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イッセイエッセイ

1145号 ソフィストとは誰か(その3)<前号から続く>

2016年04月16日(土)

第九章 悪名の由来(124―141頁)(続き)
 「われわれはこのよう智者との対照において、ソクラテスの姿を思い浮べずにはおられない。ソフィストは何んでも知ったかぶりをするけれども、ソクラテスは何も知らないと言っていたのである。そしてソクラテスの問答法は、ひとを同じような無智の自覚へと導くものであったが、ソフィストのはただひとを言い負かすためのものであった。ソフィストは深い反省もなしに国民道徳を説教したけれども、ソクラテスはそれが何であるかを尋ねて、人々を深い反省にまで誘ったのである。」(126頁)
 ―著者がこの最終章にきて、知ったかぶりの佯智者のソフィステスをソフィストと呼んでソクラテスに対比させているが、ソフィストはそれを超えて知らないことに無知ではなく、そのことはわかっていたのだが知らないとは言わなかっただけではなかろうか。
 さて、導かれてゆく互いの無智の先に、ソクラテスは何を約束していたのだろうか(田中美知太郎全集同第3巻中の『ソクラテス』を読む必要があるか)。プラトンの対話篇を読んでもわかることだが、ソクラテスは誰に対しても同じような問答を同じような調子で仕掛けた。相手を問いつめ(答えつめ)、有力な市民にとっては、いつも言い負かされるうるさい印象のソクラテスと映ったはずだが、ソフィストとの違いは何であったろうか。
 しかし結局のところソクラテスの信用は、祖国のために戦場において勇敢であったこと、相手から金をとらなかったこと、アテナイを捨てることなく国法に従って毒杯に殉じたこと、つまりソクラテスが発した言葉の問題ではなく、アテナイの一市民としての人柄と行動の高さに絶対性があったということではないかと思える。

 「ソクラテスはソピステスのアンティポンに対して、自分の愛する者に誰かもしその素質があると認めた場合には、自分の持っているだけのものを教えてやって、その者が立派になるようにしてやることは、国民として心ある者のなすべき務めであると言い、これに反して、人柄も素質も問わずに、誰でも金銭さえ出せば知識を授けるなどというのは、一種の売淫的行為であると非難している。」(126頁)(クセノポン『ソクラテスの思い出』から)
(拙注)なお、歴史家クセノポンが伝える史的ソクラテスと、プラトン対話篇のソクラテスのどちらが真実か、という専門分野での伝統的な議論があるようだ。ヘーゲル『哲学史』などが出発点になって、プラトンのソクラテスは、プラトン自身の思想を述べるための傀儡に過ぎないという考えが曾て哲学史のドグマになろうとした。一方、ジョエル(1901年)やロビン(1910年)といった学者の著作は、クセノポンの史料価値に疑問や否定を投げかけ、さらにバーネット(1911年)やテイラー(1911年)においては、プラトンこそが真のソクラテスだとして、イデア論までもソクラテスの説であるとする主張をした。その後諸々の学説が出されているが、「史料批判の問題は、またソクラテス解釈全体の困難」ともなって、さまざま問題を含んでいるとのことである(以上は本第3巻394―397頁に収録の『文献解題を主とした研究入門』から)。かくして古典学は将に群書類従の中の学問であり、研究に王道はなく学すこぶる成難しということか。この田中美知太郎の著書においても、至るところ文末に断言調が少なく、「ないかとも思われる」等の表現が多用されている。

