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イッセイエッセイ

1192号 冬の湯、冬の星

2017年01月08日(日)

 昨日のことだが、白菜の結球を促すために未だ結球が十分でなく葉が幾分開いたままの五十株ばかりを、縄やビニールの紐で縛った。これは屈んでやらないといけないなかなか厄介な作業である。一番下の土に着いた葉から全体を手でまとめて掬い、一束の形にして強く結わうのである。このとき、手袋とジャンバーのすき間になる手首の部分が、白菜の硬いチクチクする葉先に当る。
 夜になると案の定、気触れが出てくる。風呂の中で熱い湯に手首を沈めるとひどく痒い。湯面から手をすこし上げて風呂につかっていたために両肩まで湯につからず冷えるのを感じて、あわてて首まで湯に沈めたのである。
 このとき急に想い出した。子供の頃に親から言われた言葉、風呂に入るときは風邪を引かぬよう肩までつかるようにとの注意である。その頃依頼、一度も記憶に甦ったこともないこの過去のことが頭に突然に浮び上って、不思議な気持となぜだか分らないが一種の愉快ならざる気分を感じた。
 ますます日々の出来事が、想い出しにくく何日のことか判らなくなる程なのに、突然に昔のことが有りありと浮んで来るのである。おそらく脳味噌の外側は、もう刺激に反応したり記憶として蓄積せずに劣化してむしろ外からの押えがきかなくなり、内側の方がはみ出して来てさまざまな刺激で外縁に現われ出て来るのではないかと思ったのである。
 これも風呂からの連想なのだが、子供の頃は銭湯から帰りに夜空を見上げるとき、冬の星々が空のかなたにまるで光る砂を集めたように光り輝くのを眼にしたものである。また流れ星が溶けるように消えてゆくのもよく眺められた。今は全くそういうものが眼に映ることはない。

(2016.12.25 記)