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イッセイエッセイ

1175号 『論語』における「色」のいろいろ

2016年07月31日(日)

 今日の朝刊(2016.7.16福井)の一面に「核先制不使用に日本反発」という見出しの国際記事が出ている。
 この「核先制不使用」という漢字文は、(オバマ政権が)核兵器は先制しては使用しない、ということに関しての記事である。そして、もしこの漢字6文字の語順を変えるとなると意味は通らなくなる。したがって日本語としてこれ以外の順序はありえないのであり、漢文的な文章ではあるが、文法的に正しい語順だということになるであろう。
 そこでまず漢文として具体に見てみよう。
 まず「不使用」は、この語順で正しく<使わず>を意味する。「先制」は品詞が副詞であろうから、動詞の「不使用」に前置されて<先制的に使わず>ということを意味し、「先制不使用」の語順も正しい。したがってたとえば不使用先制などとは書けない。
 最後に「核」の文字の位置づけである。「核」が主語(…は)なのか、それとも目的語(…を)なのか。まず、この語が冒頭に位置しているので主語としてとらえてみる。かくしてこの一文は、現代中国語の主語述語文としてそのまま通用してもおかしく感じない文章となる。勿論、日本語としても当然正しい。あるいは漢文漢文訓読すれば、核先制シテ使用セズと読むことになるのだろう。
 これをもし目的語とすると、中国語としては語順が逆になり正しくない。日本語としてなら目的語としても成り立つ漢字熟語の語順であり、核先制シテ使用セズの意味である。なお「核」を主語としたうえで、現代中国語には先制という語は辞書には見当らない。その代り搶先qiǎng xiānという語があるので、中国現代文では「核搶先不使用」とする方がより正確となるのであろう。
 さて現代中国語のごく初歩の文法を学んだだけでも、漢文の伝統的な読み方に対し特に詮索の気持をもたなくとも、訓読法に違法感をおぼえる場面に会う。
 これは漢文を日本語から見てどう読んだらいいのかという訓読一辺倒の考え方とは別に、新しい見方が自然に頭の中に浮かぶからであろうと思われる。先人の業績に沿ってどう読むと合理的に解読できるかという意識に対し、言語的な見方に新しい角度からの光が当る結果、少し距離感が生じるのである。
 たとえば「論語」において、南宋・朱子の新注はこうである、しかし三世紀・魏の何晏かあんの古注ではああだとか、また本邦の江戸期に下って伊藤仁斎の注解は古義的、さらに荻生徂徠は新注に対し批判的かつ激越、そもそも直読をして訓点を打たない主義であった。近時においては吉川幸次郎説はかくのごとく、貝塚茂樹博士の訳注はこれなりといった展開になる。東洋史の宮崎市定博士に至ると、論語を歴史的資料として眺めており、テキストそのものに誤脱あるべしとして批判的に読まれることになる。
 こうした様々な読み方があるにしても、これはあくまで漢文学の話しであって、現代中国語文法の見方とは次元を異にするのである(1500年余の先人の努力によって、訓読でも中国語の文法らしきものが意識はされていたのだろうけれども、その関心は訓読による作者の意図の意味把握であった)。

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 ここで話題は変るが、井波律子氏の『完訳論語』が最近出版された(岩波書店2016年6月)。中国文学の碩学であるから沢山の著書があり、これまでいくつかを読ませていただいた(279号「漢文の本ながめ」参照)。この新著は、孔子の姿や弟子たちの特徴など、文献をやや離れた当時の世界について物語られているので、読んでいるうちに自然と論語という書物の全体の構造や人物関係がわかる。例えば初めのところで次のように。
 「孔子には77人の高弟がいたとされる。なかでも、悠揚迫らぬ大いなる秀才の顔回がんかい、対照的に才気煥発、機敏な秀才の子貢しこう、直情径行の快男児の子路しろ、の三人は、孔子がとりわけ深く信頼した高弟であり、『論語』にもしばしば孔子の対話の相手として登場する。」
 「もっとも、すべての弟子が優秀というわけではなく、なかには、ユニークだけれども、呑み込みのわるい者や、逆に素っ頓狂な慌て者等もいるが、孔子は、そんな弟子たちに対しては、彼らの個性や志向を十二分に承知して柔軟に向かい合い、あるいは噛んで含めるように、あるいはビシリとたしなめながら、彼らがそれぞれ理解を深めることができるようにいざなった。こうしたやりとりもまた、無類の面白みにあふれる。」
 というように、二千五百年余りの時間を超えた論語の世界を、いささかなりとも「現在形」にして身近なものとして、面白さを感受してほしいという願いの下で、臨場感をもって悠々と注解する。

