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イッセイエッセイ

1220号 お母さんの中国語

2017年05月30日(火)

 今日の日経新聞の「私の履歴書」(大橋洋治・ANA相談役)の第三回には、「母の語学力、戦時の支えに」という話が出ている。
 大橋さんの父(岡山の人)は戦前、大連で貿易商の仕事をしておられたたが、敗戦に遭い二年間の抑留。母は大阪の人で見合い結婚した。
 母子の逃亡生活は苦難の道であったが、お母さんは中国語も堪能になっており、この能力がハルビンでの親子の逃亡生活を支える糧となる。
 「母は、細腕一本で私を懸命に育ててくれたように思う。
 その生活は決して豊かなものではなかったが、母のおかげで心まで貧しくならなかったと感謝している。」
 「(ソ連兵に)比べて、この地域を支配していた八路軍(中国人民解放軍の前身)の兵士たちは、皆、丁寧な若者ばかりで、怖い印象を抱くことはなかった。私たち母子を匿い、面倒を見てくれたのも父の事業が軌道に乗っていた頃、雇っていた中国人の知り合いにあたる人だった。そうした経験が私の中国への思いを今なお、強くしている。」
 「1946年秋、コロ島(現在の遼寧省・葫芦島市)から本土に引揚船が出るという情報を母がどこからか入手してきた。ここでも母の中国語が役に立ったのは言うまでもない。」、船旅は一週間も続き、船内で命尽きた人も少なくないが、母子は何とか生き延び、1946年11月18日に博多についた。
 お母さんの中国語の力が幸いしたのであろう。最近の英語学習(2年後には小学校で正式科目)の目的が何かについて、考えさせられるところがある。

(2017.4.3〈金) 記)