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1189号 2人のトーマス(人口成長の終り?)

2016年11月18日(金)

 富の分配についての長期的な変動の歴史を観察したトマ・ピケティの著書「21世紀の資本」は、富と所得、そして両者の格差の分析に重要な関心を向けている。しかし序論のところでは、どうしても経済問題の前提としての人口問題にある程度言及せざるをえなかった。したがって、ピケティは人口問題そのものを真正面から研究する関心はないので、我々がいま直面している人口問題に有効な示唆を与えてくれるものではない。しかし参考になることはいくつか書いてくれている。

 まずフランス革命直後に出版され、今日でも事あるごとに人口問題に関して引用されるトーマス・ロバート・マルサスの有名な「人口論」について論評している。ピケティはマルサス理論に特別新しい解釈は加えておらず、一般に「人口論」について定評となっているような見方を呈示している。
 「マルサス牧師が1798年にその有名な『人口論』を刊行したときには、ヤング(拙注:イギリスの農学者で仏革命直前にフランスの農村を旅行した記録を残す)よりさらに過激な結論に到達した。ヤングと同じくマルサスも、フランスから出てきた新しい政治思想をとても恐れていたので、イギリスではそれに類する蜂起は起きないと自分に言いきかせたかった。そこで貧困者への福祉支援はすべて即座に停止して、貧困者の子作りは厳しくチェックしないと、世界は人口過剰によるカオスと悲惨に向ってしまうと論じた。マルサスのとんでもなく陰気な予想を理解するには・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1790年代にヨーロッパのエリートの多くがいかに恐怖にとらわれていたかを理解しなくてはならないのだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」(ピケティ著「21世紀の資本」5―6頁)<傍点小生、以下同じ>
 しかし、マルサスの「人口論」(初版)をざっと読んだ感想としては、読み方が浅いのかもしれぬが、マルサスは彼の著書のある箇所で言ったほどには、貧困層に冷淡ないし現状を悲観的に見ていたとかいう感じはなく、むしろ著者の溌剌として元気な文体の方が目につく。これはなぜであろうか、一つの疑問である。
 1790年代の支配階級が、世を転覆せしめたフランス革命の現実を目の当たりにして、世の中なんでも有り、とんでもないことも起りうる、との恐怖感にとらえられたことは理解できるとしても、マルサスが貧困層を貧困状態のままに抑えこんで、彼らの人口も増やさないというようなことを本気で求めていたのかはやや判然としない。
 むしろ、工業製品より生活にかかわる食糧の方をもっと増やせ(考え方は今から見ると古い)、あるいは今日の米国の風潮にみられるように自己の努力で自立せよ、とだけ言っているように見える。要すれば全体として、新自由主義的な経済思想の走りではないかと思われるのだが間違いだろうか。

 さてマルサス的なモデルの影響をうけた一世代近く後、デーヴィド・リカードは更に議論を進めて、土地の「希少性」に着目し、需要と供給の法則から土地はこれからもますます価格が上昇し、国民所得の中に占める地主たちの取り分が増えるとみた。そして地代への課税の必要を主張した。
 しかし経済構造の変化と発展とともに、こうした予測は当らなかった。その当時までの経済思想家たちは、その後の世界史が教える目ざましい技術進歩や工業発展の影響力については思い及ぶ条件下にはなかったのである。
 「地代はたしかにかなり長期にわたって高止まりしたけれど、最終的には国民所得に占める農業比率が下がるにつれて、農地の価値は他の富の形態に比べて着実に下がっていった。1810年代のリカードにはその後に生じる技術進歩や工業の発展の重要性など思いもよらなかった。マルサスやヤングと同じく、人類が食料調達の必要性から完全に解放されるなどとは、想像だにしなかったのだ。」(同書6―7頁)