 さてここでやや漢文学に戻ってまず論語の最初の学而篇(1-6)を例にとろう。
 孔子先生が孝、弟、信、仁の実践を説いたあと、次の言葉がある。

○「行有餘力、則以學文」
  (行いて余力有らば、則ち以て文を学べ)
 この一文については「そういうふうに実践して、余力があれば、書物を読みなさい」というのが『完訳論語』の注解である。
 ところが現代中国語の文法を学習すると、その体系にそって文章を解釈してみたい気分が自然に生じる。論語をどう理解したらよいか等の関心とは別に、そういう見方が生じるのである。
 そこで「行有餘力」を文法的に「連動文」になると考えてみる(注:現代中国語では古文と文法構造は違わないようであるが、古文に対して文法構造の確定は中国人にも難しいような答えが当面返ってくる)。
 連続する二つの動詞(フレーズ)の現代的な使い方のパターンから、幾つかの種類の解釈が生じる。
 このことから「行えば余力あり」(さまざま実践したとしても余力というものが生じるのだから)、あるいは「行いて余力を有し」(実践しながら余力を見つけ)の意味にもできる。孔子の集団が技術労働の人たちではなく、ほとんど学問や問答、政治学習をしている「有閑」集団とみなすならば、実践して閑暇ができたらでは、あまり意味の通らない主張になるとしか思えないのである。つまりこの解釈のどれがよいかは、孔子集団が実践と学問の関係を究極的にどう位置づけたかの見方によることになる。しかし二つの動詞の意味が、相前後して生じたことを意味する構文とみれば、上記の伝統的な解釈になるのである。これをもし連動文の別の構文パターンと見れば、前の動作(実践)が基本となる後の動作(学問)の手段とみれば、動作の前後関係としてではなく、実質的な相関関係を述べている解釈ということになる。

 さて、学而篇の次の1-7章では、子夏しか卜商ぼくしょう)という人物が登場する。この高弟は、学而篇1-7から子張篇19-13まで20箇所にわたって名前が出ており、各所で彼の言行や人物の評価がされる。『完訳論語』は人名、語句、語注などの索引が豊富なので、これを手がかりに人物でたどったり、用語によったりして全体性をもってあちこちを論語が遊読できる。
 この索引にもとづき、子夏の出てくる場面を一覧して、この人物のことをすべて知ることになる。彼は孔子より44歳年下の年少の弟子、「文学には子游しゆう子夏しか」(先進篇11-3)と称されたように、学問(文学)にすぐれていた。しかしやや引込み思案、されど包容力がありやさしい人柄、合理的な面がある。もっとも彼の仲間たちは子游などからは批判され、身近な瑣末事には得意だが、本格的な大事に弱いと言われて、これに大反論をしている章もあるのである(19-12)。
 既述の実践と学問との関係についても、孔子同様、弟子である子夏にあっても持論があるのである。すなわち

○子張篇19-13 「(子夏曰、)仕而優則學、學而優則仕」
 (仕えてゆうなれば則ち学び、学びてゆうなれば則ち仕う)。
 この章の意味は、文体が精彩を欠くにしても、出仕しゅっしして役人になって余力があれば学問をし、また学問をして余力があれば役人になりなさい、と子夏が言ったということになる。つまり公務と学問を共存・並行させて持続せよと論じたものとして『完訳論語』は解する。しかし本章は学而篇1-6に似ているものの、現代中国語から見た場合、文法構造が異なり動詞が直接連動していないので、連動文としての文意とはならぬであろうから、結果、学而篇1-6の古注的な解釈とほぼ同じ意味に落ち着くだろう。
 かくして子夏の評価については、
 「総じて、子夏の発言には曖昧性がなく、いたって合理的にして明快である。子夏の系統が『性悪説』を唱え人為的な積み重ねによる人間の本来的性格の転換・変革を主張する荀子じゅんしに受け継がれ、さらに荀子の門下から、礼をシビアに制度化した『法』を核とする法家思想の旗手韓非子かんびし(前280?―前233)が出現したのも、納得できる展開だったといえよう。」(『完訳論語』568頁から)

 さて全てにわたって論じられないので、次に、1つの漢字をもとに論を進めてみる。ここで子夏の話と「色」という漢字が、ちょうど学而篇1-7においてクロスする。
 ここからは『論語』において「色」という文字が、全体どのような意味合いに使われているかを見てみる。なぜなら論語の最初の難読部分は、子夏が言ったというこの学而篇1-7の「易色」の意味が、古来より解釈が分かれるということらしいのである(『完訳論語』)。そしてじっさい読んでみてもそのように感じる。「色」の出てくる章は論語中に13例ある。
 現代中国語では「」は名詞であり、表情、顔つき、様子、光景、種類、色彩、容色(女性の)の意味をもつ(中日辞典・講談社)。

