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1099号 日本の近代化(宮崎市定全集)

2016年01月06日(水)

 東洋史家の宮崎市定(1901―1995年)は、「中国のめざめ」(1967年)という著作中の、とくに「日本の立場」という一章において、東アジアの中で同じように西洋の影響を蒙りながら、日本だけがいち早く近代化を達成したのはなぜか、中国がすこし遅れ、他のアジア諸国は独立後20年余たつにも目途が立っていない原因はどこにあるのかを論じている(なおこれは1960年代後半における見解であり、現在に至っては東南アジア諸国はほぼ近代化したと見るべきかもしれない)。(宮崎市定全集16巻「近代」から)
 そして、日本の近代化の解明のためには当時流行していた唯物史観よりも、むしろ精神史観の方がより多く役に立つとして、以下のように論じている。(傍点は小生)

 植民地問題について、
 「16世紀以後広く行なわれたアジアの植民地化は、ただ植民国家に対し悪口をいっただけでは少しも歴史の解明にはならない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すべて歴史現象は相対的なもの・・・・・・・・・・・・・・であって、植民地化という現象については、植民地化された側にも問題・・・・・・・・・・・・があったのだ。そしていったん植民地化されると・・・・・・・・・・・・そこに植民地根性という悪い性質が根強く植えつけられてしまう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・のである。だからこそ、太平洋戦争を機会に、千載一遇の幸運で独立をかちとりながら、日本に向って賠償を請求するという、取れるものなら何でも取ろうという、さもしい根性を露呈する。アメリカがそんな勢力を盛りたてて指導者の地位につけ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・その下で・・・・近代化をけしかけても成績の上がらぬのは当り前・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・であって、せっかくの援助資金は、それこそ黒い霧となって消えていく。独立後20年たっても、まだ近代化のめどが立たないのも当然の結果である。このような植民地根性から立ち直るには、そうとう長い時間がかかると見なければなるまい。」(同全集257頁~)
 このあたりについての世界史教科書での記述は、時代がやや20年ほど新しい時点に下るが、「発展途上国にみられた開発独裁や軍事政権あるいは長期政権は、1980年代にはいってその数を減らし、複数政党や民主化がひろがってゆく」(山川出版社2006年370頁)となっている。同時に米ソ冷戦体制の規制力がおとろえたことを背景に、「地域的覇権をめざす国際紛争、民族主義や宗教対立による内戦やテロ活動が多くおこるようになった。また既存の国家内でも、不当に扱われてきたと考える地域の抗議運動、自己主張を強める地域主義の動きもふえてきた」(同)などと記述している。以下教科書ではそれぞれ地域や国々の近代化の状況をあれこれと何故を省いて羅列して記述してゆくのは、いかにも教科書的なのである。
 こうした教科書の説明では、歴史的にその背後にある成程と思わせるような解釈に欠如がみられるのであって、宮崎市定が1960年代までの発展途上国における植民地の精神構造をはっきり述べる姿勢は、現代においてはなお検討がいるにしても、ともかく歴史理解の道筋としてはわかりやすい。

 次に日本の明治維新について、
 「日本の明治維新はそんなものではなかった。日本が開国の決意をきめたとき、それはまったく孤立無援・・・・・・・・で、虎のような狼のような白人列強に取りまかれ、四面楚歌を聞く思いであった。援助資金などというものは・・・・・・・・・・・・一文だって貰える時世ではなかった・・・・・・・・・・・・・・・・のだ。できれば頼りにしたい同じ黄色民族の清国や韓国は・・・・・・日本の進歩主義政策に対して・・・・・・・・・・・・・あらわな敵意を示し・・・・・・・・・て憚らなかった。日本の頼むところは・・・・・・・・・ただ自国・・・・自国民よりほかになかった・・・・・・・・・・・・。その指導者のなかには、ふさわしくない人物ももちろんいた。しかしながら、初めから失敗後の亡命生活を考え、性質のよくない金を外国銀行に預金しておくような企みをするものはひとりもいなかった。失敗したらそれまで、江藤新平や西郷隆盛のように死ぬなら日本国内で死ぬのだ。日本にとって幸いなことには幕府三百年に近い平和のあとで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・庶民教育が相当高度に普及していた・・・・・・・・・・・・・・・・。養蚕業が、国民の低賃金ゆえに、生糸を世界的商品として有望たらしめるまでに発達していた。(以下略)」(同258頁)
 さきの著者の言う「精神史観」から論ずべきだという論拠からやや分りずらい点もあるが、要すれば幕末維新期の日本の国民精神は、独立不羈であって指導者たちも拝金利己主義ではなかったこと、また一般庶民にも基本的な教育がきちっと行きわたっていたこと等を強調している主張のようだ。その結果、「ともあれ明治20年ころには日本はすでに各方面における近代化の布陣を完成していた」(同頁)という日本の歴史の特色であるというのである。

 ついで日清戦争について、
 「日清戦役は、なんといっても立憲国と専制国との間の戦争・・・・・・・・・・・・・であった。そして結果として、立憲国日本が勝ってよかったのである・・・・・・・・・・・それが同時に中国人民のためにもなった・・・・・・・・・・・・・・・・・・。もしもあのとき、清朝の方が勝っていたら、東亜はいったいどうなっていただろうか。清朝は同治中興のつぎに、もう一度の光緒中興を謳歌したであろうことは疑いない。そして韓国も、もう一度、三百年前の清の太宗による征服の苦悶を味わされたことであろう。」(同258―259頁)
 日清戦争は、朝鮮問題をめぐっての両国の対立から発生し日本の勝利に帰すのであるが、それにつづいて、日本のみならず他の諸国とも朝鮮が開国するきっかけとなった江華島条約(1876年)に関して、山川出版の教科書(275頁)では、日本軍が挑発して朝鮮との軍事衝突を起し不平等条約をおしつけたといった説明になっている。しかしこれでは発端となった東学党の乱に対し、日清の両軍が何故ただちに出兵し衝突しなくてはならなかったかの事情や戦役の意味が不明となり、両国とも朝鮮に利害があったので争ったという程度の理由と評価になってしまうのである。

(2016.1.5 記)