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イッセイエッセイ

1129号 雑想(13)

2016年03月21日(月)

○ 美しい風景を感じるとき、そこには未知の部分が含まれているからこそ、一層美しくそのように感じる。
 敦賀に向けて「若狭さとうみハイウェイ」を戻る際、久々子湖の湖面と海とを隔てる岬のぽっかりした風景が目に入る。見る度に美しいと感じるのだが、だんだん見馴れてくると既知感が出はじめ、光の工合にめぐまれた時はともかくだんだん最初の頃ほどには美しさを強く感じなくなる。
 これを外来の観光客がもし眺めたとしたら一度きりのことであるから、未知の部分が大きいだけに、きっと素晴しい美しさの風景と感じるはずである。
 よく見馴れたものに対してもなおの美しさを感じるには、対象への親しみとともに、日々刻々の微妙な変化を味わえるような心の持ち方がないと、絶えざる美しさは得られないだろう。

(2016.3.6 記)

○ 古きを残す(尚古)と新しきを創る/素朴主義と近代化の精神、多様か特殊か/幸福と冒険/定住と遍歴(移住)

(もっと前の日付 記)

○ 「富士山はどうしてそこにあるのか」というNHKラジオ番組(2015年1月~3月)をきく。講師の山崎晴雄先生(首都大学東京教授)の説明によると、関東平野は日本全体の平野面積の約18%を占めるとのことである。この平野は、その下にあるプレート運動によって、超長期的に盆地状にたえず沈下しており、そこに河川からの土砂が沖積しているので、日本一広大な地形を形成できたと説明されている。これまで歴史的に起っている地形変動は、徳川家康が江戸入府以降の記録しか残っていないので、これらから統計的に予測するしかないのだが、約30年に一度ほどマグニチュード6から7にまたがる直下型地震が発生している。しかし過去においては、実際の被害状況は地震の大きさとの関係では必ずしも一様ではなく、具体的に関東平野の下のどの地点で発生するかによって、被害の差が大きく変ってくるとのことである。

(同日 記)

○ Japan Times On
Sunday(Feb.28.2016)〈News/National〉
 福井の新発見の恐竜について、ジャパンタイムズが報じた。
 Japan’s seventh dinosaur species
is conformed in Fukui Prefecture.

○ 都市の「総合生産力」とその低下傾向という観念はありうるか、文化水準の低下・低俗化、地方大学のノーベル賞、大学の定員と学生あつめ、大都市の政治家の資質・・・。

(2016.3.6 記)

○ 広く深くではなく、部分的・表面的な見かけの重視(会見ボードの例)/人々の斜の構え/ゆるキャラ/幼い・かわいい文化/団塊の体力・健康―
 車・人口・ペット・家の数/数日前の裁判「忘れられる権利」と「知る権利」/バランスの不在の時代(一辺倒の時代)/文化かGDPか。否、いかに文化はGDPに寄与できるか/命名権―有形から無形なものまで/普通と素朴/薬と病気の社会(健康薬品の時代)

○ 2016年3月6日の書評(毎日、読売)
・ コア(中心)からペリフェリ(周辺)への財政移転システム/勢力圏安定のための公共財の必要性(「ユーロ危機とギリシア反乱」田中素香著、岩間陽子評)
・ 「エピジェネティクス」―ゲノム(遺伝子セット)の変異なしに表現型(生物の行動や見た目)の変化が生じる現象/社会的刺激が脳の遺伝子の読み出し方を変え、その影響が数世代にわたる(動物実験により分子レベルで示されている)/人間以外の動物にも文化はあるが文化進化はない。なぜなら、文化を蓄積する手段である模倣や言語、教育がないから(?)(A.メスーディ「文化進化論」、N.キャリー「エピジェネティクス革命」 岡ノ谷一夫・評)
・ 交易から文明が生まれる(「貨幣の条件」上田信著 出口治明・評)
・ ある国の伝統と呼ばれるものは、現実に存在するものではなく、支配層の願望にすぎない/純血意識や多様性の排除こそスペインの後進性の原因となる。(「スペインとスペイン人」ファン・ゴイティソロ著 旦敬介・評)

○ かつては東京の方がずいぶん「幸せ」な場所であった(という仮説)。
 しかし、その差は明治から終戦、戦後から現代まで、確実に縮小し、いま「幸せ」の地方への場所的移動が生じている過渡期である(という仮説を立てる)。
 その背景には、交通が格段に便利になり(近くになり、安くなった)、生活水準の差(貧しさの違い)も少なくなった。
 なお、残っている問題は、賃金の格差(これは解決すべき)、それから商品・サービスの品数の差である。
 文化人類学の構築主義の考えでは、パリの文化も密林中のそれも優劣なく相対的であるとする。遠いものの間の対等視、多様性としてのプラス評価をする。しかし身近なはずの日本の大都市と地方の文化を例にして、比較し論ずることをほとんどしない人類学は不思議だ。

○ 草食系の男子が増加しているという話題について。もしこの見解に応じるとしたら、戦前における男子の社会的義務と権利、戦後三代を経て現代の責任のなさ過ぎを比較するだけで、原因が十分わかるのではないか(表面的な理由づけには少なくともなる)。また男子労働の面において、肉体労働が格段に減少(農林漁業の減少、移動手段の自動車化)し、デスク化、室内化の傾向を考えると違いがわかる。

○ 冬季の天候と雪の問題について。最近、天気のよい地方や日照時間の長い県が、はっきりこれを長所やブランド力にして移住や観光などに役立てようとしている動きが出ている。
 ナポリの美しさは火山と裏腹であり、花のカリフォルニアは地震とともにある。関東平野は数枚のプレート交差の上に展開し、太平洋ベルト地帯も同様の運命にある。春夏秋冬は一年でごとに周期し、地殻変動の影響は早くて数十年ごとに繰り返される。
 冬は短くできるものなのか、クリスマスや正月はその一例である。春を一と月早く告げる桜があれば、冬はそれだけ短くなる。うまいものがあれば冬も一興なりや。

○ 交通がどんどん便利になってゆくのに、昔の比較的不便であった時代のものの配置やシステムについて、習慣的に放置したままにしておくことは都合のよい話しではない。閉鎖的な世界に内向き閉じこもることは長い目でみるとその中の人たちにとって得になることではない。たとえば、教育においても「二十四の瞳」の時代とはずいぶん違っており、学校関係の配置異動も昔のままであっては時代おくれになる。

○ 世界中で都市に住んでいる人々と、それ以外の農漁村、山間部などに住んでいる人の割合は、全世界で都市生活者の方が2007年5月に5割を超えたそうであり、いまや大半の人々が外から食料を買っているのである、とルース・ドフリース著「食糧と人類」(日本経済新聞出版社 小川敏子訳)の評者、長谷川眞理子教授(総合研究大学院大学)が紹介している。(2016.3.13(日)日本経済新聞「読書」欄から)

○ 残したまま置いていた若干以前の新聞(2016年2月9日 日経新聞「くらし」欄)には、『体験学』―速読で頭を鍛えたい、というコラムが載っている。「日本速読協会」という団体が開いた一日集中講座での井田彰代表の話しが出ている。
 一眼で即座に理解ができる(つまり「目読めどく」)文字数は、せいぜい10文字弱だそうだ。「訓練でそれを長くし、数10文字程度のブロックごとに一瞬で頭に取り込めるようにしていく」のが速読の訓練ということである。呼吸法(丹田呼吸法)で意識集中、ページ全面を視野に、漢字を意識し意味をつかむ、あとは訓練と講座受講、という話しである。

(2016.3.13 記)