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イッセイエッセイ

1246号 転回期の政治(宮澤俊義著 1936年12月 中央公論社の文庫化)

2017年07月06日(木)

 本書は、第二次大戦直前の厳しい言論統制の下で宮澤俊義が著わしたものであり、明治憲法制定以降の(執筆の時代までの)政権と政党との権力関係が描かれている。時代のため表現が時局の影響を反映していて、逆に切迫感が弱くなっている。しかし本書が、本年出版されたことは、政治思想の戦前史の見本を示すものとして有意義である。以下、脈絡に欠けてしまっているが、読後の要約ないし引用などをする。

 近代以降の立法府の原理として(宮沢俊義は根本論から始める)、国会議員はその意思決定にあたっては完全に自由・独立でなくてはならず、議員はすべて独立・平等を前提とし、自由な討論、説得によって1つの公正な意見が総合構成される。
 したがって、この原理に由来する議会制固有の反政党的な性質をもつ「イデオロギー」と、議会が諸政党を組織して政治的な活動を不可避とする現実とは、原理的に矛盾が内在することになる(129-132頁)
 こうした政治思想の原理はあるものの、しかし各国の法制史の変遷においては、国法の政党に対する当初の「敵視的」態度は、徐々に段階を経て政党に対し「無視」、「承認」、「融合」へと変化していくのである(134-136頁)。最も最近の(執筆時)融合の例としては、ヴァイマル憲法の「政党国家」がこの種類に属する(139頁)。
 「政党の勢力は選挙を支配し、議会を支配するようになった。議会外の政党と議会内のその分派との連絡はいよいよ強くなり、議会の決議はあらかじめ諸政党によって準備せられ、そこでの討論は全く空名と化するに至った。議員は国民の代表者ではなく、完全に政党の代理人となった。議員はその発言・表決においてその政党の指令に拘束せられ、その討論が無意味となると共に、その発言・表決の自由を憲法で保障することも無意味となってしまった」(137頁)
 諸外国の政党と国法との関係が、大体このように四つの段階をへて変遷してきたことを明らかにした上で、宮沢俊義は明治憲法下における、明治初期から昭和10年頃までの政府と政党との憲政史上の関係を以下のように論じる(第3章)。
 立憲政治の発足当時、大隈重信の政党内閣論が起こり、これに対抗して岩倉具視の反対論、そして(1)政府と政党との対立の時代、(2)両者の提携の時代(日清戦争以降の明治28年からの第二次伊藤内閣~)、(3)融合の時代(大正7年・原敬政友会内閣が先駆、実際には大正12年加藤高明内閣から)と分けて、具体的に論じている。
 詳細は略すが、日本史教科書の近代政治史において、「超然内閣」あるいは「憲政擁護運動」といった言葉をよく目にしたが、本来の意義に理解の及ばぬところがあったが、本章を一読した結果、その意味するところをようやく了解できた。
 さて本三章は、昭和六年の政友会内閣(犬養毅)が翌7年の五・一五事件の攻撃に遭ったところで筆をおいている(発表年は昭和10年・1935年末の「自治研究」)
 本章の結びのところは、以下のように述べているのだが、残念ながら政治論を主張しているというよりは、後退しながら時局の政治評論しているように見えてしまう(巻末の解説によると、この点について当時学生であった丸山眞男(政治学者)が宮沢俊義の態度の痛々しさを批評したと述べているが、師弟は戦後においてよく似た境遇に至る)。
 「犬養内閣の後を承けて斉藤内閣および岡田内閣が相ついで成立した。時代は再び(・・・・・)融合の時代(・・・・・)から(・・)提携の時代(・・・・・)へ入ったように見える(・・・・・・・・・・) 。この先どうなるであろうか。この場合も『歴史はくり返す(・・・・・・・)かどうか(・・・・)それを何人も予見することはできないだろう(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。」(傍点小生)
 この年の初めに恩師の美濃部達吉が天皇機関説で帝国議会で非難され、宮澤も同年3月衆議院治安維持法改正案外一件委員会の席上、牧野賤男委員が松田源治文相に対し、宮澤の講義プリントを攻撃した様子が、本書の解説(高見勝利)にのっている。なおこの解説には、リベラリズム(自由主義)、デモリベラリズム(民主政)、オートクラシイ(権威的国家、独裁政)の三者の対比表が掲げられていて(宮澤の考えによる)、分かりやすい。
 また解説には、ハンガリーの「憲法革命」を進めた保守党党首、ヴィクトル・オルバンの『反自由的デモクラシー』(政治学者のファリード・ザカーリアの用語だそうだ・1997年)を、以下のように紹介している。
 「・・・我々は、いまや西欧で採用された教義やイデオロギーと袂を分かち、それから独立を保つことによって・・・来るべき大グローバル競争を勝ち抜く共同体を形成することができる。それはリベラルなものである必要のないデモクラシー国家である。リベラルでなくても、国家はなおデモクラチックでありえるからである。・・・・社会は『他人の自由を害さない全てのことが許される』という西欧の原理で組織されるべきでなく、『他人があなたにしてもらいたくないことを他人にすべきではない』という原理によるべきだということである。・・・リベラルデモクラシーの原理に基づいて組織される社会と国家は、その組織原理の転換を図らない限り、これから先に国際競争力を維持することができない・・・ハンガリー国家は、自由を基調とする個々人の単なる集団ではなく、家族を基礎として有機的に組織されなくてはならない民族共同体である。この意味において、我々がハンガリーにおいて構築する新国家は、反自由的国家(illiberal)であり、非自由的国家(non-liberal state)である・・・」
 ここに表明されている「民主政治」の概念は、現在日本の政治情勢を考える際に、さまざま批判的な参考資料を提供してくれる。
 ロバート・A・ダール(1915-2014)は「ポリアーキー」(1971年)という用語(概念)を用いて、実際存在するところの比較的民主化された体制について、「参加」と「自由」の指標から、一国の体制がより抑制的体制にならないようにするためにどういう視点から評価したらよいかを論じているが、このハンガリーの「民主制」を分析する方法論として役立つのではないだろうか。
(岩波文庫2017年4月、解説=高見勝利)

(2017.6.25 記)