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イッセイエッセイ

1167号 漢字と中国語(汉語)と白川文字

2016年07月04日(月)

 論語の冒頭にある「不亦説乎(またよろこばしからずや)」について。
 この文章中の、なじみの多い漢字から話をはじめる。
 「説」は、簡体字ではshuōつまり<話す>がもとの意味つまり原義であり、<说汉語shuō Hàn yǔ(中国語を話す)のように使われる。
 しかし全く別系統の用い方として、辞書の中にはyuèがあり、これはyuèに同じであって、喜ぶ、楽しいの意になると説明されている。中日辞典ではyuèの用例が全く書かれていないので、おそらく現代中国語では喜ぶの場合は、yuèを用いるのであろう。辞書では例えば悦耳的歌声yuè ěr de gē shēng(美しい歌声)と記されている。
 白川文字学では、「説」の字の作りは、巫祝ふしゅく(神に仕える人)が神に祈り訴えこれに応えて神気が降ることを、八の形(えつ)で示すとし、巫祝のこの時の心を悅ぶという。言は神への誓いのことば「とく、のべる」の意味となる。このような説明をしている。
 漢字「」はどうか。
は清末以前に使われた漢字、つまり古語であるとされる。文末に用いて疑問又は反語を表わし、口語の「ma」や「ne」に同じと辞書にある。

 
管仲知礼乎Guǎn zhòng zhī lǐ hū?(管仲は礼を知るや?)、あるいは冒頭の論語に戻って有朋自远方来不亦乐乎yǒu péng zì yuǎn fāng lái bù yì lè hū友ありイオウ パン遠方より来たる ツウ ユアン フアン ライまた、楽しからずや プー イー ル フウ)などと古典の用例が辞書に載っている(これを見ると簡体字で気分が出ない上に、ピンインの音を読むとさらに気分から遠くなる)。「乎」は白川『常用漢字』には、「呼」のところに序での解説があり、乎は鳥を追ったり人を呼ぶときの鳴子板の形、もとは神を呼ぶときに使ったもの、そのため乎は「よぶ、さけぶ」の意味となり、これが助詞の「や、を、に」などに用いられるようになったため、別に「呼」の字が作られ「よぶ」の意味に使われたとある。

 では「」はどうか。この字は見かけとはことなり、「乎」よりは多く用いられている。しかし書き言葉に使われると説明がある。反之亦然fǎn zhī yì rán(逆もまたしかり)、人云亦云rén yún yì yún(人がこう言えば自分もこう言う/定見のないさま)を表現する。なお亦の文字は、白川文字学では大の字の両わきの下に線を加えた形であり、えき(わき、また)を表わすとする。
 さらに昔の習った漢文の想い出がよみがえって「而」の字はどうか。
 しかしこの字は、日本語では全くといってよいほど使われないが、現代中国語では堂々と繁用されていて、並列や継起を表す接続語である。
 例えば、取而代之qǔ ér dài zhī(これに取って代る)が辞書にみえる。
 白川文字学で「而」は頭髪を切った人面を示し、雨乞いの巫祝の姿とする。需とは雨をつ、儒はその系統の巫祝が出自(「字解」から)。なお現在の用例はすべて仮借であるとする。
 またyuēは文語としては「言う」。
诗云子曰shī yún zǐ yuē(詩経や論語に曰く)、口語では名之曰讲习所míng zhī yuē jiǎng xí suǒ(名づけて講習所という)、子曰zǐ yuē学而時習之xué ér shí xí zhī不亦説乎bú yì yuè hū子のたまわくツー ユエ学びて時にこれを習うシユエ アルー シイー シ チーまた、よろこばしからずやプー イ ユエ フーとなる。
 なお、「之」や「不」は象形として由来はあるものの、音が他に仮借されて、これらの文字は別意に用いられるようになったというのが、白川文字学である。

(2016.6.25 記)