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イッセイエッセイ

1179号 論語読みの

2016年08月19日(金)

 『論語』を読んでいるとき、ところどころ意味のよく通じぬ箇所に出くわすことがある。
 さほど有名な章句のところでもなくあれこれ異論があるにしても、注釈を尊重しながらそんなものかと片づけてきたものだ。大昔の中国の話なのだから、今の我々によく分らなく腑に落ちなくても仕方ないと思ったわけである。
 しかし、最近述べたように(1175号参照)、現代中国語の初歩をかじると、古い文章だからと思いながらも、伝統的な解釈に批判的な眼を向ける自分に気づく。中国語のあるべき文構成に自ずと関心が向くからであろう。
 次のことも同様にかつて書いたことがあるのだが、東洋史家の宮崎市定は歴史家の立場から『論語』のテキストの意味を追及したところ、本文の幾つかの箇所にどうしても誤謬があるにちがいないと考証しているのである。
 『論語』を教育や治政済民に役立てようとする立場だけなら、そのために通説的な理解にしたがって役立つ読み方をすればそれで足りるのである。この方法は一般読者の態度でもあり、格別おかしいものではない。しかし本当の『論語』の姿に迫ろうとするならば、そこに学問的な考証と批判姿勢が加わって当然であろう。
 『宮崎市定全集第4巻論語』(1993年 岩波書店)は、全巻が論語の新研究であり、歴史篇・考証篇及び訳解(逐語的訳注)の各篇から成る。
 そこでは『論語』の本文に誤謬がありうることを指摘し、一般のテキストなら訂正すべきものがそのまま尊重されてきた『論語』特有の背景などについて以下のような事情があったと論じている。
 聖人を崇拝するという宗教的な心情のみならず実際的な必要があった。
 (1)理由の第一は、「思想統制の便宜から」である。歴代皇帝が儒教の理想実現を公約として人民に臨んでいたこと、そのため学者たちは不変の教典として後世へ継承する義務があると信じていたという中国的事情である。
 (2)さらに一層現実的な必要として、『論語』が科挙の試験において最も重要な経書出題の原典に用いられ、テキストの固定と同一が確保されねばならなかったことである。(同巻73―74頁)
 そして著者が『論語』の字句について「何故疑うか」というきっかけになったのは、宋代からはじめて史書を読んでいくうちに宋代の史料はもちろん、さかのぼり古代のもの、また下って明・清に至っても略々どの書においても、字句の誤謬の甚だ多いことを知ったことからだと言う。
 したがって著者は、
 経典とされる『論語』の本文を疑いながら読むことについて、何等の矛盾も不安も感じていない。歴史学の立場から見れば、凡ては平等な資料であって、免るべからざる運命として、多かれ少なかれ誤謬を含むことは当然の帰結である。古典のテキストには誤謬の存在するのが原則であり、若し意味の通じない文章に出会ったときは、自己の頭脳を叱責するばかりでなく、そこに誤謬がある為ではないかと疑ってみるのである。
 という立場をとるのである。(同巻77―78頁)
 著者は代表的な誤謬とみられる章句を例示して説明を加える。(79頁以下)
 疑ってはならぬ経典の『論語』ではあっても、古来よりどうしても意味の疎通しない章句が少くとも二箇所だけは明らかだったようである。訓詁学者の博識と巧智をもっても、疑問を抑えることができなかったわけである。
 その代表例として紹介されているのは、脱文があるという疑問の箇所(衛霊公15―26)通番404である。
 「子曰。吾猶及史之闕文○○也。有馬者借人乘之。今亡矣夫。」
 子曰く、吾はお史の闕文けつぶんに及べり。馬有る者は人にして之に乗らしむ。今はきかな。
 以下代表的な注解。
 金谷治「論語」(岩波文庫)―先生がいわれた、「記録官が慎重で疑わしいことを書かずにあけておき、馬を持つ者が人に貸して乗せてやるというのが、まだわたしの若いころにはあった。いまではもうなくなってしまったよ。」(金谷訳ではこの章句が難句という説明は全くなされていない。)