 ピケティの考えでは、人口増加が経済に及ぼす意味あるいは今後の人口の長期的傾向について、経済成長への寄与との関係で人口増加の役割は低下してゆくと見ている。
 「産出の成長を二つの部分に分解するのが重要だ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・人口増加と・・・・・一人当り産出の成長とに分けるのだ・・・・・・・・・・・・・・・・言い換えると・・・・・・経済成長には常に・・・・・・・・純粋に人口的な部分と・・・・・・・・・・純粋に経済的な部分があり・・・・・・・・・・・・生活水準の改善に寄与するのは後者だけなのだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・公的な論争では・・・・・・・こうした分解が忘れられていることがあまりに多い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。多くの人々は、人口増加は完全に止まってしまったと想定しているようだ。実際にはまだ止まっていない―その正反対なのだが、でもあらゆる兆候を見ると、人類はゆっくりその方向(拙注:減少方向)に向っているらしい。」(同書第2章77頁)

 もの事を超長期的に見るとき、毎年のごくわずかの率の経済成長や人口増加も、これが累積して30年の一世代、さらには100年一世紀などと累積していくとき、「累積成長の法則」とでも呼ぶべき効果によって、かなりの進歩が達成される。このことをピケティは特に注意せよと言う。
 同書に掲げる表2―2「累積成長の法則」(81頁)において、1%の成長率は30年では増加が1.35倍、100年で2.7倍、また2%の成長では30年で1.81倍、100年で7.24倍に積み上ることになる等の計算表を示して、読者にこうした概念になじむように関心を向けよと言っている。
 「世界人口は1700年から2012年まで・・・・・・・・・・・・・・平均で年にたった0.8%しか増えていない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・でもそれが三世紀にわたり続くと・・・・・・・・・・・・・・・これは世界人口が10倍以上に増えたということになる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。この世界では1700年に人口6億人だったのが、2012年には70億人以上になっている。その勢いが今後3世紀にわたり続けば、世界人口は2300年には700億人を超える。」(同書79頁)
 「1年だけ見れば、1%の増加や成長はきわめて低く、ほとんどわからない程度のものでしかない。その時点で生きている人々には何も変化を感じないだろう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そういう人々にしてみれば・・・・・・・・・・・・こんな成長は完全な停滞に思えるだろう・・・・・・・・・・・・・・・・・・来る年来る年・・・・・・前とほぼ同じとしか思えないはずだ・・・・・・・・・・・・・・・・。だから成長や増加は、かなり抽象的な概念に思え、まったく統計的な構築物でしかないと思うだろう。」(同書80頁)
 「本書の中心的な主張はまさに・・・・・・・・・・・・・資本収益率や経済成長率の・・・・・・・・・・・・一見すると小さな違いでも・・・・・・・・・・・・長期的には社会的格差の構造や力学に対し・・・・・・・・・・・・・・・・・・・強力で不安定化するような影響力をもたらせるということだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」(同書81頁)

 ピケティの「21世紀の資本」においては、長期的にみてr(資本収益率)>g(経済成長率)が成立し、所得格差を再生産しているという基本テーマが設定されている。しかしそれ以上に重要な主張は、塵も積れば山となる、亀の緩い歩みは兎の速く短い走りに優る、という主張にあると思える。
 そしてこのことを逆読みすると、戦後日本のキャッチアップ・プロセスにおける急激だった高度成長、あるいは最近までの中国や今後の新興国の状況についても、短期間の急速な成長には目を見はるものの、長続きしなければ長期的には圧倒的な変化や力とはならないことを理解すべきであろう。
 世界人口の歴史的な増加の状況をピケティはふり返って、紀元0年頃の世界人口は(彼の手持ちの最高情報によれば)2億人を超える程度であったとし、一方1700年頃の世界人口を6億人と推定していることから、0年から1700年までの世界人口成長率は確実に0.2%以下であったことが明らかであり、「ほぼまちがいなく0.1%以下だったはずだ」と小さく見立てる。
 この点をマルサスの「人口論」に寄せて考えるならば、マルサスが懸念していた貧困層の人口増が食糧不足という経済的な抑制によって押えられるとしても、現実には人口が少しずつ確実に増えていったことを知らぬうちに見過ごしていたことを意味する。とくにマルサスの時代にあっては、人口が劇的に増加してゆく特殊な時代に当っていたので、なおのこと人口は増加していった(統計も不明でよく分らぬ時代であったとはいえ)はずである。
 「一般に広く信じられているのとは裏腹に、このきわめて低い人口増のマルサス的なレジームは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・完全な人口停滞としての世界ではなかった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。人口増加はたしかにかなり小さかったし、数世代の累積人口増は、疫病や飢餓が起こると数年で相殺されてしまった。それでも(中略)・・・紀元1000年から1500年の間に5割増え、1500年から1700年にかけてさらに5割増えた。この1500年から1700年では人口増加率は年0.2%に近かった。人口増の加速はおそらくかなりゆっくりしたプロセスだったはずだし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・医学知識や衛生改善と手を取って進んだだろう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ということはつまり・・・・・・・・・きわめて緩慢だったということだ・・・・・・・・・・・・・・・。人口増加は1700年以後はかなり加速し、平均増加率は18世紀には年率0.4%、19世紀には0.6%になった。(再度中略)・・・20世紀に入るとそのプロセスは逆転した。1820―1913年の0.8%に比べると、1913―2012年の時期にヨーロッパの人口増は半減して0.4%になった。ここで見られるのは人口転換と呼ばれる現象だ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・平均余命が絶えず伸びても出生率下落を相殺できず・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・人口増加率はだんだん低い水準に戻るのだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」(同書82―83頁)
 「・・・(前略)念頭に置くべきこととして・・・・・・・・・・・・人類はちょうどこの果てしない人口増の加速時期から抜け出ようとしている・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」(同書83頁)

