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イッセイエッセイ

1137号 レーヴィット「ヘーゲルからニーチェへ(上)」―19世紀思想における革命的断絶(前半部)

2016年04月09日(土)

 本書(岩波文庫 三島憲一訳2015年)は、カール・レーヴィット(1897―1973年)の主著であり、戦前に一時的な亡命先であった日本(仙台)で執筆され、アメリカで出版されている。
 レーヴィットの本書のテーマは、19世紀前半に完成したヘーゲル(1770―1831年)の絶対精神の哲学が、マルクス(1818―1883年)やキルケゴール(1813―1855年)によって、その哲学が逆転されてマルクス主義と実存主義へと変形され、さらにニーチェ(1844年―1900年)の哲学へと至るドイツ哲学史を扱っている。
 この「上巻」だけでも、この時代のドイツ哲学史に関連する人たち―なつかしい名前もあるが、響きのよく似た知らない人々の名前も多い―が有名無名(われわれにとって)をとわず百五十人以上登場する。
 著者レーヴィットのいうように、ヘーゲルによる哲学の完成とニーチェの新たな哲学の始まりとの間には決定的な転換点が存在するのであるが、やはりそこには時代の変化と同時に、哲学上のつながった系譜があるという事実関係があるわけである。この点について本書初版(1941年ニューヨークのヨーロッパ出版社)の序文では、著者の次のような比喩的な言葉がまず目を引く。
 ―「木はそれがつける果実によって、父は息子によってその真価がわかるという生きた歴史の事実」、「どんな時代も債務者であるとともに債権者である」―
 さて以下の抜萃であるが、本書は内容が沢山すぎ、且つ解りにくい訳ではないが人名と議論の道筋が錯綜するため、気になったところを部分的に掬いとるような形になってしまったので、この備忘録からは全体が見えにくいところあり。
 「ヘーゲルの仕事でゲーテが好んだところは、他ならぬヘーゲルの精神活動の原則であった。つまり、自己存在(SelbstSein)と他者存在(AndersSein)の媒介(Vermittlung)という原則であった。これは、ゲーテの言葉で言えば、ヘーゲルが主体と客体の間に身を置いていることであった。シェリングが広大な自然を、フィヒテが主観性の極限を強調するのに対して、その間に位置をとっていることであった。」(本書32頁 序章ゲーテとヘーゲル 第1節a<原理の共通性>―傍線は小生、以下同じ)

