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イッセイエッセイ

1087号 記憶と歴史

2015年12月15日(火)

 昨日4日は、福井市内でも初雪がうっすらあった。平年より2日遅い初雪の観測と、今朝の朝刊に写真入りで報道している。
 しかし庭におかれた鉢植えの枇杷の木だけは、秋が冬に向っても濃緑の葉を元気に伸ばして、むしろ全体の姿も大きくなっている気さえする。
 枇杷を眺めるとき、いつも想い出す風景がある。四国の香川県に勤めていた頃のことであるから、もう三十年も以前のことになる。
 会議があったのだと思うが時間があって、冬でもそう寒くない高知の街中を歩いていたとき、ふと屋敷の塀の向こうに青々と植物が伸びている姿に目がいった。めずらしく思ってよく見ると、羽毛に包まれたような白色をつつんだ黄褐色の、花らしくはないが花のようなものが葉の先端に咲いているのであった。後でこのことを誰かに聞いたのか調べたかして、枇杷の花であることがわかり、夏の果物なのに真冬に地味な花を咲かせ長い日数をかけて果実になるものだと感心したのである。
 それ以来、枇杷の木を見るとき、のみならず、他の樹木の花を見たときにも、この時の風景が蘇ることがあるのである。昨日も庭の枇杷の木が青々としていたので自然に注意が向いて、又いつもの記憶の経路をたどることになったのである。
 私の記憶の習慣について言えば、記憶はいつも大体同じようなつながりで再現し、これは私だけの独特なものであるわけだ。それにしても共通性をもたない個々人の記憶であるはずのものが、ある形になって集合した場合には、一つの意味や力を持つようになり、記憶が客観的に運動をはじめてくるのは何故なのであろうか。
 過去にどんなことがあったのかは、一人ひとりに自らの体験があり、個々人の中では記憶として想起される。同類の記憶が多数となりそれらが累積されてくると、過去の出来事がつくられ、事柄によっては歴史な意味を持って存在してくる。
 しかし、過去の実際は、もうどこにも事実としてあるわけでない。言葉の記録や写真の映像や建物の残りなどは、証拠のような形式で存在してはいても、事実そのものは存在していないから、その時の人々の声の響きや光景、雰囲気などは感じることはできない。
 過去のことは、確かにあるにはあったはずだが消え去っている。それらがもし私自身の記憶に関係なければ、彼らの記憶やそれにむすびついた事柄や場所などから何かを教えられたりはしても、あるいは想像を加えて近づくことはできても、他者たちの記憶については自分のものほど親しみはもてない。
 終戦直前に子供たちであった今の老人たちの疎開の記憶などを例にとるとき、同じ時代の仲間たちがほとんど少なくなった今はその共通の記憶の力さえ弱くなり、以前ほどこれらの想い出を語ったり強い感情をよみがえらせることはだんだんできなくなる。
 過去が現在であるかのような有効期限も、その時代の苦楽を共にし、似たような利害の中に生きた人たちが世を去り、さらに彼らの記憶をじかに聞いた人たちまでもが少なくなった時代になれば、歴史からしてはそれほど遠くない過去であっても、過去としての現在性の権利を失うことになる。
 パスカルに「自分についての証言には価値がない」という言葉がある。また「証人に必要な資格は、つねに、あらゆるところに存在して、しかもみじめな境遇にあることだ」という言葉もある(パンセの冒頭断章)。みじめな・・・・境遇になりながら、あらゆる・・・・場所において自分の得にならない・・・・・・ことを証言しつづける証人は、信用できる証人であるという意味である、と「パンセ」の解説には書かれている(傍点―私)。
 またこうも言っている。「自らの思いを吟味してみるがよい。それがすべて過去か未来に占められているのに気づくだろう。われわれはほとんど現在のことを考えない。考えるとすれば、未来を思い通りにするための光明を引き出すためだ。現在は決してわれわれの目標ではない。過去と現在はわれわれの手段である。ただ未来だけが目標なのだ。こうしてわれわれは決して生きていない。生きようと願っているだけだ。そしていつでも幸福になる準備ばかりしているものだから、いつになっても幸福になれるわけがない。」(断章47)

町や庭に咲く花木の記憶などは、生死をわけた戦争記憶に比べたら他愛無いものだが、枇杷の花のささいな記憶から、とんだところまで脈絡なく脱線してしまった。

(2015.12.5 時雨たる日 記)

 「彼をおぼえている人間各々もまた彼自身も間もなく死んでしまい、ついでその後継者も死んで行き、燃え上っては消え行く松明たいまつのごとく彼に関する記憶がつぎからつぎへと手渡され、ついにはその記憶全体が消滅してしまう。」(マルクス・アウレーリウス
自省録第4章―19)

(2015.12.14 追記)