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イッセイエッセイ

1299号 一本の線

2018年03月18日(日)

 日々晴れめいて来ている。雪が身のまわりから遠ざかってゆく。気持ちからもだんだん消えてゆき、普通の物の景色が具体化する。
 今日の地元紙(県民福井)の一面には、米朝首脳会談へ、という日本政府から見ると恐らくやや突然感のあるであろうニュースが報じられている。また同じ紙面には、大雪に耐えた勝山水菜が1カ月遅れで収穫の最盛期を迎えたと写真入りで出ている。畑はパイプで散水しているらしく遠くの背景にしか積雪は見えない。
 さらに同じ紙面に「季節の言葉」の連載コラムが載っており、次のような文章が書かれている。
 “「(つら)い」という字は、横軸を一本通すと「(さいわ)い」に変る。今の辛いは、いずれ、幸いに変る。”(東レ経営研究所主任研究員 渥美由喜(なおき)さん)

 なるほどと思って白川静博士の「常用字解」を調べる。次のように説明がある(主なところをいかに抜萃)
 「(シン)。 象形。把手のついている大きな針の形。入れ墨をするときに使用する。入れ墨をするときの痛みを辛といい、「つらい、きびしい」の意となり、その意味を味覚の上に移して「からい」の意味となる。
 「(コウ)。 象形。手枷(てかせ)の形。両手にはめる刑罰の道具である手枷の形である。幸はおそらく倖(さいわい)の意であろう。手枷だけの刑罰ですむのは僥倖(思いがけない幸せ)であり、重い刑罰を免れるというので幸せというのであろう。それで幸に「さいわい」の意味がある。
 これは古代から見たすさまじき説明である。
 両語の象形考古学から見た語源は全く異なることになる。意味するところの境遇も幸福とはほど遠いところになお在る。辛から幸への変化は一本の線によって幸せのように移るとはいっても、現代漢字の違いほどには劇的な弁証的変化とはならない。
 同新聞の他の面には、国の重要文化財に明通寺(小浜)の14世紀から17世紀までの寄進札、同じく引接寺(越前市)の鎌倉期の金銀鍍菊花文散銅水瓶が答申され、また旧内山家住宅6棟(大野)、旧水野家住宅主屋(越前町)が登録有形文化財(建造物)に答申されたと、いかにも春を迎えるような楽しい記事を報じる。
 同紙のコラム『不死鳥』には積雪が「ゼロ」となり、雪から心機一転、運動に励もうと元気をうったえる。一面の雪の世界も、一本の線のごとく解けて流れ行けば、一気に季節どおりの普段の世界に移ってゆく。

(2018.3.10 土曜日 晴れ)