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イッセイエッセイ

1142号 遅々進々

2016年04月11日(月)

 「遅々として同じ方向に進む」のと「かなり進むが方向が変る」のとでは、結局どちらが早く目標に向って進んだことになるのか。これは単純なベクトルの計算として議論をするだけでは済まないかもしれない。しかし、方向が絶えず変ったり、極端には逆向きになったり、途中で放置して別の方向を打出したり、などといった動きよりは、同じ方向に少しずつ前に進んでゆく方が良い結果が得られるように思う。
 いまは桜の季節が終りかけようとしている。間もなく五月の季節であり、次には紫陽花と移り変ってゆく。幼いころは鯖江の西山公園は遠足先の定番であり、その頃は大した行先もなかったので、小学生を終り中学になっても又この公園に遠足に出かけたような記憶がある。この西山公園の景観は半世紀を経てずいぶんと変った。その間に政治の方向にかなり変更があっても、西山公園の整備については少しずつ進んだ。おそらくその都度さまざま異論があったろうが、一貫して大きな方向を変えずに投資をし手を入れてきた結果、今日では立派な公園となり観光場所ともなっている。長い時間の経過の中で少しずつ良くなったことの積み重ねの例ではないかと思う。
 大都市と地方の間にだんだん発展の差を感じるのは、前者は強い競争の中で知らぬ間にも積み重ねを加えて、少しずつ物が大きくしたり高くしたりしているのに対し、後者の方は関心や勢力が分散し中断したりして、小さいにも拘わらずエネルギーに集中を欠いているため、かかる印象を持つのではないかと思うのである。

(2016.4.10 記)