 貝塚茂樹「論語」(中公文庫)―自分は、歴史に記述が欠けている部分は論及しないことにしている。馬を持っている人は自分は乗れなくても誰かに乗せてもらうことができる。記述に欠けているのは、馬を持たないのと同じではないか。」
 なお、貝塚訳の解説は、荻生徂徠先生が、この箇所は欠字ありという断りを入れた文字(闕文)を、後人が誤まって本文化した(論語の文章と誤解した)のだという「奇手」を出していると説明した上で、貝塚は字面のとおり素直に読んでみたと注解する。
 宮崎市定は、中国の文献で欠文のところは空白のままにしておく習慣は後世にもいくらもある、また、車馬を友人とシェアする話しが『論語』の公冶長篇5―26にも出ており、その当時すたれていた風習でもないとする。そしていずれにしても、文章の措辞にも個々の文字にも別にむつかしい所はないのに、全体の意味が掴めないというのは、何か誤謬があることを予想するものに外ならない」とする。(同80頁)
 そして宮崎説は、荻生徂徠の闕文ありの説をとる。そして欠文の箇所について、「例えばどんな文字だったかを想像するならば、下文を生かすために『記小善○○○』(小善を記したる?)という三字を補って見た」とする。
 そうして訳解は、「私はそれでもまだ、歴史に(小さい善事でも書きこんだ時代のあること?)を見て知っている。例えば馬を持っている人が、無い人に貸して車をひかせたというようなことまで。今はもうそんな歴史の書き方はない」と解釈する。(同372―373頁 訳解篇)
 この考え方は、上記の公冶長篇5―26(通番117)に出てくる子路が、孔子に向って応えた「日頃の志」(外出用の車馬、衣服、外套を友達に貸して、使いつぶされても惜しいと思わぬような交際をしたいという所信)に関連づけているようだ。
 かように『論語』の原文に対して、(1)誤字はないか(一字の漢字を偏、旁の二字に分けて印刷してしまうようなこと)、(2)脱字はないか、(3)衍字えんじ(間違って入った不要の文字)でないか、(4)倒錯(錯簡)はないか、の四ヶ条の疑問を提出する。(同82頁)
 さらに解釈(訓詁)上における疑問として、(1)中国学界に残る固定な不自然な読み方、(2)引用されたとみる古典古諺の考察の不足(引用句のはずのものを地文字化しすぎる傾向)、(3)語義の問題―たとえば頻出する「君子」の意味を一義に解する弊(4様ありとする)、(4)個々の章句の解釈(文意)にかかわる疑問など、があるとする。
 さて、これも以前に書いたことのある「賢賢易色」の疑問(1175号)についてであるが、この点は著者は引用文の問題としている。
 この学而篇1―7の、子夏曰く、に続く最初の四字句が後続の文句と非常に文体が違っており、措辞にアンバランスが生じていることから、四字を古典からの引用句だとして解釈を出直すべきではないかと言う。「賢々」は詩経などに出てくるオノマトペの一種であろうが、「実際の用例としてはこれまで嘗て現われたことがないので、その意味を知ることができない。反ってその下の文句、易色から逆に推察する外はないのである。」とする。(同143頁)
 そしてこういう際には、先ず言葉の原義から詮索してかかるのが筋であり、易という字は象形であり、原来は蜥蜴とかげのことである。
 とかげは色がいろいろ変化する。したがって「賢賢なるかな、とかげの色や」と読んで、その解釈はとかげの色は賢々として周囲に応じて変るものという古語があるように、人間もおかれた環境によって孝子となり、忠臣となり、親友となる、と解する。(同186頁)
 現代中国語では「賢」の音はxiánであり、鮮、顕、繊と同音である。オノマトペの音として何か関連があるかどうか?賢賢易色xián xián yì sè シェンシェン、イースゥー(昔も現代の音そのままに発声したかはわからない)。なお、蜥蜴はxī yìである。

(2016.8.15 記)