西川一誠後援会サイト

イッセイエッセイ詳細

イッセイエッセイ

1092号 江藤淳から三題(伝統、日本語、健康)

2015年12月26日(土)

(伝統について)
 「伝統の感覚とは、すべてのものに過去の影が付着していることを、そしてこの影が歴史年表やいわゆる科学的史観の分類棚の上にではなく、まさに現在の上に投影していることを感じとる感覚である。」(「歴史と伝統」1965年 江藤淳「旅の話・犬の夢」2014年講談社文芸文庫から)
 第一題は、江藤淳(1932―1999年)が水と日本民族の伝統を論じたもの。1964年の夏に、東京に水不足が発生したらしいのだが(学生の頃の話だが、あまり当時を憶えていない)、フロはおろか顔も満足に洗えない、外国人に対してはずかしい、オリンピックになったらどうする、などと文化人や婦人評論家たちが、実際的、日常的な次元でしか新聞に対してしゃべらなかったらしい。そこで江藤淳は、水と日本人との民族的な持続関係や価値の大事さと言うようなレベルで誰も論じていないのは、日本人の心や文化の点から大きな問題ではないかと嘆いているのである。そしてその夏は8月末の大夕立によって、一挙に水不足が解決された。まさにこのことは、モンスーンという日本の地理の特徴と水にまつわる民族文化と切りはなせない伝統の問題を如実に物語っていると述べる。
 やや大仰な意見とも感じるが、やがて大きな夕立や台風が来れば一挙に大丈夫、天乞いでもしたらどうだ、といった民族的達観と余裕というものが今はない、という意見だったのかもしれない。
 また関連して次のようなことも書いている。今ならばTPPなど何するものぞ、の主張になろうが予想している将来像は今や切実感がある。
 「黒船がきたときも、マッカーサーがきたときも、日本人は米をつくっていた。将来、いくらパン食が普及してもいくら農業人口が減っても、やはり米をつくり続けるであろう。もし『近代化』を推進するために稲作はやめて果樹を植えろというような愚論がまかりとおって、日本中に一枚の田がなくなってしまったとしても、まだこの持続―つまり太陽と水を根底とする民族の持続は遮断することはできまい。それは、モンスーン地帯の北端にあるという日本の国土の位置を、人間の手で動かすことはまずできないからである。」(同)

(文章語について)
 第二題は、日本語と英語の構造力のちがい。
 「このごろ日本語の文章語はまだ完成されていないと思うことがしきりである。(中略)その証拠に、われわれ原稿を書いて暮らしを立てているものが、編集者から文章を直されているということはほとんどない。つまり、今日の日本には、名文と悪文、明晰な文章と意味もなくわかりにくい文章とをよりわける規範が存在しないのである。」(「文章語について」1966年 同文庫から)
 「いたるところに編集者の朱筆のはいったフォークナーやスコット・フィツジェラルドの原稿を見たりすると、作品の価値を判断するものさしとは別に、編集者に文章語の規範に対する確呼たる見識があることを認めないわけにはいかなくなる。これは、いいかえれば、現代英語のほうが現代日本語より国語として完成されているということである。つまり英語の文章語のほうが残念ながら今日の日本語の文章語より表現力が豊かで深いのである。」(同)
 英語の方がより完成されているとか、表現力が豊かで深いというような、両語間での優劣比較まではできないのではないか。実用的な英字新聞を読んでも、シャーロックホームズなどを読んでも、日本語に比べて英語がそうした感じをわれわれに与えてくれるとは思えない。しかし、「ふるさとの発想」を英文に直したとき、日本語に比べて英文の方は、単純かつ実用的な文章になってしまい、日本語で表わそうとしたニュアンスがまるででないといことを体験した。これは英語を十分書く能力がないことだけが理由ではないように感じる。
 「日本の文章語の表現力をたかめ国語を完成に近づけるのは、もちろん私ども文章を書く者たちにあたえられた仕事であろう。が、それと同時に、学校での作文教育が真剣に再検討されなければならないと思う。」(同)
 仮名づかいや漢字のまちがいがないように教える正字法はあっても、「正文法」は経験からいって国語教育にはなかった。
 日本語は言葉を次々とつなぎ、動詞の変化や助動詞によって時制や態が変る。文型ははっきりしないし、語順もかなり融通無碍である。日本人の感覚がそういう問題に重要性を置かない以上は、はっきりさせるといっても難しいと思われる。英語の方は語順によって意味を作っているから、英語として文章の構造がぐらぐらではまず困る。要するに日本語は、書くときの気分で形態が変りうるし、そもそも他の日本文化においてと同様、その「あいまいさ」が日本のシステムの性格ないし良さなのであるから、まともな比較はどうかということである。
 しかし単なる「綴り方」ではなく、教育として実用的で単純さの感じられる日本語の文章を作る作法を標準化するのは、やってできないことではないとも考える(この文章もぐらぐらで英語には訳しにくかろう)。

(健康について)
 第三題は、日本人の健康と病気の考え方。
 「私の経験したかぎりでいえば、アメリカ人はこの点では私たちと正反対である。彼らが病気について立ち入った話をしないこと、強情我慢で他人の前で弱音をはかぬこと、さながら古武士のおもむきがあるといわざるを得ない。これにくらべれば私たちは、まるで一年中身体のぐあいをうったえつづけている腑ぬけの集団のごとくである。これは日本人がアメリカ人に比べて不健康だからだろうか。あるいは日本人がアメリカ人よりだらしがないからであろうか。多分幾分かはその両方であるにちがいない。」(「病気の話」1969年 同文庫から)
 「私たちは自分が『弱く』病気がちであることを誇示して他人の警戒を解き、うまく行けば他人にいたわられようと考えるのである。だがいったい、自分は弱い人間だといいつづけていなければならない社会とは、どんな社会であろうか。それは一本立ちのおとなが保護されることを求め、独立の気概が尊重されず、強情我慢よりは非生産的な愚痴が大向こうにうけ、ひがみ・・・が正義の衣をまとい、結局無責任と不自由がはびこる『病的』な社会にほかならないということになりはしないであろうか。」(同)
 日本人が、年輩の者のみならずひろく「壮年客気」の連中まで、天気と同じように病気のことを社交の話題にするのは、おそらく人間関係が内密な社会に生きているからであって、互いに助け合う世間の中にずっと生きてきたからではないか。ハリウッドの通俗なTV映画を見るとわかることだが、彼らは病気のことよりは恋愛や金もうけ、結束事がどうしたといった話しが中心であり、そういう社会の成り立ちなのである(日本の最近の映画も同じだといってしまえば、理由づけにはならないか)。

 巻末の年譜によれば、著者は五歳のとき実母が結核で死去(27歳)、19歳のとき結核休学している。以下年譜の最後のところだが、1998年(平成10年)66歳のとき正論大賞をうけ、二月の贈呈式に夫婦で出席している。同年三月に義母が死去(86歳)、十一月に妻死去(64歳)、翌1999年(平成11年)6月に脳梗塞の発作があって一か月近く入院、7月7日に「妻と私」を刊行、そして7月21日に、江藤淳は自殺されている(64歳)。

(2015.12.19 記)