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イッセイエッセイ

1108号 継続とは何か

2016年01月24日(日)

 目の前の気になることにとらわれてしまって、これまで継続してきた本来のことに自ずから邪魔を入れ、続けてきた価値あると考えるものを中断してしまうことがある。つまり継続ということは、毎日ある時間に何かをすることであるように、日々少しずつ積み重ねる性質のものである。したがって一回ごとではそれ自体は些細な習慣にすぎない。そのため突然目の前に現われる重要なことや新しい不意の出来事は、私たちの心を強くとらえてしまい、大事で優先的な事柄に見えてくる。そうなると継続してきたことが、瑣末でとるに足らない行動のように感じられ、習慣に対して疑問が生まれる。日々の習慣とこれまで隠れていた現実との間の優劣のアンバランスからくる心境が、継続を良しとしてきた心を不愉快にさせるのである。
 そしてこの一定の習慣の継続そのものが、別の選択をしていた方が正しかったのではないか、習慣の名のもとにこれを放棄していたのではないかということを覚る。重大なものへの関心を忘却し、取り返しのつかない状況にあることを後悔するのである。
 何を人生の習慣とするかについての選択は、そんなに簡単なことではない。自分のことと他人のこと、仕事と私事のこと、そのほか人生における選択と継続から生じるもろもろのアンバランス、そこから必然する実生活での結末のむなしさ。重要と思ったことが重要でなくなり、他人まかせのことが自己がなすべき大事なことだったりすること。
 「賢なるかなかいや、・・・陋巷ろうこうに在り。人はそのうれいにえず、回はその楽しみを改めず。賢なるかな回や。」
 回は果して賢なりや・・・。

(2016.1.10 記)