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1173号 村々の距離

2016年07月10日(日)

 以前に録音をとっておいたラジオの朗読番組「お湯もござれば話もござる」という、温泉にまつわる文学作品を車中で聞いた。途中で地震が起きたというアナウンサーの声が突然入っていたので、様子からしてこの番組は1年半ほど前のものと見える。漱石の『草枕』のなみさんの話は、以前にはつまらんと思っていた。こちらの年のせいかもしれないが、改めてラジオで聞いてみて、重苦しくなくさりとて程々に意味深く、面白い話しになっていることを知って収穫であった。
 次に歌人の若山牧水が書いた『みなかみ紀行』という随筆が流れた。上州と信濃の境目の山道を牧水が友と二人で草鞋かけで踏破しながら、温泉を求め、自然を賞でつつ奥の細道風に和歌も道中で詠じる。そして地方の田舎の文学青年たちとも随所で談じ合うといった紀行文である。そしてよく酒を飲み合う場面がでてくるのだ。
 ともかくも今から百年余りも前の大正時代の話しであるから、若山牧水が投宿する旅館や民家に文学愛好の若者たちが山道を苦にせず五里も十里もいとうことなく集まって来て、夜が更けるまで歓談する時代のことなのである。現在ならば同じ距離でもマイカーで行くことすら躊躇するほどであろう。昔の日本の地方や田舎、故郷という場所は、辺鄙なところであれば山間に家が十軒か二十軒しかなく、しかも村々が互いに隔絶していた状態にあったことを教えてくれる。食糧もヒエやアワを栽培していたという描写があるから、関東の近くでも利根川の上流になれば、米の穫れない地域が当時は沢山あったことを知るのである。
 類は友、噂をすれば影、以心伝心、きょうの土曜は時間ができて、『日本随筆選集3(想い出の扉)』(岩波文庫 2016年6月)を手にとることになった。「私と酒」と題して若山牧水の小品が入っていて、酒好きの父親とその血を引いた歌人本人のお酒にまつわる想い出話しが、なかなか面白く書かれている。
 牧水は宮崎の人であり、彼の子供時代といえば明治中期の昔であろうから、場所としても時代においても「みなかみ紀行」より、さらにさかのぼる田舎の話である。
 「<…>ぶえん・・・とは刺身となるべき生魚の俗称である。海岸から五、六里、山の間に入り込んだ私の村まではそのぶえん・・・を運ぶには、夏季は必ず涼しい夜間を選んでひた走りに走って来なくては腐敗する恐れがあった。で、ぶえん・・・の事をはしり・・・とも云った。
 『繁!起けんか、今朝は好いぶえん・・・が来たど!』私が顔を洗っていると父は早速そのぶえん(・・・)を料理して、やがて深い井戸から一升徳利を引き上げる。父は夏季は一切酒を冷して飲んだ<…>」と記述されている。

 随筆の冒頭のところには、
 「土地には女すらアノ泡盛焼酎の一升をたいらげ尽してけろり・・・としている連中が多かった」
 と書いているので、ここに登場するお酒は日本酒にはあらず、九州の焼酎ということになる。牧水が先の紀行文の中で、雨中、宿の幼い子供二人に小銭をにぎらせて酒を買いにやらせるのは、日本酒の方の話だと想像する。

 
さて、この「私と酒」の話しからは、海岸と山間部の距離感、町と山との遠さ加減がよくわかる。故郷が都市とも遠くにあったばかりか、故郷同士が互いに孤立隔遠の関係にあったのである。
 なお、このぶえん・・・というのが何の由来かを調べてみたところ、「無塩」のことを指すのであり、平家物語に既にこの言葉があるようだ。こうした漢語が鄙びた田舎に残っていたということは、この言葉は彼の地に移り住んだ平家の落人の伝えるところかと想像しても面白いのである。

(2016.7.9 記)