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イッセイエッセイ

1126号 宮城谷昌光「おまけの記」から(「窓辺の風」中央公論新社2015年)

2016年03月19日(土)

 本書は、宮城谷さんの作家生活25周年を記念する自叙伝と帯書きにあり、自叙伝の部分(第一章)をまず一読した。
 そのあと、第二章(「おまけの記」―随筆的な部分で自叙伝の部分との対応あり)を読んだが、その中で、参考となるところを随時以下に抜すいさせていただく(標題は小生)。

(白川文字学と宮城谷文学)
 「白川静博士の著作に出会ったのは、そういうときである。豁然とした、とは、それをいうのであろう。
 ―この人の語源説が正しい。
 直観である。
 さきに借り物をいやがった話を書いたが、ここで白川静説を借りるのはいやではなかった。その説を借りることによって、自分を苦しめてきた多くの借り物を放擲ほうてきできたからである。博士の著作を読むことによって、中国の古代史の新生面がみえてきた。ここまで人と物とがはっきりみえて、はつらつと想像が湧きつづけたことは、かつてなかったので、
 ―たれも書かなかった時代と人物を、小説に書けるかもしれない。
 と、おもいはじめた。」(「神戸行き」から)

(語学について)
 「英語は、私の語学力では、わからないとどうしようもないが、漢語は、私の語学力でも、どうにかなる。そういうちがいがある、とのちにわかった。(「英語と漢語」から)

(小説を書くことと読むことと)
 「『君は性格が良いから』と、いってもらえるのが、せめてものなぐさめだった。
 小沼先生は井伏鱒二ますじさんを尊敬しているようであったが、・・・
 私はしばしば、『“戦争と平和”を読みなさい』と、先生にいわれた。・・・『そんなことでは、だめだ。本当に良い作品なんだ』と、私をしかった。(「小沼丹先生」から)
 先生の先生である井伏鱒二は、小説にとりかかる前には、トルストイや森鴎外を改めて読み、気合いを入れて次の小説を書いた、というようなことを、井伏鱒二の随筆で読んだことがある。

(日本史と中国史)
 「―日本史に手をだすと、こうなるのか。
 と、私も愕然としたが、ここまでくるとあとにはひけないとはらをすえて、小説にとりかかった。しかし、集めた史料を読みながら、
 ―日本人の修史はずさんだ。
 と、くやしさをおぼえた。」

 「幕府の興亡の原理を後世の人々に示すことが、国家の宝になるのである。それを為政者がおこなわなかったので、その時代の貴重な史料が失われ、江戸時代になってから書かれたいかがわしい史料もつかわなければ、戦国時代がみえないということになった。これは笑いごとではない。現代で、あたりまえとおもわれていることも、百年後には、わからなくなり、わかりにくくなってしまう。司馬遷のような天才が日本にも出現すると期待しないほうがよい。修史を個人にまかせるのは、無責任でありすぎる。」(「修史について」から)
 日本史の記録が、戦国以降しっかりしていないということなら問題である。学者の奮発を期待したいが、いまからではもう遅いのであろうか。

(2016.2.20 記)