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イッセイエッセイ

1090号 得がたきは是れ人才―梅田雲浜伝

2015年12月22日(火)

 年もおしせまってきたが、今年は梅田雲浜(1815・文化12年―1859・安政6年獄死)の生誕二百年にあたる。小浜市では、顕彰祭をはじめ記念式典や演劇などの記念事業が行われたようだ。事業の中には小浜市郷土研究会(編)による「明治維新の扉を拓いた梅田雲浜の実像に迫る」(探究社、平成27年9月)の発刊もふくまれている。
 また今回、前小浜市長が「梅田雲浜の人物像」(村上利夫著2015年1月、友月書房)を発刊され、すすめられて一読した。
 読後感としては、雲浜先生の人物像つまりその一貫性、先駆性、構想力、円熟性などにおいて卓越しており、江戸末期の志士中で第一級の人物と言うべきであり、さりながら世に相応の顕彰がせられていないことを知り、遺憾に思ったのである。
 横井小楠を越前藩に結んだのは梅田雲浜であったし(本書中の高木不二氏の見解)、また小楠に橋本左内を紹介したのも雲浜だった、ということなのだ。
 長州藩の財政再建のため、関西との殖産交易を助言成功させたのも雲浜であり、吉田松陰や久坂玄瑞も雲浜に深く心酔兄事している。そのほか多方面の人士に強い影響力を与えた人物であることが本著に書かれている。松下村塾の看板の揮毫もそれゆえ雲浜の手になる。
 梅田雲浜の人物や業績のここに仔細は略すが、雲浜の以下の考えはとくに現代においても重要であろう。
 「―然るに方今ただいま得がたきは是れ人才に候。国の強弱は人物の多少にこれ有り。人才を棄て而しては強国はこれ無き候。―」(雲浜が小浜藩士の鹿野蹇斎に与えた安政元年の書簡から)(本書87頁)
 われわれは昨今、企業経営や市場主義的な観点に立って、無意識的に人の不足や確保などの問題を人材と称して是非を論じがちである。しかしむしろこれからは、人口減少の時代として人々の能力を育て生かしてゆく意味から、手段としての人材ではなく雲浜の言う「人才」を言うべきではないかと思う。

(2015.12.12 記)