 ピケティは長期的に世界人口が停滞、減少に向かうという予測(たとえば国連の考え)をもっともらしい見通しであるとして、ほぼ同調しているように見え、その前提で今後の人口問題を論じている。しかしながらピケティは人口問題に役立つ展望をはっきり示すことなく、個別的な予測はさまざまの要因が重なってほとんど困難だという常識的な結論を強調している。なおここでも、出生率が一寸と変化しただけで長期に大きな人口の数値差が出ることを強調している。
 「こうした予測は当然ながらかなり不確実だ。まずは平均余命の推移にもよるし(つまり医療科学の進歩にも一部左右される)、第二に将来世代が子作りについてどんな判断をするかにもよる。平均余命が所与とすれば、出生率が人口成長率を決める。ここで念頭におくべき重要な点は・・・・・・・・・・・・・・・夫婦が持ちたがる子供の数が少し変っただけで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・社会全体にとってはすさまじい影響をもたらすということだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・人口の歴史の教訓は・・・・・・・・・こうした子作りの選択がおおむね予測不能だということだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。それは文化、経済、心理、個人的要因に影響され、各個人が自分のために選ぶ人生の目標に関連して変わってくる。こうした決断はまた、仕事と家庭とを両立させるために各国が提供する、もしくはしないと決断する各種の物質条件にも左右されるだろう。学校、託児所、性の平等などだ。こうした問題はまちがいなく21世紀の政治論争や公共政策において大きな役割を占めるようになるだろう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いま述べた全般的な構造を超えて・・・・・・・・・・・・・・・人口のパターンには無数の地域差や驚くほどの変化があり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・その多くは各国の歴史の個別特性に結びついている・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」(同書85頁)
 これまでの二世紀余り又これから30年ほどの間は、北米の出生率はヨーロッパのそれを大きく超えるのではないかとピケティは見ているが、この点が人口学者にとって大きな謎になっていると言っている。なぜなら、米国では家族向けの政策がほとんどないのも同然なのに、どうしてそうなるのだろうかという疑問なのだ。
 「この差は、北米のほうが将来に対する信頼が高いといった新世界の楽観論の反映と解釈すべきだろうか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・自分やその子供たちの未来について・・・・・・・・・・・・・・・・永遠に成長する経済を前提に考える傾向が強いのだろうか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。出生率に関連するものほど複雑な決断になると、どんな心理学的説明や文化的な説明も・・・・・・・・・・・・・・・・・事前に排除することはできない・・・・・・・・・・・・・・何でもありだ・・・・・・。実際、米国の人口増加はじわじわ低下しており、EUへの移民が増え続けたり、ヨーロッパの出生率が高まったり、ヨーロッパの平均余命が米国を引き離したりすれば、現在のトレンドは逆転することもあり得る。国連予測は確実に決まったことではないのだ。」(同86頁)
 「人口史は常に個別の選択や開発戦略、国民心理、つまり私的動機と権力動機を組み合わせたものになる。この時点では、誰一人として・・・・・・21世紀にどんな人口動態の急変が起こるかわかっていると本気で主張することはできない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」(同書87頁)
 「いま日本と中国で生まれている世代は、1990年代に生まれた世代よりもざっと3分の1ほど少ない。人口転換はおおむね完了している。個人の決断や政治等の変化は・・・・・・・・・・・・・こうしたトレンドをわずかばかり変えることはあるだろう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。たとえばわずかにマイナスの増加率(たとえば日本やドイツで見られるもの)はわずかにプラスに転じるかもしれない(フランスやスカンジナビア諸国ではそうなっている)。そうなれば重要な変化ではあるが・・・・・・・・・・たぶんそれ以上のものは・・・・・・・・・・・少なくとも今後数十年にわたり生じることはなさそうだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」(同書87―88頁)
 ピケティによると、この一世紀は歴史的にみても人口や経済成長率において二度の世界大戦の破壊と復興によって、極めて異常な増加値が発現した時代であり、例外的にr<g(資本収益率<経済成長率)となったという(クズネッツはこの時代の傾向をはじめて統計的にとらえたために、保留をおきながらも資産・所得の格差が縮小するかもしれぬと推測をしたという)。(同書15―16頁)
 これからのトレンドとしては、われわれが戦後から見慣れてきた大波がさらに押し寄せる可能性は失われて、万事が微細な変化となることが暗示されている。しかしそれが変化がしないということではなく、時間の経過とともに蓄積された変化として現われることになる。
 なおトマ・ピケティは、rの成長がgのそれを歴史事実として傾向的に上回る(金持がもっと金持になる)のはなぜか、またその限界はどこにあるかについては説明をしていない。
 結局、トーマス・マルサスもトマ・ピケティも、人口増加と貧富の問題についてよく似た認識に立っていることを示していると言えないか。

