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1188号 マルサス氏の「人口論」(続)

2016年11月02日(水)

(マルサスの原理と適用は結合して常識的な結論になる)
 マルサスは、人口の自然な増殖力の性質を独立させて、周辺の条件なり環境と無関係に、限りなく伸びるもの(幾何級数的に)として提示する。
 人口の変化には生理的、経済的、技術的その他さまざま内生係数が本来付着しているはずなのに、きわめて単純な形で生殖本能を独立変数にして人口問題を主張している。そのため永遠のわかりやすさがある反面、実際はたえず人口の増加に対しては天井(シーリング)がかぶさって来るので、実際の説明になると常識的になり、逆に原理がわかりにくくなるのである。
 したがって「人口論」における以下の二つの結論部分などは、それ自体きわめて当り前のことを述べているにすぎない。
 「近代ヨーロッパの主要な国々を調べると、つぎのことがわかる。牧畜民族となって以来、人口はかなり増大したとはいえ、今日でもその伸びはゆるやかなものにすぎず、二十五年ごとに倍増するどころか、二倍になるには三、四百年あるいはそれ以上を要するのである。じっさい、いくつかの国は絶対的に停滞し、その他の国は後退さえしているようである。この人口の伸びの鈍さは、男女間の性欲が弱まったことに原因があるわけではなさそうだ。男女の自然な性向はいまなお衰えることなく力強く存在しているし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・われわれがそう思う根拠も十分に・・・・・・・・・・・・・・・ある・・。(中略)さらにつぎのことも言えるだろう。家族を扶養するのがむずかしそうだと・・・・・・・・・・・・・・・・・予見できることが・・・・・・・・事前予防的な抑制として機能する・・・・・・・・・・・・・・・。下層階級の一部は子どもたちにきちんとした食べ物も世話もあたえられず、そうしたじっさいの生活苦が・・・・・・・・・人口の自然増にたいする・・・・・・・・・・・積極的な抑制として機能する・・・・・・・・・・・・・。」(第4章62頁)<傍点小生 以下同じ>
 「商人や農場経営者の息子たちは、自分で商売や農場を営んで家族を養えるようになるまでは結婚するなと言われているし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本人たちもほぼ全員その忠告にしたがう必要を認めている・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・彼らの結婚は・・・・・・おそらく人生のずいぶん先のことになるだろう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。なにしろ農場の不足はイングランドで一般的な悩みである。また、あらゆる商売で競争が激しく・・・・・・・・・・・・・全員が成功するのはありえない・・・・・・・・・・・・・・。」(同64頁)
 以上の主張はまたいくつかの用語を変えると、まるで現代のことを言っているように読める。農家をサラリーマン家族に、農場不足を正規雇用の場の不足などと読み替えれば。

 マルサスは、当時導入された救貧法(現代的に言えば生活保護)は人口の扶養手段を増やさずして貧民の人口を増やすだけのことだというのである。なおこの点については、当時はまだ十分に解明できなかったのかもしれぬが経済学的には問題があろう。なぜなら遅々として増加する人口と同程度以上に、少しずつ着実な技術進歩、域外交易の拡大、物流条件の改善などが累積的に達成されていった歴史があるからである。
 「庶民がしばしばおちいる困窮から彼らを救済するために、イングランドでは救貧法が制定された。たしかにそれは個人の不幸を多少は緩和したかもしれない。しかし、それは一般的な弊害をさらに広くばらまいてしまった。(中略)イギリスでは貧乏人のために毎年巨額の金が徴収されているにもかかわらず・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・貧乏人は・・・・あいかわらず生活に苦しんでいる・・・・・・・・・・・・・・・。この話は、ひとびとが挨拶がわりにもちだし、かならず驚いたと言ってしめくくる話題である。その金はだれかが着服していると考える者もいれば、地区委員と貧民監督官がその大部分を晩餐に着服していると考える者もいる。ともかく管理がきわめてずさんという点で全員の意見が一致する。」(第5章69頁)
 「貨幣によって貧しい人々を上に引き上げ・・・・・・・・・・・・・・・・・・以前よりもよい生活ができるようにするのは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・同じ階級の別のひとびとをその分だけ下に押し下げることによってのみ可能となる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。一見奇妙に思われるかもしれないが、私はこれが真実だと思う。」(同72頁)

