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イッセイエッセイ

1190号 雑想(19)

2016年11月28日(月)

(同一労働・同一賃金)
 同一労働・同一賃金というのは、どうやら同一企業の下での同一労働・同一賃金のことらしい。そうでも考えないと主張の理屈が通らないからだ。しかし公務員の仕事などは、同一企業とか同一地域などという枠組は意味がない。しかし、東京と地方の官庁の給与は大いに異なり、同一ではない。周りの物価に高低があり、生活費が異なるということらしいが、これ又どういうことか。
 このように、男女の給料格差とか正規・非正規の賃金水準の差は、現在いたるところで論じられるが、大都市と地方の賃金差は全く当然のことだといってよいほど論じられることはない。まるで東京と田舎の賃金差が一国の中の格差ではないかのように、当り前のこととして扱われている。

(2016.10.7 記)

(個と個、個と公)
 くるま社会がきわどく成り立っているのは、個人対個人の自己責任の原則の基本の中で、誰もが加害者になり被害者となって生死、金銭をふくめて解決しているからである。この社会に「公」や「政」といった性質のものが現われてくると俄然事態は一変する。

(2016.11月 記)

(愁い顔の騎士)
 ドン・キホーテやサンチョの荒稽な行動を笑うなかれ。なぜなら賢明と自惚れている現代の読者たちも、さまざま意味の分らぬ使命感や誘惑にとらわれ、こだわりに固まって無用なものに突き動かされて、日々大事を見捨てている。天上から眺むれば、まことにつまらぬとしか思えないような愚行劇を世間で演じているのが実際だからである。
 「ほら、よく見てごらんなさいましよ、旦那様。甲冑に身を固めた人間がいったいどこにいるというんですか。ここいらの道を歩きまわっているのは馬方や荷馬車の御者くらいなもので、おそらく生まれてこの方、兜なんて言葉は一度も耳にしたことのないような連中ばかりですよ。」(ドン・キホーテ10章)

(2016.12月 記)

(グローバルとナショナル)
 16世紀のはじめにスペイン王国(カスティーリャ・アラゴン連合王国)では、王権を維持しカトリックの伝統を異端(プロテスタント)から守るために、鎖国のような政策をとったことがある。しかし、イベリア半島という立地条件からして、地中海のオスマン・トルコ、隣接の大国のフランス、貿易相手のネーデルラント(新教国)などのような影響力をもった国々との出入がある為にうまく目的を達することはなかった。
 ひるがえって日本の徳川幕府は、ややおくれて17世紀初めに鎖国政策をとっており、世界史的に類似性がみられる。これが時代的に幕府の政策として適切であったかどうかは歴史家が評価するにしても、鎖国政策そのことはともかく実現できた。この時代に日本において可能だったのは、日本の国土の地理的条件や近隣国との交渉関係において恵まれていたので成立し得たということである。鎖国戦略を決意したことに対する賛否ではなく、200年余にわたり鎖国が実行可能となったことの希有さ不思議さの方に着目すべきである。もし維持できていなければ歴史的に評価の対象にもならない訳であるから。

(2016.12.24 記)