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イッセイエッセイ

1074号 GDPか幸福度か

2015年10月17日(土)

 私たちは数字や統計を信頼し、役立てようとする。これは数字のもつ特有な力にもよるが、人が作った数字に意味を持たせようとするからでもある。
 しかし、このダイアン・コイル著「GDP―<小さくて大きな数字の歴史>」(2014年)を一読すると、出来上った数値の存在の重みを感じると同時に、長きにわたって世界を動かしてきたGDPというそれぞれの国の数百兆円ベースの数字が、いかに人為的なもので確たる計数ではないものかを知らされる。
 「GDPは自然現象のように客観的なものではなく、人為的につくられたものだからだ。GDPの歴史は浅く、1940年代に生まれたばかりである。それ以前は景気を測定するのに別の指標が使われていたし、それにしても200年ほどの歴史しかない。」(「はじめに」10頁)
 あと本書の記述をもとに飛びとびにGDPの歴史をたどってみると、GDPの対象となる労働の観念についても、18世紀末のアダム・スミスやその後のカール・マルクスは、生産的労働(対象に価値を付加するもの)と非生産的労働という考え方に立っていた・・・19世紀末のマーシャルにいたって、富(国民所得)には非物質的な富(サービスのこと)もあると考えるようになった・・・第二次大戦前の1930年代の米国において、クズネッツ(正確な情報を用いて米国の国民所得計算を行った業積でノーベル賞を獲る)は、「軍隊や大部分の広告費」、「金融や投機に関する出費の大半」、「都市文明特有の巨額な費用」をコスト・必要悪として国民所得から差引くことを主張している(しかしこの考えを国の経済規模を縮小するとして米国は採用しなかった)・・・。このように続く。以下また引用する。
 「見逃してはならないのは、GDPがなければケインズ派のマクロ経済理論は戦後経済政策の基本原則になりえなかったという点である。福祉を重視するクズネッツのやり方が廃れ、政府支出を組み込んだGDPが開発されたことによって、国の経済における政府の役割は大きく変化した。GDP統計とケインズ派のマクロ経済政策は車の両輪であり、1940年以降のGDPの歴史はそのままマクロ経済学の歴史だった。GDPという経済統計が用意されたおかげで、需要管理という考え方が実行可能で科学的なものとみなされるようになったのだ。」(第1章「戦争と不況」26頁)
 同じくイギリスの国民所得計算の開発でノーベル賞を受賞したリチャード・ストーンの言葉を著者は引用して、「国民所得は『それ自身で存在する事実』ではなく『経験的につくられた概念』でしかない。『所得を突き止めるためには、所得という概念を導き出すための理論を仮定の上に組み立て、この概念を一連の事実と対応づける必要がある』。GDPは、実世界に存在して経済学者に計測されるのを待っているような実体ではない。それは抽象的な概念であり、半世紀にわたる世界中の議論と標準化の試みを経ておそろしく複雑になったものだ。」(同章30―31頁)
 GDPは自然の中に存在するような事実に関する数字ではないというのである。
 「世の中の多くのことがそうであるように、失敗の芽は成功自体の中にひそんでいた。(中略)そもそもGDPというものが、それらの政策のハンドル操作で(少なくとも短期的には)増加するようにつくられている・・・・・・・という事実だった。GDPの定義を支えているのは、ケインズの考えた経済のモデルなのだ。」(第3章「資本主義の危機」69頁)
 戦後から1970年代半ばまでGDPの黄金時代(第2章に記述)を経て、1970年代の資本主義の危機には、いわゆるスタグフレーションが、革命思想、頻発するストライキ、公共支出の膨張、減税の圧力、金利引下げ、共産主義の脅威感などを伴って発生する。人口爆発と地球環境の問題、貧困と新興国への戦略的支援が国際的な課題となったが、これらの対策は継続的なGDPの成長に寄与することはなかった。
