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1093号 教科書と授業の間(歴史)

2015年12月26日(土)

 ここに中国・清代におけるキリスト教の布教と禁止に見る経緯を扱った二つの歴史的説明がある。最初のものは山川出版社の教科書「詳説世界史B」(2006年)、もう一つは「宮崎市定全集16巻」の「東亜の近代化」(1952年)からのものである。
 教科書―「清朝はイエズス会の宣教師を技術者として重用した。(中略)イエズス会宣教師は布教にあたって中国文化を重んじ、信者に孔子の崇拝や祖先の祭祀などを認めたが、これに反対する他派の宣教師がローマ教皇に訴えたことから典礼問題がおこった。教皇はイエズス会宣教師の布教方法を否認したため、これに反発した清朝は雍正帝の時期にキリスト教布教を禁止した。」(同書177頁以下)
 全集―「ジェスイット派の宣教師は中国におけるキリスト教伝道の草分け・・・・・・であり、それがいかに困難なものであるかを体験した・・・・・・・・・・・・・・・・・ので、中国の古い伝統との摩擦を極力さけよう・・・・・・・・・・・・・とつとめ、みずから中国人の衣服をまとい、中国語、漢文をならい、信徒が中国社会におこなわれる儀式に参加することをも黙認した・・・・・・・・・・・・・・・。ところがジェスイット派におくれて中国布教に参加したフランシスカン派、ドミニカン派の宣教師たちは、このジェスイット派の態度をみて、異教徒の信仰、すなわち迷信を承認するものであると非難して、ローマ法王に告訴した。このときの中心問題は、中国人が天や祖先や孔子などを拝するのは、単なる儀式であるか・・・・・・・・・あるいは宗教的意味を含む迷信・・・・・・・・・・・・・・であるか、ということであった。ゆえにこれを典礼問題という。ローマ法王はこの裁定に当惑・・・・・し、なんども異った教令・・・・・・・・・をだしたが、最後に・・・中国人の天などの崇拝は迷信であるからキリスト教徒たる以上は、その儀式に参加してはならぬと判決した。この問題はもともとヨーロッパにおける宗派の派閥の争いが飛び火・・・・・・・・・したものであったが、康熙帝はローマ法王の態度を怒り・・・・・、ジェスイット派以外の宣教師の入国を禁止する命令をだした。康熙帝の子、雍正帝は朝廷に仕える宣教師のほかはすべて国外に放逐し、また中国人民のキリスト教に改信することを厳禁した・・・・ので、キリスト教の伝道はここに致命的な打撃・・・・・・・・・をこうむることになった(1723)。」(同全集11頁)<傍点―私>
 同じ問題について二つの違った説明を並べた趣旨は、歴史(この場合は世界史)の授業が、教科書に書かれた文章記述だけでは、因果関係の説明や登場する人々の利害感情ないし心理状態がいきいきと理解できない点を示したかったからである。教科書の方は限界と言ってしまえばそれまでだが淡々と書かれているので、そうした歴史的場面の立体感は浮び上ってこない。教師の授業はこうした点(傍点の部分)を説明し、あるいは背景知識をあらかじめもって、一定の時間の中で授業を効率的に行うことが要求されよう。
 そして宣教師たちの振舞いから引出せる歴史的教訓は、理念にとらわれすぎたり内輪もめをして争うのでは、かえって共通の利益を失ってしまうということ、また後から難なく入ってきた人々は、先人の苦労がわからないのでつまらぬ愚行に及ぶということ、さらに歴史上の大事な事件は一挙に方向が決まるのではなく、そこまでに幾つかのやりとりが必ず起ること、などの諸点であろう。
 歴史の教科書では、そうした面白さが省略形になっているので、学習を急ぎすぎず一寸とした関連の補足や身近なヒントが加えられると歴史教育がよくなるのではないかと思う。

(2015.12.23 記)