 さらに以下のいくつかの主張は、きわめて常識的な社会改善を唱えているもので、一部の点をのぞいて奇妙な意見ではない。
 「まず第一に、(中略)イングランドの農場労働者に移動の自由、活動の自由を与えるだろう。彼らにいまそうした自由があるとはとても言えない。撤廃後(拙注:教区救貧法の)、彼らはもっと仕事がありそうなところ・・・・・・・・・・・・・・・・・もっと賃金が高そうなところへ・・・・・・・・・・・・・・何の妨げもなく・・・・・・・移住できるようになるだろう・・・・・・・・・・・・・労働市場は自由となり・・・・・・・・・・現在存在する種々の障害・・・・・・・・・・・すなわち・・・・賃金がその需要に応じて上昇するのをしばしば長期にわたって妨げている障害が除去されるであろう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 第二に、新しい土地の開墾に報奨金を与え、製造業よりも農業を、牧畜よりも農耕をできるかぎり奨励したい。農業の労働が商工業の労働よりも給与が低いのは同業組合や徒弟制度・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(拙注 商工業についての)のせいであるから・・・・・・・・これに関連するすべての制度を弱体化させ破壊するために・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あらゆる努力を傾けるべきである・・・・・・・・・・・・・・・。(中略)最後に、極度の困窮者のためには、州ごとにワークハウスを設立するのがよい。それは国王の全土で地方税によって維持され、どこの州民でも、また国民なら誰でも無料で入れる。ただし、食事は粗末でなければならず、働ける者は働かなければならない。そこはあらゆる難儀からまぬがれる居心地のいい施設ではなく・・・」(同84頁)
 上記について重ねて言うならば、このところは、国際貿易、流通問題、農業転換などの箇所だが、現代からみれば古い経済思想が混入している。しかし、マルサスの言うところが、現代のアメリカにおける政治経済の思想系譜に共通点の多いことがわかる。

 「人口増加にたいして・・・・・・・・・私が事前予防的な抑制および積極的な抑制と呼んだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二つの主要な抑制・・・・・・・・のほかに・・・・人間がながく住んでいる国々ではさまざまなものが加わる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すなわち・・・・女性にかんする不道徳な習慣・・・・・・・・・・・・・大きな都市・・・・・不健康な製造業・・・・・・・奢侈・・ペストのような伝染病・・・・・・・・・・そして戦争である・・・・・・・・。これらの抑制の全体は、貧困と悪徳にわけることもできるであろう。とにかく、近代ヨーロッパのすべての国で、人口の増加がゆるやかなのは、これらの抑制がその真の原因なのである。そのことは、これらの原因がいくぶんか取り除かれると、人口の相対的な急増がかならず起こることによって、十分明白である。」(同85―86頁)
 ここで「抑制」という訳語は、文脈からみて能動的な政策によるものではなく「制約がかかってしまう」というような意味と解した方がよいだろう。「事前予防的な人口抑制」(第4章)とは、国民が様々の社会的、経済的理由で生活苦から結婚や出産をひかえることであることが例示から読みとれる。また「人口の積極的抑制」の方はやや文意不明だが、当時の「救貧法」がわざわざ専制的な法令を用いて、かえって人口増をさまたげている結果を指しているもののようだ。

(マルサスの主張に現代的意味をさがす)
 「こうした事実を見れば、人口は、貧困および悪徳という二つの主要な抑制が取り除かれる程度にぴったり比例して、増加する。そして、人口増加の速さは・・・・・・・・民衆の幸福と純真を判断するうえでの・・・・・・・・・・・・・・・・・最適の基準である・・・・・・・・。あるひとびとは商売のためにどうしても都会に出ざるをえないが、都会の不道徳に染まるのは一種の貧困と考えねばならない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・また・・家族を養いきれないという・・・・・・・・・・・・思いから・・・・結婚をあきらめる気持が少しでもわいたら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それもやはり一種の貧困と考えてよいだろう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・要するに・・・・貧困と悪行のいずれにも属さない人口抑制があるとは考えにくい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」(第6章91―92頁)
 マルサスの「人口論」において、現在のわれわれに最も参考になるのは、先程の人口増加の原理と食糧問題の荒っぽい定式化のところではなく、まさに上記に述べている大都市問題や貧困の観察のところではなかろうか。
 マルサスは、人口の自然的上昇の傾向に対し、この世では人為的、経済的な重力が絶えず一見みえない形でかかり、その状態に対し民衆がいかに逆らって貧困から脱却し、人口増が可能となるかを考察しようとしていたと読める。
 しかし、マルサスの主張は、貧困層に対しては冷淡な理論に響いたようである。本書の解説においてもそのような論調に立っている。しかしなぜかマルサスの口調は明るく響くため、この点が単なる暗い悲観論者ではないというように感じるのかもしれない(学問的な研究があるや否や)。