 新たなパラダイム期(1995―2005年)に入り、レーガン、サッチャーなどによる規制緩和戦略、民営化、労組の弱体化等のサプライサイドの経済理論が主流となる。これと偶然かつ同時的にコンピューター革命が進行する。そしてGDPの金額積算に、コンピューター、金融イノベーション効果などのサービス価値をどうとり込むかが課題となるに至る。
 そしてGDPと豊かさや幸福との関連が、問われはじめる時代となる。
 「豊かになったという事実そのものが経済成長の結果を見直すきっかけになったのかもしれない。結局のところ、衣食住が満ち足りていて、自由に使える時間があり、本を読んだり話し合ったりするくらいの余裕ができて初めて、人は日々の生活の労苦以上のことを心配できるのだから。」(第3章75頁)
 「データー面での根拠の弱さにもかかわらず、幸福ブームはどんどん広まった。もう十分豊かなのに経済成長を追及するのは愚かだ、という考え方が人々の心をとらえたのだ。ただし忘れないでほしいのだが、そもそもGDPで測られるのは生活の豊かさではない。経済学者はそこを混同しないように自戒し、人々にもそう呼び掛けてきた。」(第5章「金融危機」119頁)
 筆者は、はじめからしっかりと認識してほしいのは「GDPが生活の豊かさを図る指標ではないという事実だ。」と断っている。(第1章「戦争と不況」47頁)
 「なぜ『経済』はどこかの時点で大きく見直されなくてはならないのか。その理由はすでにいくつか述べたが、なにより大きな理由は、経済が物質的なものから形のないものへと変化しているからだ。質の向上と選択肢の増加を考慮しつつGDPの数字を『量』と『価格』の要素に分解するのは、ただでさえ厄介な試みだった。」(第6章「新たな時代のGDP」147頁)
 「とくに意識してほしいのは、GDPと豊かさが別物であるということだ。経済の変化によって、GDPと人々の豊かさとの隔たりは以前よりも大きくなった。商品の多様化とカスタマイズはますます進み、クリエイティブな職業では仕事と遊びの境界線が薄れてきている。こうした変化が意味するのは、GDPが人々の豊かさを十分捉えられなくなりつつあるということだ。一般にはGDPが生活水準を過大評価しているという印象があるかもしれないが、実際はその逆のように思われる。」(同147頁)
 筆者は、GDP概念の歴史と変遷、その限界と課題、新たな経済指標はありうるのかなどと論じてきて、最後にこう締めくくる。
 「GDPは、数々の欠陥はあれど、その霧を通して差し込む明るい光でありつづけている。」(同147頁)
 GDPが政治経済の現実の中でどのようにして作られ、そして何が問題なのかについては様々見方があるにせよ、当然ながらGDPの数値の大きさや伸びが問題なのではなく、国民の幸せとGDPがどう関連するのかが究極の問いなのである。この問いは又わが福井県がこれまで追及し、また人口問題と関係づけて取扱おうとするテーマなのである。ややくり返しになるが、筆者は第5章で「GDPか、豊かさか」の章段でこの点を整理している。
 「幸福を測ろうという動きは、データー面では2種類のアプローチに分かれている。ひとつはリチャード・イースタリンのように、マクロ的な経済データーからその傾向を探ろうというもの。そしてもうひとつは、幸福度調査に対する人々の答えと、それぞれの人が置かれた状況とのあいだに統計的相関を見いだそうとするものだ」(第5章118頁)
 GDP概念とは別に、「豊かさ」を測る指標を見つけだす方法として紹介されているものとして、HDI(人間開発指標)、MEW(経済福祉指標、ノードハウス、トービンによる 1972年)、ISEW(持続可能経済福祉指標、デイリー、コップによる 1989年)、「よりよい暮らし指標」(BLI)(OECDによる)があり、ほかにオーストラリア発展指標などもある。
                      (ダイアン・コイル「GDP」高橋璃子訳 みすず書房2015年)

(2015.10.3 記)