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イッセイエッセイ

1125号 偶然と奇跡についての妄想

2016年03月15日(火)

 高志高等学校の今春の卒業式に出席した。式典が徐々に進むなか、大勢の十八歳の若い生徒たちの巣立ちゆこうとする姿を眺めながら、次のようなことを頭に描くことになった。
 卒業式の時点では大学入試の二次試験がまだ発表になっていないので、大部分の子供たちはやや落ち着かない気持で式典に臨んでいるのではないかと推測した。そして更に考えの連鎖がのびて、今年1月のセンター試験のことに連想がつながっていった。なぜというに一週間ほど前のことだが、大学入試担当の先生諸兄といっしょにセンター試験の出題傾向と授業改善の議論をしていたからである。
 ことしのセンター試験の国語(現代文)の問題は小説であった。出題者がよほど適当な問題に困ったのか、かつてプロレタリア文学と呼ばれていた時代の佐多稲子という女流作家が書いたやや長い文章が出題されていた。問題文の末にそのように出典が注記されていたのである。
 佐多稲子(1904―1998年)については、エッセイ第880号「キャラメル工場ってなに」に書いたことがあるが、彼女は父親が18歳(佐賀の旧制中学5年)、そして母が15歳(女学校)のとき、恋愛か早熟かわからぬ関係の中で生まれた子どもであった。貧しい家という訳ではなかったのだが、母は23歳で早世してしまい父とも別れて、尋常小学校の五年生までしか学校に行けなかったのである。すでに当時としても学歴において大いに欠ける境遇にあったのである。しかし字だけは読め、これだけを頼りに生きていったと回想で振り返っている。彼女の生きてゆく困難は、今まさに眼前に並んでいる生徒たちと同年齢の若い父母から彼女が生まれたことに由来しているのである。
 そしてあの時代にこの生徒たちと同年輩の一組の男女が当時としても信じがたいような出来事を起さなかったら、佐多稲子という作家は世になく、因果の糸をくだって今年のセンター試験の国語の問題に突然登場することはよもやなかったはずである。これら出来事の一つひとつの結果は生徒一人ひとりの入試の結果にも影響し、運命に少しずつ違う方向を与えているのではないか、と小説のような想像をしたのである。
 そして卒業式を迎えている生徒たちの両親、さらにそれ以前の世代の父祖たちの、偶然とも必然ともつかぬ一つひとつの結びつきと組合せが、眼の前の現実の姿を生みだし将来の姿に作用していると思うと、何だか不思議な心持ちになった。
 祝辞をのべる順番がきて登壇し挨拶を述べ始めたのだが、この佐多稲子の波瀾に富んだ数奇な運命とたったひとりの生き方をおもわず話すことになり、自分のもつ何かをみずからの頼りに人生を開いてゆくことの重要性を述べたのである。あわせて、心構えとしては、いつも、「もう」遅くてだめだといった諦めの気持を決して抱かず、「まだ」これからの前向きの積極的な姿勢を貫いて生きていって欲しいという話に無理やり落ち着けたのである。しかし、先のように本当に頭の中で描いていた事とはやや異にした話題に変えたために、十分な意図を生徒たちに伝えてはいないような気持をもちながら降壇したのである。
 「一匹の蝶の羽ばたきが竜巻を起こす」という科学上の新しいカオス理論(バタフライ効果)がある。また「風が吹けば桶屋がもうかる」といった日本の古い諺も知っている。つまり偶然と必然、予測不可能性と力学的決定論の狭間において、われわれは存在し且つ生きている。
 無限に近い一つひとつ積み重ねは、単なる「偶然」の集合にすぎないと楽観的に考えるのか、それとも諦めるのか、あるいは今あるこの自己の存在こそ「奇跡」ととらえて力強く人生に立ち向かうのか、その心の持ち方の違いは将来を大きく左右するであろう。
 人生においては、自己が選択しなかった道の方が良かったと思うと不幸せな気持になり、一つひとつの選択にはどのみち大した差がないと割り切ると逆に気持が楽になる。
 一人のプロレタリア作家が数奇な星の下に生まれたために、百年後の大学入試の運命に違いを起こさせたと空想するのは、万事この世は奇跡の舞台であると信じる材料になる。と同時に、自己の考えと行動次第で奇跡も起こせるという希望にもつながる。

(2016.3.13(日) 記)