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1187号 マルサス氏の「人口論」(An Essay on the Principle of Population 1798)

2016年11月02日(水)

(マルサスの「人口論」はさまざまに解釈することができる)
 人口増と食糧生産の不均衡から生じる有名な経済学の命題―「人口は等比級数的に増加するが、食糧は等差級数的にしか増えない」を唱えた19世紀のイギリスの古典派経済学者・マルサス(1766―1834年)の「人口論」は、やや奇妙なところもあるが、原理としてはシンプルにして分かりやすい主張であり究極的に正しく響く。そのためかマルサスの主張は、賛否半ばするなかでいつの時代にもとり上げられてきた。
 たとうれば、地球温暖化の議論を盛んにやっている中で、地球はだんだん冷却化していくことが確かなのだ、と言っているようなところがマルサスにはあるのである。

 「人口が増える力は、土地が人間の食糧を生産する力よりもはるかに大きい。人口は、何の抑制もなければ等比級数的に増加する。生活物資は等差級数的にしか増加しない。」(下掲の「人口論」30頁)
 しかしこの有名な主張を、人口は無条件に勝手にどんどん増えるが食糧の方はゆっくりとしか増えないとだけ言っていると表面的に理解してはならないだろう。じっさいにも「人口論」では、単純にそのようなことを言っている訳ではないのである。
 人口の自然の増加力は、もし経済的な抑制力(その当時はもっぱら食糧の伸びの制約)が働かないとしたなら、それを上回って拡大してしまう、と言っているにすぎない。したがって、人口の経済的な支持力が弱ければ、これによって人口増は現実として抑制されるだろうことを含意している。
 しかも元に戻って、この定式の条件部分をはずしてみると、人口が生理的に固有に持つ自然に増えるという性質と、食糧が土地に対し労働を投入してもなかなか増えないという性質、この両者の相違を、マルサスが永遠の真理のごとく端的に定式化し対比させたところに古典的命題たるゆえんがあるのだろう。
 さらにこの「人口論」を現代に意訳して応用するならば、人口は諸条件が整っていれば順調に増加する傾向にあるはずなのだが、現実には衣食住や教育・医療・介護など生活水準や安心感に係わる条件が政治的・経済的な制約をうけて十分には達成されないので、人口の増加は結果として抑制されるという定式になる。

                                     (マルサス「人口論」斉藤悦則訳 光文社・古典新訳文庫 2011年から)

(2016.10.13 記)

(マルサスは理想主義や幸福の拡大には懐疑的である)
 マルサスは、社会の完成可能性に対して「人口の増加と土地の生産力の間には自然の不均衡」があり、両者は「結果的に均衡」するように大法則によって保たれるとした。
 そして以下に述べるように、当時台頭してきた理想社会の実現可能性に対してははなはだ懐疑的であった。
 「生存の困難が人口増加をたえず強力に抑制する・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・のである。この困難は人類のある部分にふりかからざるを得ず、そして必然的にそれは人数の多い部分にきびしくのしかかる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」(第一章31頁)<傍点小生 以下同じ>
 「どんなに平等な幻想をいだいても、どんなに農業の管理を徹底しても、自然の法則の圧力からは一世紀の間すら免れられまい。すべての人間が安楽に幸福に、そしてのどかに暮らすことができ、自分や家族の生存手段にかんする不安を少しも覚えないような社会、そういう社会がありうるとする考え方に対して、これは決定的な反証になると思われる。したがって、そうした前提が正しいならば、人類全体の完成可能性に反対する主張のほうが絶対に正しい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」(同章32頁)
 これはマルサスの同時代の啓蒙思想家であったコンドルセや無政府主義の先駆といわれるゴドウィンが夢想したような貧困なき社会、未来社会の可能性などの理想主義に対する批判でもあった。
 そのため「人口論」は、一時代後のカール・マルクスや社会主義者達から厳しい反駁の標的になった。カール・マルクスはマルサスの人口論を「悲観主義」、「フランス革命の解毒剤としてイギリスがつくりだした刺客」として非難している(的場昭弘氏の巻末解説から)。
 マルサスはいつもステレオタイプでとらえられてきたのだが、しかし「人口論」を一読した印象としては、その主張するところに格別悲観的には受けとめられない明るさがみられる。ユートピアの終末論に立っていたマルクスの論調のほうが、むしろ若々しさがなく明るくもない。
 むしろマルサスは、理性万能主義、理想主義に対して簡明なアンチテーゼを示して、19世紀当時の進歩思想の熱狂振りに冷水をさしたのではないかと思うのである。要すれば、マルサス主義は、最近の「新自由主義」の考え方に近いということになるのであろうか。そしてどちらの理論が歴史に勝利しているのかの判断は、意外と簡単ではないのである。

(マルサスは人口と食糧が実際において互いに均衡する点を強調している)
 マルサスが人口増と生産力(当時は食糧)が結局において均衡してしまうことを主張している部分を、以下に抜すいする。
 「純朴な気風が支配し、生活物資がとても豊かなので社会のどの階層にも家族扶養の面で不安のない国、つまり万民がかなり平等で徳性も高い国では・・・・・・・・・・・・・・・・・人口の増加力は抑制されず放任されるので・・・・・・・・・・・・・・・・・・・明らかに人類はこれまで知られている増加率をはるかに上回って増大してゆくであろう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・アメリカ合衆国が好例だ・・・・・・・・・・・。(下略)」(第二章34頁)
 「大量の人間が海外に流出するのは、彼らが捨て去る国になんらかの不幸があるからに違いない。家族、縁者、友人、そして故郷を離れて、行ったこともない異国に移り住もうとするのは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ほとんどの場合・・・・・・・いま住んでいる場所によほど強い不安の原因があるからか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もしくは移住先でよほど大きな利益が得られると思うからだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」(同章37頁)
 「困窮の時期においては・・・・・・・・・・結婚することへのためらいと・・・・・・・・・・・・・家族を養うことのむずかしさがかなり高まる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ので人口の増加はストップする・・・・・・・・・・・・・・。他方、労働が安価になり、労働者の数が増え、彼らの勤労意欲もかならず増すので(中略)そうすると、ついには食糧と人口が以前の時期と同じようにつり合うようになる。そうするとまた、労働者の暮しぶりはかなり安楽になり、人口抑制はある程度ゆるむことになる。こうして、ひとびとの幸福にかんして後退運動と前進運動が同じようにくりかえされる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。ものごとの表面しか見ない者には、こうした後退と前進の振動は気づかれない。」(同章41頁)

(2016.10.14 記)