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イッセイエッセイ

1148号 自由観の展開

2016年04月17日(日)

 古代ギリシア人が考えた「自由」とは、実際どういう意味をもっていたか。現代のわれわれがこのことを想像するとき、自由とは何事にもとらわれない心の状態のことだなどと、哲学風に思いがちであるが、それは見当外れなのである。
 田中美知太郎はホメロスの『イリアス』を例に自由という観念の原型をまず示す。トロイエの大将ヘクトルの堪え難い気持、もし武運つたなく落城の悲惨に遭うならばわれ亡き後の妻アンドロマケの身はアカイア人によってあらゆる恥辱と苦労を受けることになるだろうと、語る場面を引く。そして彼らの「自由は、祖国と共にあるものとして、侵略者に対しては戦いによって守りぬかなければならないもの」と考えられていた、と述べる。(『自由のギリシア的理解』1962・昭和37年 全集第5巻から)
 こうした自由の意識は、ヘロドトス、アイスキュロス(劇)、トゥキュディデス、プラトン対話篇などからも知ることができ、対外戦争との関係で広く一般民衆の間に行き渡っていた意識だという。
 自由はこのようにして、まず「外敵の侵入や外国の支配に対して守らねばならないもの『対外的な独立』として意識されたのである。が同時に、古代ギリシア人のはっきりした意識として「国内的にも独裁的支配から守る」という意味をもっていたのであり、ヘロドトス、ディオドロス(ギリシアのことを伝えたローマ共和制末期の歴史家)などの記録からうかがえる。
 さらにこのことから、
 「自由を知っているのはギリシア人だけであり、バルバロイにはそれはわからない」
 という「自由」(ελευθερία、エレフセリア)と「隷属」(δουλεία、ドゥリア)の人種的区別が、ギリシア人の意識にあったことがヘロドトス、デモクリトス、アイスキュロス(劇)、エウリピデス(同)などの記事から見て取れるという。

(2016.4.13 記)

 それであれば、当時のギリシア人の意識にはギリシア人だけの関係では自由と隷属の関係はありえなかったのではないかと思われるが、事実はそうでもないようだ。プラトンの『国家』篇においては、許すべからざるものとして留保的に書かれているが、戦争によってあるいは経済的理由などの災難によって、ギリシア人もまた他のギリシア人の奴隷になることが生じ得たという記事がある。しかし「奴隷の存在は不幸な事実として、他のいろいろな災悪と同じようにそのまま受けとめられていた」(453頁)のであって、奴隷制度として意識されていたのかどうかは疑問としている。
 ヘーゲルの歴史哲学講義がいうようにギリシア的な制限のある自由(ギリシア市民だけの自由)、キリスト教による神の前の人間平等によるすべての人の自由、という流れにおいて自由の観念が歴史的につながり発展してゆくかは、断言はできないと著者は述べる(たとえば、中世ゲルマン世界の農奴、アメリカの黒人奴隷など)。
 著者はむしろストア哲学がその間の「媒介的な地位に立ったと考えた方がよさそうである」と注釈しているが(453頁)、この考えはカール・ヒルティに同じくする。
 いずれにしてもこの論理でゆけば、ギリシア人の自由とは、「全国民全市民全体の枠のままで与えられているのであって、各個人にとっては直接的ではないと考えられるであろう」と著者は見る。(457頁)これはクーランジュが『古代都市』において、真の自由である個人的自由はギリシアにはなかったとする考えに依っているようだ。
 そして「個人的自由」そのことが、しからば何を意味するのかも問題となる。プラトンは『国家』において「ポリスのなかで、誰でもしたいと思うことをすることができる」などと自由を論じている。しかしこの自由の用語が使われる場面が、そのような民主制下における個人の気まぐれや勝手が許されるとなれば、最後には僭主制(τυραννίς、テュランヌス)が生まれるという制度の転換の議論の場で用いられているだけである。このことからプラトンは、ギリシア人の自由意識に対しては、批判的な眼を向けながら、民主制下において新しい意味の自由として語っている、と著者は言う。後のアリストテレスはこれをうけて、『政治学』において民主制における自由の二面を、(1)治者と被治者の交代が行なわれること、(2)めいめい好き好きの生活をすることである、としている。こうした自由と民主制の関係は、すでにペリクレスの演説の中にも暗に示されていて(トゥキュディデスが伝えている)、結局のところギリシア人の自由の意識は、民主制の発展とともに、政治的自由(political liberty)と市民的自由(civil liberty)に分化発展することができたのではないかと、著者は言う。
 しかし、この市民生活の自由・私的自由の存在が意識されるようになったとしても、これが「どこまで積極的な意味を認められていたか」(464頁)となると、そう簡単には答えられないという。
 「私的自由がそれだけで独立に存在するのではなく」(464頁)それは「国家あっての個人である」(465頁)というような考え方なのである。
 結局、ギリシア人において個人的自由に近いものが積極的に認められたとしても、ヘロドトス、エウリピデス、アイスキュロスなどの記事にみられるように「われわれはあらゆる点において自由であるのではない」という自覚にもとづいた自由が、彼らの自由観だったのである。(468頁)
 なお「田中美知太郎全集」第8巻に「自由に値するものは何か」(1958年・昭和33年)という文章が収められており、上記に関連し、主張が重なり合うところがある。云く、
 「わたしたちが持ちたいと思う自由、そういう自由は単にそれだけを切り離して考えるべきものではなくして、その自由を欲し、自由を持とうとするわたしたち自身を一しょに考えなければならない、いったいそれにわたしたち自身が値するかどうか。<…>」と。この著者の自由はギリシア人の抱いた制約のある自由観に近く、つながるところがあるが、さらに個人の実存性が媒介されているように思える。

(2016.4.14 追記)