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イッセイエッセイ

1119号 英語の徹底学習

2016年02月16日(火)

 「英語が解き放った中国の文才」という副題がついて、イーユン・リー(中国人の米国作家、43才)が、「アジアひと未来」第8回(日本経済新聞・1面・1月10日付)に登場している。この人は北京大学からアイオワ大学(院)に留学した理系の女性であり、5歳のとき文化大革命の処刑集会、16歳のときは天安門事件について消えない記憶をもっていると語る。大学生のときは思想教育を受けたため、今でも自己検閲の癖がよみがえりそうで、中国語では文章は書けないとこたえている。2005年にフランク・オコナー国際短編賞を村上春樹よりも早く受賞しているという夫と2人の息子のお母さん作家である。
 新聞紙面には机に積み上げた何冊かの書物のその一番上の広辞苑ほどの厚い本の上に両手を重ね、やや遠くを大きな瞳で眺めている写真が載っている。そこに写されている一番上の本は辞書だと思いきやそうではない。「いつも手元に置くトルストイの『戦争と平和』は付箋だらけ、『母国語でないから時間をかけて文章を研ぎ澄ませるのよ』英語で書くと生まれ変ったように感じた」という説明がされている。写真のトルストイ「戦争と平和」の本の小口はそり返った付箋だらけで、ほとんど頁の部分が見えないのである。
 このインタビュー記事は、「両国とも自国が存在するために相手を利用しているから致命的な衝突はできないでしょう」とか、「一党独裁を脱するまでには時間がかかるだろうが、悲観しない。米国も教育に深刻な欠陥を抱えている」といった彼女の答えに関心があるのだろう。
 しかしながら小生は、この作家が小説を書くために英訳のトルストイを徹底して辞書のように学んでいるところに記事の注意が向いた。大学院に渡米するまでは英語の執筆はおろか会話もおぼつかなかった、と彼女はいう。徹底の積み重ねがなければ、英語を聴いたり書いたりする習得は、夢のまた夢だと感じたからである。
 そして以前どこかで井上ひさしが、日本に来る中国の留学生に辞書をプレゼントすると、一年後にはそれを例外なくボロボロにしてしまうと書いていたことを想い出した。

(2016.2.14 記)