 「しかしながら、われわれはこれらの非難から、ソピステスだけが特別に悪い者であったように考えるなら、それは大変な間違いである。」(127頁)
 ―なぜなら、と著者は現代(執筆当時)の風潮に苦言する。ここで今回の読書の目的であった現代とソフィスト的現象という問題にようやく到達することになる。
 プラトンの厳しい理想主義的要求の前には、当時の国家社会の政治も文化も一切が到底吟味に堪え得るものではなかったのである。しかも事情は今日でも違っていない。<…>無智は彼等だけのことではなく、むしろわれわれにおいていっそう暗黒だからである。誇張された言葉で正邪善悪を云々する声は天下にみちみちているけれども、われわれはそれが何であるかを深く考えたことはないのである。」(同頁)
 「ひとつの教授法だけで何でも教えることができると信じている職業的教育家や、何も知らなくても何でも論じることができるという特殊理論を信奉する者、あるいは似而非政治家などの用命に応じていかにようにも理論を製作する言論づくり(logopois)など、いずれもソフィストにほかならないのである。またこの似而非政治家については、同じ『国家』(の第6巻)に、われわれはさきにゴルギアスの弁論術批判に用いられたと同じ言葉を発見するであろう。彼等もまたソフィストなのである。しかしかかるソフィストは、遠い昔のことだけではない。われわれもまたつねに自身がその危険にあることを銘記しなければならぬ。」(128頁)
 ―さらに今のわれわれの現代の言説家は、大都市において発信し地方に訪歴し、一方でインターネット時代の個々人も一人ひとりが言説家となり、甲論乙駁、主客転倒、付和雷同、共感不在の弊に直面しているとは言えないか。
 先の第二章(「歴史的モデル」)において著者がくわしく説明しているように(要約は簡単にしてしまったが)、ソフィストの概念の大部分のものは、プラトンが対話篇『プロタゴラス』において残したソクラテスの言葉のうちにすでに見出される。つまりプロタゴラスをその代表とする実在の人物たちをモデルに、プラトンは悪名ソフィストを作った。そしてこれに依って、アリストテレスやクセノポンがソフィストの概念に輪郭を与えた。これは言わば歴史的原型であるから現代に至るまでいつの時代にも復活する現象なのである。
 「悪名としてのソフィストの概念が、ただプラトンの厳しい批判的精神からのみ生まれたものであるとするならば、それは実在のソピステスのおそらく全く知らなかったことで、彼等は後世のかかる悪名をほとんど聞くことなしに死んでいったのではないかとも思われる。しかしながら、プラトンも彼等の純白な名声の上にこの悪名を印したわけでもなかったらしいのである。」(128頁)
 ―話題と場面が多少とぶが、作家・司馬遼太郎とかつて対談した橋川文三は、幕末期に過激な言説を残した吉田松陰に対して後世の天皇制をめぐる問題までも責任があるかのように批判し、「さかのぼって解釈を押しつける」ことは妥当でないと述べているが、これと見方が共通したところがある(エッセイ1120号「司馬遼太郎の言葉」参照)。

 「イソクラテスが弁明しなければならなかった金銭上のいろいろな噂は、一般人の間における疑惑や嫉視反感の存在を示すものでなければならない。門地や金力の代りに才能が社会的重要性を増加して来た時代においても、腕力や金力に屈服することのみに慣らされてきた人々は、才智の無形な力を認めるには困難を感じなければならなかった。」(128頁)
 ―才能や無形のもの、知的なものに対し価値や実権を見出し、これを承認するほどにはギリシアの人々の観念は進んでおらず、怪しげに如何がわしく感じたのである。
 「しかもソピステスから学ぶことのできたのは、富裕な上流階級の人々に限られ、この人々の希望は昔ながらの特権的地位を新時代の知識的な武器によって維持することにあったのである。しかもペリクレスの死後、彼等はたえず大衆の疑惑の的となり、彼等の新しい教養も彼等の臨んだ指導的地位を保証せず、彼等のうちにはアンティポンやアルキビアデスやクリティアスのように、政治的陰謀を企ててアテナイ民主政治を覆そうとする者も出て来たのである。ために、これらの人々と関係のあったソクラテスの立場はきわめて困難となり、ついに告訴されて死ななければならなかった。<…>一般の人々の眼には、われわれがプラトンに教えられてはじめて知るようになる、ソクラテスとソピステスとの根本的な相違などは見えなかったからである。」(128―129頁)
 ―いつの時代もそうであるが、違ったものの真実の見分けは初めからはつかず、一緒になって同じように見えたのであろう。ユダヤ人の王と神の子との区別がつかなかったユダヤの民衆にまた同じ。またこの逆に、かつてと同じような戦争にすぎないものを、次の時代になって別のことだと区別立てして非難したり賞賛したりすることも、これに同じである。

 ―気象や自然科学に関して、
 「ソピステスが天上地下のことについて奇怪の学説をなすという非難であるが、これは一般の自然学者に当ることで(拙注―ソクラテスは当代一流の自然学者メソロソフィステスであったといわれている)、別にソピステスだけが非難されることではない<…>」(130頁)
 ―ソピステスの時代は、同時にすぐれた自然学者が輩出した時期に当っていた。エンペドクレス、アナクサゴラス、レウキッポス、ヒッポクラテス、デモクリトスなど。またソピステスといわれていたアンティポン(正多角形の内接による円求積法)やヒッピアス(角を三等分するための求積曲線。西洋教学の三学四科の祖)などに自然科学上の業績が残っている。