(注)「21世紀の資本」で述べられている算式
資本(K)
(ストック)/国民所得(I)(フロー)=(例)平均の国民資本(2400万円)/平均の国民所得(400万円)=600%(β)
資本所得(Ki)
資本(K)=(年間平均「資本収益率」)=土地・株式・債権・貯蓄の平均収益/平均資本=5%(実績値としての数値である)(r)
資本所得(Ki)
国民所得(I)=Ki/I=(K/I)×(Ki/K)

(恒等式である)=β×r=600%×5%=30%(α)
 したがって「国民所得に占める資本所得」(α)=資本/国民所得(β)×資本収益率()である。すなわちα=β×r
 また資本/国民所得=(β)=貯蓄率(S)/経済成長率(g)

 もう一度、言いかえるならば、国民所得=資本所得+労働所得であり(同書第1章49頁)、また資本(国富)が国民所得の600%余り6年分(β)で、資本収益率が年5%(r)として、国民所得における資本所得のシェア(α)は、30%になる。
資本所得/国民所得(α)=(資本所得/資本)

(r)×(資本/国民所得)

(β)
 つまり、(国民所得中の資本所得のシェア)=(資本収益率)×(資本所得比率)(同書第1章56頁)
 次に、資本所得比率(β)は、長期的には・・・・・、貯蓄率(s)と成長率(g)と以下の方程式で示される関係にある。
貯蓄率(s)/成長率(g)=資本所得比率(β)
(注)この式は、ハロッド・ドーマーの経済成長モデルを応用したものと、「ピケティ超入門」に解説されている。(中野明著2015年 学研パブリッシング57頁)
sが12%、gが2%ならβは600%になる。
12%/2%=600% (同書第5章173頁)
 したがって、
α=r×β=r×(s/g) → 30%=5%×(12%/2%)

国民所得に占める資本所得の率=資本収益率×(貯蓄率/経済成長率)

 

(2016.11.5 記)