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イッセイエッセイ

1194号 地理学はつまらないか

2017年01月09日(月)

 「地理学」は、初等教育においては歴史を教わる前に学ぶ。何がいつ起ったかよりもどこで起ったか、時間よりも場所がより重要なのであり、基本的であるからだろう。また因果関係は自然ではないから子供には難しい。以前にもこうしたことを書いたことがある。
 しかし、世の中一般はそうなっていない。社会科の学習において重要なこの地理については、余りに当り前すぎて返って忘れられ、過去の歴史の学習の方が前面に出すぎ偏重になっているきらいがある。
 この傾向は学校の外において更に極端である。例をあげて言えば、地理は地名のことのように扱われ、たとえば世界史のシルクロードや戦国史の関ヶ原のように、せいぜい歴史物語の舞台ぐらいにしか思われていない。このことは図書館の本棚を眺めても、地理本の冊数の少なさから一目瞭然であり、地理の専門書は少なく有ったとしても旅行案内がほとんどである。地理という言葉や考え方は新聞やテレビでもほとんど用いられず、日常においてもそうである。
 学問としての地理学の問題であるが、これを解りやすくするために極言すれば、総じて地球表面の研究・知識と言えよう。したがって、地質学的に地表の下に多少向かったり、気候学的に大気上空に向かうことはあっても、地図帳の図面や車窓や機窓からの風景の中間に位置しているところの情報や学問理論なのである。なお、その対象が自然に向かったり人文に向かったりもするが。
 18世紀の哲学者カント先生は、哲学のみならず地理学の講義も行って評判が高く、本人もそれを好んだという話を読んだことがある。旅行もほとんどしていないのだろうから、もっぱら読書による媒介によって地理の深い観察をしたのだろうと驚く。
 政治的現象と地理的条件の関係を研究・応用する「地政学」という分野もある。前世紀はじめにドイツを中心に発展したのだが、歴史的な経緯もあってか評判はあまりかんばしくなかった。しかし、最近のグローバルな国際政治の環境下で、このような地政学の用語や思考法が以前よりも使われ出してきている。
 しかし、この地理の学問は決して侮る勿れ学問として低級にはあらず、社会的にも極めて重要な使命をもつ役立つ学問なのである。
 さてわが国では、目下、人口減少問題が大きな課題となっている。
 人口に関しては人口歴史学があり人口地理学の分野もある。人口問題は、地理学でとらえた場合は人文地理学の対象となり、この懸案の人口問題を解決するための糸口はさまざまありうるであろう。もちろん政治、経済、歴史からの接近も蔑ろにはできない。しかしより初歩に立ちかえってみれば、地理として捉えることがこの学問の素朴な性格からみてよいのではないか。人口という言わば自然的で奥行きの感じられない問題を解決する根本に近づけるのではないかと思うのである。
 以下の思考実験のために、テキストとして「人文地理学」(竹中克行ほか編者 ミネルヴァ書房 2010年)を用いる。これは教科書ではなく教養書・入門書にあたる本である。
 すでに述べたように、直ぐに入手できる地理学の書物はすこぶる少ない。おそらく買う人が少なく人気がないのであろう。地理書の出版は歴史書の百分の一程度であろう。しかし逆に、新しい見方やヒントあるいは知識を与えてくれる気がする。一方で地理学としての問題点をいえば、この学問の関心方向は、興味あるところにあれこれ多面的に向うのだが、ややもすると理論を十二分に深く煮詰める前に、ケーススタディに移って納得してしまう表面的な欠点がみられる(ちがうという学者がいるかもしれぬが)。
 例えば、人口地理学では人口を「人間集団の原初的表現」としてとらえ、研究の主力を人口動態を出生、死亡を中心として空間的視点から分析するところに置いており、最も基礎的な分野としている(同書11頁)
 人口増減の歴史的な変化をたどる作業も行う。例えばこの入門書では、前近代期の多産と多死がほぼ同率であった時代の高原状の出生率と死亡率の二つの曲線グラフを出発点にして、時代の経過とともに先ず死亡率がスロープ状に滑らかに先行して減少し、それから一時代遅れて出生率が急激に減少し、X軸すれすれに「少産少死」の状態で両者が収斂する。このW・トンプソン(米)の提示した「人口転換モデル」が紹介されている(15―16頁)。いかにも地理学のパターンらしく、モデル化し単純でわかりやすい。
 また人口移動の分野のテーマでは、この問題が就学、就業、あるいは所得、生活水準など「地域格差」と関係するという。その通りだろう。人口移動が起り始めると、緊密な人口移動を媒介に農村と都市間のように結び会う地域つまり「人口移動圏」が生じるという。一国の中心と周辺間で人口移動の卓越した趨勢が見られ、農村と都市の「人口移動転換」が起こるという枠組みを示す。これもその通りである。そして日本の「多産多死世代」のライフイベントがつくった社会的な風景として、「大都市圏郊外」があり、人口移動によってそれ以前の人口再生産の姿に対して歪みを生じさせたとする(20―23頁)
 応用地理学ないし行政地理学という分野もあり、国家が国内の「地域的経済格差」をどう解消すべきかということに関する理論がその一つである。
 アームストロング/テイラー(1998)という地理学者たちは、長期間にわたって国民経済レベルで生じる地域的経済格差については、これを縮小すべき理由として次のようなことを挙げると紹介している。
 ①生活水準の地域格差は人々の不満、憤りをひき起すおそれがある(地域間対立の激化、分離独立運動の発生など)、②もし失業者の多い地域を減らすことができれば、国全体がより豊かになることができる、③地域格差は、成長地域の社会資本に対する超過需要を発生させることによって、過大な経済コストをもたらす危険がある、④労働に対する超過需要についての地域格差を縮小させることができれば、インフレ圧力が軽減される(244頁)
 以上の説明はいかにも教科書的であり、時代が変化している今日でも応用できるほど目新しい理論かどうかはわからない。一種の原理的な説明といえるだろう。
 なお日本の1960年代の初頭には、成長地域の三大都市圏において労働力の超過需要が発生し、年間60万人を超える地方圏からの社会移動が生じ、人口急増地域では住宅、交通、小学校など生活基盤のコスト増、逆に地方圏とくに国土縁辺部では過疎問題が生じた、という周知の事実を報告している(244頁)
 こうした当り前の当然的な「人口地理学」の知識を土台に、ここからいかなるヒントを得て、現代の人口減少問題にアプローチしたらいいのだろうか。

(2016.9.18 記)

 余談だが、年末に北陸新幹線の敦賀以西のルートが、幸いにして小浜・京都ルートで幸い決定した。その判断の際に、京都と大阪間の地理的な丘陵田野の高低や河川流域の都市配置と境界、また滋賀・岐阜間についても同様に、五万分の1の地図(?)を取り寄せてチェックをした。改めて感じたのは、日々住んでいるすぐ近隣府県の場所についても、すこぶる地理的な知識の程度(最近では情報というかもしれない)がいいかげんであり、勘ちがいも多いことを強く感じたのである。
 これから福井県には北陸新幹線や高速道路の完成によって東西南北の4つの窓、ゲートウェイが大きく開かれ、県土全域がオープン化する。人や情報も観光や交流によって急激に活発化するであろう。その動きに迅速にそなえなければならない。その際に、人口減少時代の下で県境区域や隣接県との地理的な観察と分析は不可欠であろうと思う。
 学校や大学、行政にも専門、在野を問わず地理学者よ出でよ。

(2017.1.3 記)