 自然研究の影響は、しかしながら、宗教だけでなく、なお意外な方面に及んでいた人間の作った法律や道徳を自然と対立させる考えが当時ひろく行なわれていたのであるが、もとはこれも自然哲学の概念から出たものらしいのである。」(132頁)
 ―自然科学の発見や物の見方が、思弁的、観念的な枠組みに影響を与えこれを大きく変化させた事実は歴史的に数多くあり、むしろ理系と文系を二分して世界観の問題を取扱うことが間違いなのだろう。
 <追記 2016.4.18>―マルクス・ガブリエル、スラヴォイ・ジジェク著「神話、狂気、哄笑」の毎日新聞4/17書評(斎藤環)において、ガブリエルは「世界は存在しない。しかし、それ以外のあらゆるものは存在する(新実在論)」、「世界を語るためにはそれを対象とするより高次のメタレベルの世界を必要とするいたちごっこの構造が生まれてしまう」、「<自然主義>、すなわち自然科学こそが<絶対的な立脚点>として、世界をありのままに認識できるとする考え方を批判する(反・脳科学、進化心理学)」と述べているようだ。
 さて本題に戻る。
 「神々については、それが存在するか否かということも、どんな姿のものであるかということも、私は知ることができない。事柄がはっきりしない上に、人間の寿命が短かかったりして知ることの邪魔になるものが多いからである」
 ―プロタゴラスは上記のように言って、有名な『万物の尺度は人』という宣言とは全く逆に、きわめて消極的な態度をとった、また他の例としてエンペドクレスは、生成とか死滅とかいうのは、ただ人間の定めた習わし(ノモス)の上の呼び方にすぎないといった、ヒッピアスは正しいとか恥ずべきこととかはノモスの上のことであって自然にはないという既に知られた考え(ソクラテスの師アルケラオスの説)を元に、一種の流行語的に自然(ピュシス)と法習(ノモス)は対立するものだと言った、と著者は紹介している。また、アルケラオスが残している言葉、国法や国民道徳は単なる名目上の存在であって、実体のあるものではない、むしろ仮象なのであるという考えは、もうこれは表現だけを見れば現代の思想そのものであろう。こうした懐疑論や不可知論の原型が、人類の破瓜期(思春期)のギリシア時代後期において早くも現われ始めたということである。
 「ところが、このような主張によって、本来は感覚的事実と真実在との対立を言い表わすために用いられた、この自然哲学的概念が、海外知識の普及とか、たびたびの戦争や政変による苦い経験とかによって、人々が国法や国民道徳に対して抱かざるを得なかった漠然たる疑惑や不信に、明確な表現と意識とを与えることになったのである。」(133頁)
 ―著者のあげる例として、戦争や侵略の口実は狼と羊の会話を神格化したものにすぎない(歴史家トゥキディデスが語っている)、強者の利益がすなわち正義であり、法律は支配階級が自己の利益のために定めるものである(プラトン篇『国家論』のトラシュマコスが言っている)など、正義と実力主義の対立観念、ルネサンスのマキャヴェルリズムの萌芽が見えている。

(2016.4.5 記)