 さて現代の問題に戻ってみると、上記箇所の主張は客観的に幸せといわれる地域からなぜ人が流出して人口減となるのかの問題をわれわれに提起している。
 わが国において、人口の自然増の低いままの地域(大都市)に人口が流入して社会増がもたらされており、これは一種の貧困現象と言える。また個人の所得の多少の差をとわずひろく結婚をあきらめている状態こそ現代版の貧困化とも言える。こういう意味のことがマルサスの主張であり現代を告発しているように読めてしまう。
 「北アメリカ植民地でブリテン移民が最初の少人数からものすごく急増したことはともかくとして、われわれはここでひとつ問いたい。なぜ同じ時期にグレート・ブリテンでは同じような人口増大が生じなかったのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・その主要かつ明瞭な・・・・・・・・・原因は・・・空間と食物の不足・・・・・・・・いいかえれば貧困である・・・・・・・・・・・。そして貧困は悪徳よりもはるかに強力な人口抑制の原因である。そのことは歴史の古い国でも・・・・・・・・・・・・・戦争や疫病や自然災害からは急速に立ち直って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いることから・・・・・・十分明白だろう・・・・・・・。それらの国は、しばらくのあいだ、いわばまっさらの状態となり、その後はつねに期待を裏切らない。住民の勤労が恐怖や専制によってくじけたりしない限り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・生活物資は減少した人口の必要を満たす以上にすぐさま増大するであろう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。そして、その当然の結果として、おそらくそれまで停滞していた人口もただちに増加に転ずるだろう。」(同92―93頁)
 マルサスの主張はやや混乱しているが、当時、戦場として荒廃した後のフランダース地方の急速な復興、ルイ十四世によって略奪にあったライン川上流のプファルツ領民の元気回復、ロンドンのペスト(1666年)からの回復、リスボンやリマの震災復興も十数年で達成したことを述べ、災害というものは、民衆を苦しめる暴政、圧政、農業圧迫のような悪影響を与えることはなく、住民の勤労精神が消えない限り人口は復活すると述べている。

(マルサスはしかし人口を政策的に抑制すべきと考えていた)
 しかしマルサスは、「人口が食糧以上に増加するのを防ぐ方法」が必要、というような考え(思い込みでもある)をもっていたようだ(第7章96頁)
 そう言いながらも一方で、「結婚の抑制その結果生じる悪習、戦争、奢侈、大都市で静かに進行している人口減少、そして過密住宅、多くの貧乏人の食糧不足、こういうものが合わさって人口が食糧以上に増えるのを抑制している」(同104頁)とも言っている。
 これらの主張は一種の自己撞着になっている。
 マルサスの結論としては結局、人口は食糧以上に増えないのであるから人口増大を心配することはないということになるはずだが、「人口論」には生活条件をよくして人口が増えるのは良いことだとする表現があちこちに見られ、矛盾なのである。
 「人口を増やすべしという声は、そこらじゅうで聞かれる。一方、私は人口の増加傾向はきわめて大きいと述べてきた。もし、それが正しいとしたら、人口増加がしきりに求められているときに人口増加が起きないのは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・不思議に見えるかもしれない・・・・・・・・・・・・・。この現実の真の理由は、人口増大の要求が、その人口を養うのに必要な資源を準備せずになされていることにある。まず耕作を促進して農業労働の需要を高めよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それによって国の食糧生産を・・・・・・・・・・・・・増やせ・・・そして労働者の生活を改善せよ・・・・・・・・・・・・・・そうすれば・・・・・人口の増加がそれに比例して起こることには・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何の心配もいらない・・・・・・・・・これ以外の方法によって目的を達成しようとするのは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・有害であり・・・・・残酷であり・・・・・暴虐である・・・・・。したがって、いちおう自由がある国では成功しない。」(同108―109頁)
 「人口増加を無理に進めて、賃金を下げ、それによってまた陸海軍費を下げ、そして国外向けの製品コストを下げることは、国の支配階級と金持たちの利益であると思われる。ところが、この種の企ては慈善という欺瞞的な外見を装ったりするので、庶民は本気で歓迎しそうになる。まさにそういうときこそ、貧乏人の味方は、この種の企てのすべてを注意深く監視し、力のかぎりそれに抵抗すべきである。」(同109頁)
 「国の幸福度は、けっしてその国の貧富や、国の新旧や、人口密度に依存するのではない。それは食糧増産の速度に依存する。」(同111頁)
 「二つの国があって、それぞれ年々の土地と労働の生産物は、その交換価値がまったく同じ速度で増加している場合を考えてみよう。ただし、一方は農業を主とする国、他方は商業を主とする国だとする。さて、労働の賃金にあてられる資金、つまり、豊かさの発展の成果は、両国間できわめて大きな差が生じるだろう。農業を主とする国では、貧乏人でも生活は豊かであり、人口も急速に増加していく。商業を主とする国では、貧乏人は国の豊かさの恩恵にほとんどあずからず、したがって人口も緩慢にしか増加しない。」(第16章235頁)
 「私がアダム・スミス博士と意見を異にするのは、ただつぎの一点のみである。すなわち、社会の収入やストックの増大はすべてそのまま労働の賃金にあてられる資金の増大につながり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・その結果・・・・かならず貧乏人の生活改善につながると彼はいう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私はそれには同意できない・・・・・・・・・・・・。豊かな国の美しい絹、木綿、レース、その他の装飾的なぜいたく品は、その国の年々の生産物の交換価値をいちじるしく増大させるが、社会の幸福の量の増大にはほとんどつながらない。」(第17章237―238頁)
 以上のことからマルサスは労働の生産性というものを、その労働にかかわる産業が一国にとって生産的か不生産的かどうかの違いと観念しているようだ。これは現代の経済学の常識からみれば問題となる。
 しかしその当時は技術革新も大したものではなく、物や人の流通の程度は限られていたであったろう。それにしても農業国と工業国が対等に取引をするとき、果して農業国の方がより「有用な富の使い方」(240頁)をし生産的であると決めつけることができるかである。つまりリカードの比較優位生産説が働かないマルサスの経済観なのである。
 本書の解説者(的場昭弘氏)によると、マルサスは、貧しい人々をつねに維持することで彼らをつねに欠乏させて飢えさせ、人口増大を阻止しようと考えたサディスティックな禁欲主義者であるとする。本書の訳者(斉藤悦則)は、マルサスを経済学を陰鬱な科学にし貧乏人を彼らの責任と見なす冷酷な学者の代表と思いこんでいたが、よく読むと逆の明るい印象をもつとやや反対のことを述べている。
 このようにマルサスに対しては専門家も異なった読み方をしている。