 「ふたりを並べても、それは彼らのライフワークが相互に依存し合っているとか、直接に絡み合っている、といった意味合いは含まない。むしろこの並列によって私は、ゲーテの直観・・とヘーゲルの概念的把握・・・・・のあいだに、なんらかの内的関係があることを示唆したいのである。この内的関係なるものは、ある種の近さでもあるが、また二人のあいだの遠さをも意味している。」(26頁 同上)
 このレーヴィットの表現は、ユダヤ的な思考法を反映しているように思う。
 ゲーテ(1749―1832年)とヘーゲルは全く無関係に暮らし、一緒に何らかの活動をしたことはなく、それぞれ別々に自分の仕事をしていたが、二人の仕事を支えている心性の在り方に決定的な同一性があったと述べているのである。両者の間には書簡が残っているそうだ。「私は貴兄の息子のひとりだと言ってもいいくらいです」と、ヘーゲルは好意と尊敬の意をゲーテに書いている。(27頁 同上)
 「ゲーテはドイツ文学を世界文学へと高めた。ヘーゲルはドイツ哲学を、世界的な哲学へと高めた。彼らの仕事の力は、やろうとすることとやれることとが一致した、完全な基準となるものだった。それに比べると彼ら以後の者たちは、視野の広さにおいても、仕事を仕上げるエネルギーにおいても、とても彼らと太刀打ちできない。あまりにも無理をしているか、逆にゆるんでいるか、過激であるか、凡庸であるか、言うことは言うがそのとおりできていなかったりだった。
 1806年といえば、ナポレオンがイエナとヴァイマールを通過した年だが、この同じ1806年に、ヘーゲルは『精神現象学』を完成させ、ゲーテは『ファウスト』第一部を書き上げた。」
(25頁 同上)
 上述したように、本書には我々のあまり名もしらぬ沢山の哲学者に加え、若干の歴史家や芸術家なども登場するが、頂きにゲーテ、ヘーゲルがいて、マルクス、キルケゴール、ニーチェが続き、ほかは中腹から山麓レベルの人たちであるというのが著者の評価のようである。
 「ヘーゲルの<教え>とは別に、次の世代に伝えうるしっかりした根拠を持った基盤を得ようという熱意こそは、ゲーテとヘーゲルの精神的<活動>を結びつけるものだった。<教え>と<活動>の区別こそは、ヘーゲルに対するゲーテの関係の特徴だった。(後略)」(同上30頁)
 ややここの<教え>と<活動>の意味づけは不明なところがあるが(訳文の問題か)、両者がともに自己の業績と時代への位置づけを使命として自覚していた、というような著者の見解かと思われる。
 「(ヘーゲルを批判した)ブルクハルトですら、彼が意識的に古典古代とキリスト教世界に自分の対象をかぎっているのは、実はこのヘーゲルの歴史像の枠内で考えていたためである。もちろん彼は、この古典古代の精神がもはやわれわれのそれではないことを知っていたし、さらには、利潤と権力を追及する現代の生活が、キリスト教とは別の人生理解を必要としていることもわかっていたのだが。このことをはっきり見ていたのに、そして、世界を<理性的>と見るヘーゲルの歴史構築に反対していたにもかかわらず、ブルクハルトも、ヘーゲルの終末論的な歴史の見方を承認していたのだ。というのも、ヨーロッパの歴史についてのブルクハルトの思考の最終的モチーフは、<旧ヨーロッパ>は終わるという認識だったからである。」(同上96頁 第一章「ヘーゲルにおける世界史と精神史の完成」<第一節
世界史の終結という構造>)

 エッセイ第709号「歴史における幸不幸について」および第711号「偉大について」において、ブルクハルトとヘーゲルの考え方の関係を記述。これらと関連した問題がここで扱われている。

 絶対精神のもう一つの形式である宗教も、芸術や哲学と同様に終結してしまった、とヘーゲルが考えることに関して、
 ローマ末期に、理性は私的利益と私法に逃げ込んでしまった。その理由としてヘーゲルは、宗教的生活や政治的生活という普遍性がもはや存在しなくなってしまったことを挙げる。このような時代の個人というのは、普遍的なもの〔政治や社会全般のありよう〕は、なすがままに放っておき、自分の利益だけを考えるようになる。残るものといえば、世界についての道徳的な見方だけである。つまり、一人一人が自分の望みや意見を持っているだけで、それらには客観的な内実がない状態となるのだ。」(101頁 同上)
 このような記述は本書(上巻)の後半にも出ているが、個人だけからなる社会の状態は、現代のそれに極めて似てはいまいか。
 なおここに言う「普遍性」、「普遍的なもの」とは何か、その意味について、「政治や社会全般のありよう」と文中に括弧で訳注が付されているが、これは何のことか。民族が自然に共有している文明的なもののことか。

(2016.2.上旬 記)

 「ヘーゲルは理性と信仰を宥和させ、また哲学を通じてキリスト教と国家を宥和させたが、この宥和は、1840年頃には消えてしまった。当時におけるヘーゲル哲学との断絶は、マルクスにあっては国家哲学との断絶であり、キルケゴールにあっては、宗教哲学との、いやおよそ国家とキリスト教と哲学が一致した状態との断絶だった。」(130頁 第一章<第三節 ヘーゲルにおける国家およびキリスト教と哲学との宥和>)
 以上、レーヴィットの「ヘーゲルからニーチェへ」(上巻)の導入部を抜書きしたが、19世紀に入って以降、本書がテーマとするヘーゲルの弁証的観念哲学が全般的に解体されてゆく(一方で擁護派もいた)過程が起こってくる。しかしヘーゲル哲学は、かつてのローマ帝国が一見崩壊したようにみえながら、なお変化し命脈を保ったのに似て、簡単には後代の哲学者によって乗り越えられたり克服されたりしなかった状況が、以下に記述され展開されている。

(2016.2.27 追記)