(1)<学而篇1-7>「賢賢易
  (けんけんとしていろに易え)
 本章はこの一文から始まる。あとに続く記述は、父母につかえ、君に事え、朋友と交わり、言いて信とあり、そうすれば学ばずと言うといえども(自分は学問をしていないといっても)学んだというべきと結ばれている。本章の出だしは、正式の学問をしていなくても、実践や行動においてすぐれた人物は、重視し高く評価すべきの意味らしい。
 さて冒頭の一文、古来よりこの子夏の発言については、様々に解釈が分かれている。
 賢者を賢者として美女のように尊重し…と解釈する井波訳『完訳論語』は、古注によっている(これは漢から六朝まで通用の解釈である―貝塚茂樹の解説から)。
 金谷治訳『論語』(岩波文庫)の注においては、例えば伊藤仁斎や荻生徂徠は「色をえ」と読んで、賢人にあったときには緊張して顔色を改めるとする説であるとし、顔師古という学者は「色をあなどり」として「易」を現代中国語的に言えば動詞として読んでいると紹介している。また王念孫という人は、「易」は「如」と同じで、子罕しかん篇9-18にある「子曰く、吾れ未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり」と同意、「易」を助詞に見立てている場合と同様なことになるだろう。
 さて現代中国語では、「易」を「改める」の意とする例があり、「移风俗」(古い習慣を改める)、「江山改」(政権が変る)。また「簡単な」の意味もあって「不解決」(容易に解決できない)、「平近人」(穏やかで親しみやすい)、「轻而挙」(たやすくできる)、「如反掌」(手のひらを反すようにたやすい)などがある。
 白川文字学の目で見ると、「易」の文字は日(陽)と「ふつ」(光が放射する形)の会意させた象形で、日(や玉)がかがやく形を示しているとする。「易」は霊力があるのであり、ものが変化する(変わる)、容易である(易しい)の両意ありとする。「不易流行」、「容易」など。
 ところで最初の「賢賢」も解釈が難しい言葉で、文字が二つ重なるものは現代中国語文法では「重ね型(重叠)」と称されている。名詞の場合はほとんど重ねては使われないが、一部の量詞的な性質をもつ単音節名詞は重ねる。たとえば人人、家家、天天、年年など、<どれも>という意味になる。これらを総合すると、「賢賢」が重ね型としてありうるとなれば(量詞的ではないので問題は残るのである。日中辞典にも一般の漢字の重ね型は目につかない)、「賢賢色を易える」つまり賢者の賢者たる様子というものは、表われ方も色々であって発現が異なるという椿説を吐かねばならないことになる。
(参考)なお、論語に用いられている「賢」の例。
<雍也篇6-11>子曰く、賢なるかなかいや。(この句は有名)
<里仁篇4-17>子曰く、けんを見てはひとしからんことを思い、不賢ふけんを見てはうちみずかかえりみる也。(この意味はわかりやすい)

(2)<為政篇2-8>「子夏問孝。子曰、難」
  (子夏しかこうを問う。子曰く、いろかたし)
 ここにも子夏が登場する。子供たる者が、父母に対する敬愛をその表情にあらわすことはもっとも難しく、孝は心に愛情があって初めてできることである。形に表すこと(顔の表情)こそがむずかしい、むしろ形(外形)として表わすこと自体が難しい…といった意味らしい。しかし、どうも不可解なところがある。白川先生の『字通』の「色」の項にも同じ説明がある。
 「色難」は上記(1)の「易色」とは語順は反対だが、そのため反対の状態を示す用法のようにも見る。そうなると(1)の解釈も今度はすなわち、賢というものは表われやすいものだの意味になる。

(3)<子罕篇9-18>「子曰、吾未見好徳如好者也」
  (子曰く、吾れいまだ徳を好むこと、いろを好むがごとくするものを見ざるなり
 美女を愛するように徳を愛するような人に未だかつてお目にかかったことがないの意。「美女と徳を対比させた大胆な発言であり、のちの頭の固い道学者には想像もつかない、すこやかなエロス性を含む発想である。」(『完訳論語』257頁)。この句についてはこのような解釈しかありえないだろうな。

