけではない。紛争原因は、国家間の善と悪の対立ではなく、国家間の不信頼、恐怖にある。安保条約と中立政策との問題について、力によって支えられない理想は幻想であり、リベラリズムは力への意志を軽視している。核時代にあってもいかに軍事力によって人間の意志を動かすかが検討されなくてはならない。目的と手段は相関関係にあり理想主義者はその理解が欠落している。政治は情熱や勘ではなく、つねに冷たい計算の上に立脚しなければならない。
 若泉敬―――「若泉には日本のパワーや国際理解のもとに外交戦略を考えた面と、とにかく沖縄を返さなければならないという信念、あるいは理想主義でストイックな面とがあった。だから若泉はリアリストというよりも信念に忠実に行動した者という言い方が当たっているところがある。」(「国際政治」第172号から抜萃)

(2018.3.18 記)