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1180号 「学びとは何か」―<探究人>になるために 今井むつみ著(岩波新書2016年3月)

2016年08月20日(土)

 以下は本書の要点を抜き出したものである。どれももっともなことであり、それを実行し、実感できる教材や教室の実践が発明され開発されなければならない。
○行間を補うために使う常識的な知識、これを心理学では「スキーマ」と呼んでいる。(19頁)
○記憶は、主観的につくりだされるものである。スキーマは入ってくる情報を自分にとって意味のあるものにし、記憶することを助ける。(24頁)
○「頭で知っているだけの知識」は「使えない知識」であり、「体で覚えた知識」は「使える知識」と深く関わっていることがわかる。(33頁)
○「生きた知識」のわかりやすい例は、各人の言語(母国語)の知識だ。(35頁)
○子どもは、耳にする言語をただ「聞き流す」のではなく、つぶさに分析して、語彙に潜むパターンを発見し、ことばの学習についてのスキーマをつくる。スキーマによって学習は加速する。
 言い換えれば、語彙の学習でもっとも大事なことは、1つひとつの単語を覚えることに留まらず、新しい単語の意味をすばやく推測し、語彙を増やしていくための「学び方の学び・・・・・・を学習すること・・・・・・・なのだ。(51頁)
○要するに、外国語の単語の意味をきちんと理解するためには、母国語とは別に、その外国語でのその概念領域の地図をゼロからつくり直さねばならないのだ。(87頁)
○人が科学や外国語を学び熟達していく上で大事なことは、誤ったスキーマを作らないことではなく、誤った知識を修正し・・・・・・・・・それとともにスキーマを・・・・・・・・・・・修正していくことだ・・・・・・・・・(93頁)
○自分が実際に身体を動かして習得しなければ、何千回、何万回観察していても、熟達者と同じような脳の働きをするようにはならない。人は他者を観察して他者から多くを学ぶ。しかし人を模倣して学ぶ時、他者の行為を分析し解釈し、心の中でその動きをなぞり、それを実際に自分の身体を使って繰り返すことが、なくてはならないことなのである。これは運動に限らない、言語の学習も同じだ。(135頁)
○私たちが実際に使うことのできる「生きた知識」は、単に事実を知っているという知識ではなく、それをどう使うかという手続きまでもいっしょになった知識なのだ。そして、その知識は、脳が学習し、知識を使うための神経ネットワークを構築することによってつくられているのである。(141頁)
○学びは受験のためではなく大事な判断力、思考力のためだと主張する人にあっても、「知識=事実」というエピステモロジー(知識についての知識)におちいっており、これは多くの人にとって非常に根強い思い込みの1つである。(146頁)
○科学的思考ができるようになるために必要なのは、むしろ、理論の検討の仕方、仮設の立て方、仮設の検討のための実験のデザインの仕方、データーの解釈の仕方、結論の導き出し方など、論理を組み立てるためのスキル・・・・・・・・・・・・・・なのである。(162頁)
○知識は常に変化をつづけている流動的なものだし、最終的な姿は誰にもわからない。最終的な姿がわからない中でシステムを構築するためには、要素を増やしつつ、それに伴ってシステムも変化させながら、成長させていくしかない。「生きた知識のシステム」を構築し、さらに新しい知識を創造していくためには、直観と批判的思考による熟慮との双方を両輪として働かせていく必要がある。
 子どもたちの場合は、完璧でなくてもよいからとにかくコミュニケーションのためのたくさんの単語を短期間で学習したい。大人の実社会でも多くの場合、非常に短い時間で判断を迫られる。そういうときには直観に頼らざるをえない。他方、自分の思考や行為を自分でモニターし、意識的に過ちを見つけようとしないと、なかなか過ちは見つからず知識の修正はされない。(167頁)
○どの分野でも多かれ少なかれ、達人たちはこのような「振り返り」をしているはずだ。直観に頼った素早い判断、素早い学習は、熟慮による修正を伴って初めて、精緻な知識のシステムへ成長していくことが可能になるのである。そして、それが直観力をさらに磨くためにも必要なことなのだ。(168頁)
○探究エピステモロジーを育てるために大事なことは、そのひとつは、もちろん自分で発見すること、自分で何かを創り出すことに喜びを見いだすことだ。しかし、それと同じくらい大事なのに忘れがちなことは、粘り強さを育てることである。(207頁)
注)「粘り強さ」はエンデュアランスとレジリエンスを併せた概念、つまり長くつづけられる「根気」と失敗してもあきらめない「打たれ強さ」の両方をいう。(208頁)
○子どものうちに鍛えなければならないのは、創造性よりもむしろ、難しいことをすぐに諦めず、同じことを繰り返すことに飽きたりせず、粘り強くつづける力なのである。(208頁)
 学校は「知識を覚える場」ではなく、知識を使う練習をし、探究する場となるべき。誤ったスキーマの修正の場(大人の大事な務め、よいレベルの設定、子供の気づき)
○子どもが自分のスキーマが誤っていることに気づき、自分で修正することができたら、その喜びと成功は、テストで
よい点をとってお小遣いをもらう比ではないはずだ。(221頁)
○探究人を育てるとは、自分たちが探究人になるしかない。これは、親でも、教師でも、子どもに関わるすべての人たち―つまり社会に生きるすべての人間―に言えることである。(224頁)

(2016.8.6 記)