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イッセイエッセイ

1110号 用語の断片

2016年01月26日(火)

 「希望」という用語。
 そもそも私たちの希望は「時間において」生じ得るものなのか、それとも「場所において」つまり「どこかに於いて」生じ得るものなのか。これまでの希望学の調査研究では、希望の可能性はおもに時間を軸として考えられてきた。
 もしこれが場所において考えるべきとしたら、「地方」の出番があるように思う。
 未来は万人にとって平等にひろがっているように時間的に現象するが、場所を求めようとすると、グローバル時代にはどの場所にも未開地(フロンティア)はないように見える。しかも未来の一部も既にお金で買い占められていると主張する財政学まである。またブッセの詩「山のあなたのなお空遠く幸い住むと人のいう」は、どこかにあるはずの希望の場所をさらにめざさんとしているようにも読めるが、そうではなく未来にあるかもしれぬ希望を、いわば場所的に比喩として表現しているにすぎないのかもしれない。メーテルリンクの寓話のほうは、希望があるはずの遠い場所をさんざん追いかけさせた末に私たちをいま立っているこの場所に再びつれ戻す。

 「見直す」という類いの用語。
 こういう言葉を多用すれば、物の考えかたひとつで何事も変り得るということになる。
 今日の「今週の本棚」(毎日新聞)の書評と新刊広告には、以下のようなその種の言葉が出ている。出口の見えにくい難問に対して考え方や近づき方を変えてみるという思考のようである(尤もこれらの本を読んでみないと正しくは分からぬが)。
 『2015年安保国会の内と外で』(岩波書店)の出版案内は「民主主義をやり直す・・・・」である。『世界演劇辞典』石澤秀二著(東京堂出版)の書評の表題には、「見方を変え・・・・・、新しい演劇の出発点に」とある。また『<文化>を捉え直す―カルチュラル・セキュリティの発想』渡辺靖著(岩波新書)は、書評をまつまでもなく題名そのものが「捉え直す・・・・」である。
 これらの用語は、ここ数年よく使われる「問い直す」系の言葉であり、見直し派に属する考えのようだ。しかし見方を変えてどうなるか、もし簡単にどうにかなるものであれば大した変革の意味はないかもしれぬ。元の見立てがまちがっているという指摘の程度であれば、批判の対象たる構築物を否定したり転覆したりすることまではできないだろう。結局のところ現状肯定派の仲間にすぎないならば、修正とか改善とか表現してすむ話である。
 さてこの中で、「<文化>を捉え直す」の書評子は次のように書く。本書では「ある文化的特質を固有不変の『本質』として捉えるのではなく、その断片性や不完全性、文脈依存性を解き明かすことに力点が置かれている」。そして文化の均一化を危惧させるグローバル化の問題について「重層的な位相を踏まえた問題意識の重要性を説いている。グローバルとローカルのどちらか一方が他方を単方向的に規定していくのではなく、循環的かつ混淆こんこう的な過程とみなし」ていると解説する。その上で、グローバリゼーションを飼いならし、制御し、活用することが提案されていると書評する(張競評)。ここに言うローカルとは地方のことではなくて各々の国家のことなのだろうか。もし地方のことであれば「見直す」と「希望」の二つの用語が結びついてくる。なお、上記の書評中には、固有、断片、不完全、文脈、均一、重層、位相、単方向、循環、混淆などの独特な言い回しの用語が登場している。その意味するところの現実は一体何なのであろうか。

(2016.1.17くもり 記)