(4)<郷党篇10-3>「君召使擯、勃如也」
  (きみしてひんたらしむれば、いろ勃如ぼつじょたり)
 (孔子は、)賓客の接待役を君主のお召しをうけて任命されると、緊張した顔つきをして…という訳である。孔子が緊張し畏まった様子をされていたことに、弟子たちは感心・尊敬したという解説である。
 しかしそうなのかな。むしろ孔子先生の悠々且つ謙虚、しかし溌剌と応接される様子を讃えたのではないか。
 ちなみに現代中国語では、「bìn」は捨てる、排除するの意。なお偏の異なる「bīn」は、「儐相bīn xiàng」という古い用例があり、客を迎える人、儀式の進行役の意。論語がなぜ手偏の漢字を用いているのかは不明。また現代中国語では「」の本義は旺盛、はつらつの様子を示す形容詞である。一方「勃然変色bó rán biàn sè」という言い方もあり、論語における「色」と組合せが似かよっていて、この意味としては(怒りや驚きなどで)さっと顔色が変わる様子をいう。

(5)<郷党篇10-28>「斯舉矣、翔而後集…」
  (いろをみてここがり、かけりてしかのちに集まる…)
 鳥(きじ)が人の顔色を見て(危険を感じると)飛びたち、飛びまわってからとまる…。
 この章は古来より難解不明のところありとして、朱子は上下の文章に脱落があろうと疑う(金谷治訳注)。荻生徂徠はこの冒頭の二句は何かの詩(不詳)から採ったものではないかとして、「色斯おどろきて挙がり」とする(『完訳論語』貝塚)。この後の下りは、慌て者の子路の行動の描写が次につづく(これは略)
 「いずれにせよ、孔子と子路の登場するこの章をもって、論語の前半十篇、いわゆる上篇は幕切れとなる」(『完訳論語』298頁)
 それにしても「色」の意味は色則是空のままである。

(6)<顔淵篇12-20>「…察言而觀…」
  (…たつなる者は、質直しっちょくにしてを好み、げんさっしていろおもんばかって以て人にくだる…)
 『完訳論語』は、人の言うことをよく聞いて、相手の感情をよみとりと解す。また金谷訳(岩波文庫)では人の言葉をよく考えて顔色を見ぬき、とする。
 孔子が、目立ちたがり屋の子張から問われ、「聞也者」と「達也者」、つまり評判のよい人と自然に賞賛される知識人との違いについて、答えている章からの一部である。
 この章はつづいて「取仁而行違」(…夫れぶんなる者は、いろじんを取りておこないはたが…)
 表面は誠実そうに振る舞っても、じっさいの行為は食い違っており―完訳論語』
 上べは仁らしくしているが、実行はともなわず―金谷訳
 有名な「巧言令色」と類似の主張である。

(7)<憲問篇14-38>「…其次辟…」
  (子曰く、賢者けんじゃは世をく。其の次は地を避く。其の次は色を避く、其の次は言を避く。…)
 最も賢明な者は、(乱れた)世の中全体を避ける、その次の人物は(乱れた)土地を避ける、次々の人物は(権力者の)顔色を見て避ける、更に次の人物は(権力者の)言葉を聞いて避ける…。」
 『完訳論語』では、これらは逃避主義的な発言であり「孔子の言葉とも思えない」と解説する。いかにもその通りで、賢と言わず賢者と言い、其の次は…次は…の連続は、いかにも文体が不調の感あり。それにしてもこの章での「色」は、何の色を表わすのだろうか?
 「江戸の儒学者伊藤仁斎(1627―1705)の説によれば、『論語』二十篇のうち、前半十篇(上篇)がまず整理・編纂され、後半十篇(下篇)がのちに附加されたという。この仁斎説には、前半十篇の表現が総じて、孔子の生気あふれる言葉づかいを簡潔かつストレートに伝えている感があるのに比べ、後半十篇の表現には理に落ち、やや精彩を欠くものがあることを考えあわせると、まことに鋭いものがあると思われる。」(『完訳論語』「解説」593頁)

 以下の「色」は、後篇とみられる部分にある。

(8)<季氏篇16-7>「…戒之在…」
  (孔子曰く、君子に三つの戒めあり。わかき時は、血気未だ定まらず。之をいましむることいろに在り
 この色は色欲のことであるのは、疑いのないところだろう。しかし文章が説教風であり、道徳訓の箇条書きのようなひびきがある。西洋でいえば、ソクラテスのことを想い出として残したクセノフォーンや対話篇を書いたプラトンの時代のことを、さらにローマ時代にプルタルコスが物語るような世代感があるということである。

