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イッセイエッセイ

1206号 住めばみやこ

2017年03月26日(日)

 “住めば都”というが、これは言い得て妙なことわざである。今住む所が最高とまではいわずとも、よりよい住み場所であり、たとい他の所が華やかに見えたとしても、そこに移ってまでは住みたいと思わないという、人間の目先にとらわれない知恵が表われている言葉といえる。時には住まいの場所を変え都移りをすることはありうるだろうともだ。
 それにしても、各人にとって最高な終の住処とは一体いずこにやあるらん。

(2017.1.17 記)

 「尋ね入るみやまの奥の里ぞもと 我住みなれしみやこなりけり(道元禅師)」
 なぜそのような辺鄙な越前の永平寺を曹洞宗の本拠にしたのか、との問いに対し道元禅師は歌で応える。かかる山奥の里とおっしゃるかもしれぬが、この場所こそ自分が住みなれた京なのだと応じたのだ。(「ふるさとの発想」200頁から)
 今年も一月に入って飛行機で東京を往復する機会があったが、二度とも東京快天、北陸曇天の極端な対照の空模様の中を飛行したのであった。上空から眺むる限りでは、特に房総半島上の低空景観と加賀海岸のそれと比較するならば、明と暗、温と乾、暖と寒の実に好対比の日本列島の地上風景である。
 一時間足らずのうちにこれだけの違いを一目で了解するとき、住めば都とは一体何かと思わず迷うのである。
 このような気持を抱いて都心部に車で入りながら、運転手と雑談をした。この方は北関東に住所をもち平日は都内で宿泊しながら、この仕事をしていると言う。話題がたまたまコシヒカリに及んで、お米やおいしい水の話しになった。このドライバー氏の話は本当らしいのだが、これまで自分の生まれた県でとれた米を買って食べたことがないと極端なことを言うのである。どうしてかと問えば不味いからだ、とあっさり答えた。どう不味いのかと尋ねても、ともかく不味いとおっしゃる。
 うーむ、米はまずくとも、また天気は曇っていても、それぞれに住めば都か、と手前勝手に又思ったりする。
 それにしても“住めば都”という共通した人間心理は、どこに納得できる由来が在るのであろうか。惰性か諦念か、それとも順応か愛着か。
 人間にとって最も身近な拠りどころは自分の住まいであるが、更にもっと身近な住まいがあるかといえば、それはあるのであって自分の身体のことであろう。我が身こそ生まれてこのかた世を栖むの間、逃れず離れぬ自己の住まいである。徐々に古びた器に変じてゆくけれども、さりとて王様と乞食のごとく、他人のものと取り替えたいと思うほどの気分にはならぬ我が身なりけり。よりマシな自己の住まいとしての自分の身体が常時ここにあるというのが人間の常識的な心理であろう。住めば都の道理は、身体が拡張された生き物固有の普遍的な心理のなせるわざなるや。

(2017.1.22 記)