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イッセイエッセイ

1240号 恩寵(grace)

2017年06月18日(日)

 『重力と恩寵』という本の頁を偶然に数ヶ所めくって、目に止った文章、それは自分がかつて聖書の中で読んだ憶えのある言葉であった。それが聖書のどこに書いてあったのか二、三度調べたのだが、探しても見つからずわからずじまいになった以下の一文である。よくぞ偶然にも目についたと思った。(下線は小生)

 第16章(不幸)15節―「時間は暴力を振るう。これが唯一の暴力である。ほかの人間(注222)があなたに帯をしめさせ、あなたの行きたくないところへあなたを連れてゆくだろう。時間はわれわれを行きたくないところへ連れていく。たとえわたしに死刑宣言がくだされても、途中で時間が停まるなら、わたしが処刑されることはない。どれほど戦慄すべきできごとが起きても、われわれは時間が停まることを願い、星辰がその歩みを停めることを願うものなのか。時間の暴力は魂をひき裂く。その裂け目から永遠(注223)が入りこむ。」(文庫150頁、番号は訳注番号)。

 捜していた言葉というのは引用した文章中の下線を付した部分である。ここに幸いに訳注(注222)が付されていた。注に書かれている解説によれば、復活したキリストがペトロの殉教を示唆したとされる言葉として説明されており、「ヨハネ福音書21章18部」が出典であると調べてある。
 この部分を新約聖書に当たってみると、前後をふくめ次のように書かれていた。
 「よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」(John21-18)。
 三十年余前に新旧聖書をともかく字面だけ一読したことがある。その時に最も心に残ることになったのがこの言葉である。それはとくに「帯」という身体に結びついた名前のひびきであり、行きたい所と行きたくない所、自由と不自由など、人生の機微を象徴させており、身につまされる感じを抱いたのである。その時の浅い理解としては、若い時分は心身も丈夫であり勝手気儘にあちこち動き回って時を費やすが、老年になると思うにまかせず最後は嫌なところに引っぱられてゆく。厳しい言葉だと年相応に身につまされたからである。この一文がどこにあったのか詩篇などの旧約を捜したのだが見つからなかった。今回発見できたのは神の恩寵による僥倖か。

 シモーヌ・ヴェイユ(1909-1943年 戦時下に三四歳で夭逝)は『重力と恩寵』という本を残した女性だが、思想の分野では有名な本ときく。しかし背表紙だけを眺めて手にとったとしても、いざ読もうとまではいかない種類の本である。
 しかし今回は、新しい校訂版が世に出たので一眺すること(一読では尚ない)になった。
 訳者のあとがき、そして訳者の注釈(注153)において、―このあとがきには著者の生涯について簡単な言及がない―彼女の学生時代の師がかのアラン(エミール・シャルティエ、1868-1951年)であったということを改めて確認したのだが、ヴェイユの哲学的・時事的な知見について、アランは1950年代の記事において「同時代で並ぶものなき知性」と絶賛したものの、この『重力と恩寵』(1947年)の考え方には否定的判断をくだしたとある。
 教え子の主張するところの自己無化、欲望の否定といった抹香臭さ、転向、衰弱、挫折の問題に困惑したということらしい。社会の悪を糺し変華すべきはずのところを、苦しみに変えて感受、純化せよという主張の変化を、生前の彼女の考え方から転向していると、左翼の人びとも驚いたらしいのである。
 もっとも本書の訳者はつづけて、─「だがヴェイユは変わっていない。『重力と恩恵』で展開される言説は、革命の迷走と戦争の現実との対峙によって鍛えられた決意表明なのだ。どこまでも意志的であろうとするがゆえにすぐれてデカルト的であり、愛にみちた必読の受容を説くがゆえにストア的でもある」─といかにもこの種の本の解説らしい調子で評価している。
 本書はフランスでは雑記帳(カイエ)と呼ばれるジャンルに属するという。断章で書かれており、遺記の形のものを彼女から託されたギュスダヴ・テイボン(1903-2001年)という人が分類・編集した由来をもつそうである。

この文庫版(冨原眞弓訳 2017年 岩波文庫)は、校訂をふくめ訳注にすこぶる精力が用いられている。訳注の数は詳しくて439箇所にわたり、本文に対し三分の一の分量を占める。本文は断片的で略述の形式であるので読みにくいが、この註解の方はこれだけを読んでいっても、関連する哲学の知識も獲得でき全体がわかったような気持になる(本書の内容は略す)。

(2017.6.3 記)