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イッセイエッセイ

1106号 書評について

2016年01月18日(月)

 書評とは、著者とはやや別の世界の人たちが、ある著書をおおまかに紹介しながらその面白さをのべ、読者に一読を薦めるのが典型的なタイプのものである。したがって書評だけ読んでも、その書物の要点がわかるようにでき上っており、書評は便利である。また読むに値しないような本は通常は書評されることは少ないので、読者にとっては当り外れが少なく信用の面で無駄が省けるという効用がある。なお、新聞によって書評のタイプがかなりちがうので、新聞をどう選ぶかの問題と同じ問題がそこにある。
 さてそもそも書評が何なのかをつきつめてゆくならば、どういうことが言えるだろうか。書評された当の書物も誰の力も借りずに空から創作されたものではないのだから、小説であろうと論文であろうとそれ自体が一種の書評に近い性質のものなのである。その証拠に、大抵の著作物には多くの参考文献や引用が記されている。また表面には表われなくても著作の動機や考え方の重要な部分が他の作品から触発されていることが多大なように、あらゆる著書は広い意味での注釈であり書評とみなすこともできるのである。勿論その例外も希にはあるだろうけれども、そういう作品があるとしたら偉人の作である。
 つまり頂上に高く輝くような名著名作は、世に僅少かつ貴重なのであって、それほどの水準でなくとも情報が良く調べられうまくまとめられた書物は、それをもって大きな業績としなければならないのである。したがって娯楽ならばともかく、読書は出来るだけ詰らない書物を目にしないことが大事な一番の読み方の技術になる。
 このような意味で書評は読者にとって、決して一種の立ち読みにはあらず、上質のリサイクル衣料のようなものである。その中から自分に合った物を手にとれば、誰かが袖を実際に通したかどうかは別にして、その著書を読むとき新品でありながら、すこぶる着心地の落ち着きを感じることができるのである。

(2015.12.27 記)