(9)<季氏篇16-10>「…思溫…」
  (孔子曰く、君子に九思きゅうし有り。視ることはめいを思い、聽くことはそうを思い、色は温を思い…)
 問題のところは、「顔つきは穏やかでありたいと思う」ことであり、「色」は表情ということになる。

(10)<陽貨篇17-12>「子曰、厲而内荏…」
  (子曰く、いろはげしくして、うちやわらかなるは、これ小人しょうじんたとうれば…)
 顔つきはきびしいが、内心がぐにゃぐにゃと軟弱な者はの意味。
 この「色」も顔つき。このあたりはやや文章に生気あり。
 現代中国語でも「(厉)」は、激しい、厳粛である、の意味の用語である。辞書には、この論語の「nèirěn」、あるいは逆の組合せの漢字「厉色lì sè」<厳しい顔つき>、「正言厉色zhèng yán lì sè」<いかめしい言葉使いと険しい顔つき>などが用例としてある。

 次に記すのは、熟語的な別の「色」の使い方として、「色装者」、「潤色」、「顔色」の3例が論語にある。

(11)<先進篇11-21>「子曰、論篤是與、君子者乎、莊者乎」
  (子曰く、ろんあつきにくみせば、君子者くんししゃか、色莊者しきそうしゃ
 いずれにしても「議論のしかたが誠実だからというだけでは、本当にすぐれて立派な人物なのか、うわべだけのまじめな人か(わからない)」という意。ここでの「色」は表面的なものを指している。新注と古注においては、この章は前章との関連で、全体の解釈が大いに異なるらしい。文章に舌足らずの感ありとする。(『完訳論語』322頁)
 色装などという漢字は、現代日本語にはとり入れられていなし、中日辞典にもない。

(12)<憲問篇14-9>「子曰、爲命、裨諶艸創之、世叔討論之、行人子羽脩飾之、東里子産潤之」
  (子曰く、めいつくるに、裨諶ひじん、之を艸創し、世叔せいしゅく、之を討論し、行人こうじん子羽しう、之を脩飾しゅうしょくし、東里とうり子産しさん、之を潤色す
 ていの国の公文書は、四段階に分けて四人の家老が、順に草稿、検討、添削、そして最後に文飾(色づけ)を名宰相の子産が加えたので、仕上りが大変すぐれ落ち度がなかった、の意。
 「潤色」は日本語にもあり、現代中国語でも動詞として使用されている。
 这篇文章
zhè piān wén zhāng
还需润色hái xū rùn sè。(この文章はまだ手直しする必要がある。)

(13)<季氏篇16-6>「未見顏而言、謂之瞽」
  (君子にはべるに三つのあやまち有り。<…>いま顔色かおいろを見ずしてしかも言う、れをう)
 相手の顔色を見ずに発言するのは、目が見えないことと同じと言う。
 現代中国語でも「顔色yán sè」はひんぱんに使われる。意味としては、色彩、表情、ひどい目(痛い目)。書き言葉では血色の意味がある。このように「色」に「顔」が付くと漢字の意味はまぎれないものとなるが、時代が下っている語感がある。

 これ総じて白川文字学では、「色」は語源的にあまりよい意味は有していない。感情の高揚する意味にも用いられ、外形的に表われる状態を指す意味にもなっている。
 かくして「論語」における最初の疑問、「賢賢易色」の一句を、「賢を賢として色(美女)に易え」などという古典的な解釈の意味で、古代の孔子先生が本当に弟子たちに述べたかどうかは謎のままである。

(2016.7.17 記)

 論語の訓詁学もどきはここで中止して、以下、論語の中で孔子先生の面目躍如の場面を二つ記して終る。

○何んでも有りの世の中に対し、孔子の怒りかくの如し
 「孔子、季氏きしを謂う、八佾はちいつを庭に舞わす。れをしも忍ぶくんば、いずれをか忍ぶからざらん。」(八佾第3-1)
    注)「」(古語)楽舞の列のことをいう。

○野に孔子を励ます者あり
 「(封人ほうじん)出でて曰く、二三子にさんし、何ぞさまようことをうれえんや。天下の道無きや久し。天まさ夫子ふうしを以て木鐸ぼくたくす」(八佾第3-24)
    注)「封人」地方の国境守備官(関守)
 世を知る者は、高殿には居らず。人を見る者は野に在り。
 西方においても、イエスを最初に認識した異邦の人は、総督ピラトにはあらず、ローマ軍の一百卆長である。
 「イエスに向って立っていた百卒長は、このようにして(イエスが)息をひきとられたのを見て言った、
 “まことにこの人は神の子であった”」
 (マルコ15-39)

(2016.7.31 記)