 

(2016.10.14 記)

(マルサスは自分の描く光景が暗いと述べている)
 それにしてもどうしてマルサスが悲観論の主張をしたとみられるのか、それでもたえず人口原理を述べた経済学者として引用されているのはなぜかの問題に戻る。
 「人口論」をずっと読んでみたところ、心あたりとなるような次のような箇所があった。おそらくこれらの部分の印象から、「人口論」の読み方に一定のバイアスがかかっているかもしれない。「人口論」は人口をあれこれ論じているのではあるが、それ以上に根本のところでマルサスは人間や社会の改善が本当にありうるかという点について懐疑的なのである。
 「さて、人口はつねに生活物資の水準におしとどめられる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これは明白な真理であり・・・・・・・・・・・多くの論者が指摘していることでもある・・・・・・・・・・・・・・・・・・しかし・・・私の知るかぎり・・・・・・・人口をこの水準にとどめる方法・・・・・・・・・・・・・・については・・・・・誰も特別に研究していない・・・・・・・・・・・・。そして、私が思うに、この方法についての見解こそが、将来における社会の大きな改善にとって、もっとも厄介な障害となるのである。この興味深いテーマをめぐる議論に、私はひたすら真理を愛する者として、また特定の集団や思想に対していかなる偏見も持たぬ者として関わる。そのことを読者に理解してもらいたい。私は将来における社会の改善を説くあれこれの論文を読むとき、最初からそれを夢物語ときめつけたりしなかった。自分にとって望ましいものは根拠がなくても信じたり、自分にとって不快なものは証拠があっても拒否するような態度を私はとらない。」(序文20―21頁)
 「人間の生活にかんして本書が描く光景は・・・・・・・・・・・・・・・・・・たしかに暗い・・・・・・しかし・・・その暗さは著者のまなざしの・・・・・・・・・・・・・ゆがみや・・・・生来の不機嫌な気質によるものではなく・・・・・・・・・・・・・・・・・・まさしく現実をそのまま描けばこうなるとの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・確信に由来する・・・・・・・。」(同21頁)
 「私は、人類がこれ以上成長しないとはけっして思わないけれども・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いずれの国でも下層階級は・・・・・・・・・・・・欠乏や労苦から解放されず・・・・・・・・・・・・したがって・・・・・知性を向上させるゆとりも得られないだろう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私が本書の眼目として・・・・・・・・・・強く主張したいのはその点である・・・・・・・・・・・・・・・。」(第11章163頁)
 「社会の大きな改善の前途には大きな障害があり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それはとても乗り越えられそうにない性質の・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ものである・・・・・そう考えると・・・・・・たしかにわれわれは・・・・・・・・・はなはだ意気消沈してしまう・・・・・・・・・・・・・。人類が生存手段以上に増大してしまうという不断の傾向をもつことは、生きた自然の一般法則のひとつである。この法則が変るとは期待できるはずもない。この問題のむずかしさを考えると・・・・・・・・・・・・・・・人類の改善のために・・・・・・・・・気高い努力を払っているひとびともきっと落胆するにちがいない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。しかし、この問題を軽視したり、後景に追いやったりするのは何の益ももたらさないことは明白だ。というより、それはむしろ逆にきわめて有害である。」(第17章249頁)

(2016.10.30 記)