 「国民道徳のほかに道徳を知らず、文字通りのいわゆる『国家的動物』に過ぎなかった当時のギリシア人にとっては、きわめて重大な道徳的危機を意味するものであった。」(135頁)
 ―たとえばアンティポン『真理』では
 「<…>法律や習慣に違反しても、見つかれば刑罰や恥辱を免れないが、ひとに知られなければ、それらを免れていることができる。これに反して、自然の本性にもとづいて生じたところのものは、可能な限度を越えて、これに無理を加えるならば、すべての人間がこれを見ていようが、見ていまいが、そこに生ずる悪い結果は変らないのである。なぜなら、その害は人々の思いなし(ドクサ)によって生ずるのではなく、真実に生ずるものだからである。」(135頁)
 ―こうした考え方の流れはすこぶる危険と言わなければならないだろう。ハリウッドの法廷ドラマ「Law and Order」には、ほとんど何でもありの司法取引、裁判で言い負けなければ正義とするシーンがよく出てくる。これはギリシアの末期思想の現代版ともいえる。
 ―それでは、と著者はいう。
 法律の強制や社会の制裁を離れて、誰も見る人がなくても、なお正しい行いをすることができないのであろうか。もしこのような正義が見出されるなら、それこそ仮象的な世俗の正義に対する真実の正義であろう。」
 「ソクラテスの弟子アリスティポスは、哲学者に何の長所があるかを問われた時、たといすべての法律が廃止されても、今と同じ生き方をしていくのが哲学者だと答えたと言われるが(ディオゲネス・ラエルティオスの列伝体的な哲学史から)、これも哲学者の生活が国家社会の法律や道徳よりも、もっと深いところに根拠をもつものであることを語ったものと見るべきであろう。そしてこのような真の道徳を発見した者がソクラテスなのであった。しかしソクラテスの存在は人々の眼には蔽われていて、ソピステスと区別されなかったのである。」
(136頁)
 ―ここで自然と法という対立概念のところまで来て、二年ほど前にコンフォード著『ソクラテス以前以後』という本を読んだことに気がついた(エッセイ915号「自然と人間について」参照)。これを読み返すとき、ギリシア後期の歴史の真実がどうであったかはともかく、ソクラテスとソフィステスとの対比はさらに明瞭な主張で論じられている。そのため田中美知太郎の本著に比べて、はるかによく分る(わかりすぎる)。なお藤沢令夫著作集も読んだ記憶があるが、主張の要点が何であったか要約が残っておらず再現できない。なお、田中美知太郎のギリシア哲学文献解題には、コンフォードのものが数冊入っているが、件の『以前以後』については見当らない。)
 「プラトンの『プロタゴラス』で見られた、かのプロメテウスとゼウスの贈物に関する説話では、さらに一歩進めて、法律の自然に対する優越が語られている。すなわちプロメテウスの贈物は人間の衣食住その他に関する工夫であったのであるが、それだけでは人間は団結して事に当ることができず、他の動物のために亡ぼされなければならなかったが、ゼウスの贈物たる『いましめ』と『つつしみ』を基礎にして国家社会を形成して今日に至ったので、法律その他の手段で徳を教えられている国家社会の一員は、たといその極悪の者でも、法律も道徳も知らない野生人のようなものよりすぐれていると主張された。」(137頁)
 ―これに類したギリシア的な議論、つまり法律以前の自然状態の姿が本書ではさまざま論じられている。そうして将来の望ましい政治のあり方をそこから展開する手法は、はるか後代のホッブスやルソーが出発点としたところではないかと思われ、これは啓蒙時代のオリジナルかと思っていたが、このギリシア時代に淵源をもつことを知る。
 ―ここでソピステスがこうむったソフィストという歴史的汚名について、
 「おそらくこの悪名は、<…>青年たちの間におけるソピステスの非常な人気などから生じたものではないかと思われる。青年たちは自国の父兄や長老の言うことには耳を傾けず、好んで外来のソピステスの話を聴いたからである。そのために<…>人々から嫉妬されねばならなかったのである。<…>問題が起るごとに、人々は子弟の好ましからぬ傾向をすべてソピステスの責任に帰したかもしれないのである。<…>才能のある人たちの非行も、ただちに新教育のためであると信じられる傾きがあったらしいのである。しかしその責任がソピステスにあるのでないことは、すでに見たとおりで、プラトンもこれを認めているのである。」(140―141頁)
 ―青年の腐敗者だと弾劾されたソピステスに対する「ソフィスト論」としては、評価の歯切れが悪いのである。
 しかし著者は最後の結論のところでは、以下のとおり何故かドイツ観念論の名をあげてはっきりさせる。
 「ところが、プラトンも賛成しないソピステスのこの青年腐敗説を取り上げて、ソピステスを道徳破壊者に仕立て、ソピステスであるか否かの疑わしい人たちまで、その片言隻隻句によって、これをそのようなソピステスのうちに数え、一種の循環論によって、ソピステスをますます危険人物にしてしまった者は、19世紀のドイツの哲学者たちであった。そしてこのソピステスと戦うために登場する騎士は説教家ソクラテスなのであった。このあまりにも通俗的な道徳家ソクラテスに対しては、われわれもニイチェとともにこれを唾棄しなければならないだろう。そしてその反動としてのソピステスが英雄化されなければならなくなる。しかしながら、そのいずれも事実ではなかったのである。」(141頁)―結
 やや急なる結論ではある。ギリシア哲学から19世紀ドイツ哲学に戻り、永劫回帰、さらに再びアテナイの家郷に帰らなければ、ソピステスたちの真実は分らないというソフィスト論への道筋であった。

著者は要するに、2000年以上の昔、首都アテナイに集まった遍歴の弁術家であるソピステスたちの実像を文献においてできる限り明らかにした上で、彼らに後世の歴史家連中がステレオタイプの物指しと評価をおしつけた問題点を批判し、むしろ現代のわれわれこそ自他ともにソフィストたることに注意すべきというメッセージを示しているように思う。

(2016.4.2 記)