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イッセイエッセイ

1143号 鳥語考

2016年04月12日(火)

 今日は早朝から畑に行って菜花やブロッコリーを摘んだのであるが、ちょうど今の季節はどんどん白菜や菜類の花芽が伸び、短い畝ではあっても二、三度往復しないと花になる前の若芽を摘み残してしまう。
 ブロッコリー摘みつつ別のこと思い。そして急に、明るい春の鳥の声を聞く。高く強い調子の鳴き声に注意を向けるとどんな意味にも聞こえはじめて、聞きなし思いなしが自分の自由になる。一羽は畑の近くの電線に細長い影を見せ、もう一羽も近くに声がするが何処だか捜すほどでもない。畑から戻って、今度はかなり長く咲いてくれた水仙の花柄を鋏で切り取る。この長年使った道具も酷使されて両刃にスキ間ができ、柔かく細いものはかえって切りにくくなっている。ぱっぱと調子を出して迅く動かさないと成果がでない。周りにある鉢には、柿、す桃などの若芽が小さく鮮やかに出はじめている。
 偶然この日、残してあった新聞(日曜日)には、景山輝國著の「『論語』と孔子の生涯」(中公叢書)の書評が出ていた(毎日新聞2016.4.3 今週の本棚)。この張競氏の評によれば、本書は古典(論語)の日本への受容史を明らかにしたもので、孔子の学説の真意を探る本らしく、著者のさまざまな漢学の造詣がうまく披瀝されているとのことだ。書評の冒頭の書き出しは、公冶長という鳥語を解した人物のことに始まる。
 貝塚本の「論語」を調べると、第五篇は「公冶長こうやちょう」という名の篇である。本編は弟子たち70人のうちの幾人かをとりあげた人物論が展開されている。公冶長のことはこの第五篇の筆頭におかれている。ここで次に登場する弟子たちの名は南容なんよう子賤しせん子貢しこうよう仲弓ちゅうきゅう)、漆雕開しつちょうかいゆう子路しろ)、きゅう冉有ぜんゆう)、せき公西華こうせいか)、宰予さいよ申棖しんとう。この公冶長は誤って獄につながれたことがある。しかしなぜか、孔子は彼に娘を嫁がせている。第五篇冒頭にある「公冶長」にはその事実だけが書かれていて、本人の人物評がない不可解な一文であると感じさせる。
 ところでこの公冶長は、前述のとおり鳥語を解したと伝えられている。鳥の声からあるとき犯罪現場を予言する結果となり、疑われ拘束されるのである。この話は貝塚茂樹「論語」(中公文庫)の注書きにも解説があり、書評の出だしと話題が共通している。
 疑いを受けた公冶長ではあるが、牢屋の柵に止まって鳴いていた雀声を聞き分けて別の予言を的中させたので、これによって身の潔白が証明され放免されたという話なのである。これは6世紀、六朝・梁の皇侃おうがんが『論釈ろんしゃく』という雑書をもとにして注釈した『論語義疏ぎそ』に書かれているそうだ。この書物が9世紀末ないしはそれ以前、日本に伝わる。中国では早くから散逸していた貴重な書籍を、18世紀後半の清・乾隆帝の時代に商人汪鵬おうほうが日本で手に入れ、逆輸入の形で持ち帰ったということである。
 そして鳥の語を解するなどということについては「そんな突拍子もない逸話まで集めた『論語義疏』だが<…>」と書評子は述べているが、このドリットル先生動物記まがいの能力のある超人については、『高僧伝』などにも、千里眼など神異的エピソードが沢山でて来るので、中国の六朝・分裂時代の精神的傾向かと思われる。(エッセイ第605号「高僧の敬と慎」)
 今朝聴いた早起き鳥の声の話しに戻るが、啼鳥の声は何の言葉にでも聴こえたために、色々な預言にも使えたのではないかと思う。

(2016.4.5(火) 記)