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イッセイエッセイ

1091号 注意力

2015年12月22日(火)

 教育の世界においては、子供たちに対し無理難題な「力・ちから」をいろいろと要求しがちである。力のうちでは例えば、生きる力、探究力、問題解決力などはすこぶる上級な方の力である。最も基本的かつ総合的な力の表現としては、学力・体力や徳力(こうは言わないか)があり、ここから始まって基礎力、応用力、思考力、判断力、読解力、計算力、そして最近は表現力、コミュニケーション力etcなどがある。そしてこれには尽きない。なお行動力や実行力はなぜか教育の現場ではあまり使われない。教師や学校に必要な力だからかもしれない。
 こうした教育の世界の中で次々と発明あるいは発見されてきた諸々力は、数と種類があまりに多くてこまってしまうのである。しかしこれらの力の意味は、子供たちが或ることを満足にできるかできないか、を言っているに過ぎない。そしてできないのは、○○力が不足しているからだと、その力があれば問題が解決するかのような展開をするのである。
 こうした思考法に抵抗するため、敢えて名の知れた諸々の力から仲間外れにあって余り目立たない1つの「力」をここに提示したいと思う。この力の名前は、教育の要領やマニアル、教宣資料、教育本などにおいては、至極当り前すぎてか殆んど見当らない。それは注意力という「力」である。強調の意味でここでは便宜この言葉に力をつけたまでである。「よく注意すること」、「注意散漫にならないこと」と表現するだけで十分なのである。われわれは幼い時からこのことをよく「注意」されてきたのである。
 よく注意する習慣をもつ子供に育てることは、教育を成功に近づける最も基本となる事柄であると思う。
 大抵の失敗のもとをたどると、注意が欠けていることに由来することが多い。入試の不出来も学力不足よりは実際面では注意が足りないことに問題があったりする。大震災のときの原子力発電所の事故も結局のところ、その原因は「不注意」ないし「油断」によるものと思われる。この注意する「力」は、他の諸力に比べて才能や素養をそれほど必要とするものではない。心の持ち方における「親切」と似たところがある性質である。地道に教育することにより誰にでも習慣化させることが可能であり、より注意できる子供にすることができるのである。そして注意するように教師が子供に注意しなければ積み重ねができないのである。
 たとえば、目の前のことに集中して注意をそらさないこと/他の人が話すことに注意を向けること/忘れ物や忘れ事をしないように気をつけること/何かをし終ったときあとをふりかえること(後かたづけ、算数の検算)/分かったと不注意に早合点をしないこと/記憶できたとおもったことを、くり返して記憶すること、などなど

(2015.12.19 記)