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イッセイエッセイ

1067号 優秀な子供をいかに生み出すか(リプリー「世界教育戦争」)

2015年09月19日(土)

 著者は「データーのない意見など、もう結構です」というPISAを考案したアンドレアス・シュライヒャー氏の言葉を何度か引用し、実証的な教育論の必要を説く。
 「訳者あとがき」によれば、著者リプリーはアメリカのジャーナリストである。2000年から3年おきに実施しているOECD主導のPISA(生徒の学習到達度調査)において高得点をあげているフィンランド、ポーランド、韓国に交換留学するアメリカ高校生の体験記録をもとに、各国の詳しい教育データーの分析や資料収集を加えたルポ形式の報告が本書の内容である。
 なお訳者の北氏は、海外の事例に影響をまともに受けて、「改善」することが善であり現況の教育はすべてが悪、というような図式の分析に欠ける教育論や計画に対しては注意を促している。
 なお、本書の日本語タイトルは刺激的な表現になっているが、原題はThe
smartest kids in the world and how they got that way(Amanda
Ripley)であり全く違っている。さらになお、不正確ながら記憶として再現できる本書の中のキーワードには、教育大国、褒めすぎ、多様性由来論、自制心、スポーツ、能力別編成、学校外要因、特製腕枕、ヤジャ(夜自)、ハグォン(学院)、学習塾取締り、数学教室の電卓、早朝補習、論文学習、学校食堂など。
 以下、関心の向いた部分を引用し、私見を付した。しかし本書の主要な部分は高校生の体験であり、引用はごく総論的な部分にすぎない。ともあれ著者のリプリー氏に、一度福井の教育を見てもらいたいような気がする。 

 「PISAが示して見せたのは、とうにわかってもおかしくないのに明らかにされていなかった事実だった。つまり、教育にお金をかけたからといって子供が賢くなるわけではない、ということである。すべては(そう、すべては)教師、親、生徒がその投資によってなにをしたのかにかかっているのだ。」(第1章29頁)
 PISAがアメリカの教育に与えた衝撃は大きかったようだ。無名に近いと思っていた小さい国にも劣っていたからである。アメリカは教育装備に多く資金を投入しているというデーターがでているが、著者はお金と教育の相関が世界比較でも高くないことを語っている。

 「テストの結果を時系列に調べると、フィンランドの子供たちは生まれながらにして賢かったのではなく、ごく最近になって賢くなってきたらしかった。場合によっては、一世代で変化が生じる場合もあった。」 (同30頁)
 一国の学力の変化は比較的短い年数で変化(上昇)しうるということを実証的に述べている。日本における各自治体の教育や学力はやり様によってもっと変りうることを意味する。制度的な変革があれこれなされても、確たる教育上の目的をもった心懸けがどう変わるかにかかっているということか。

 「1980年代から90年代にかけて、わが国の親や教員のあいだでは、子供の自尊心を競争(や現実社会)から守ってやることこそが子供の正しい成長につながるのだという意見が雨あられのように飛び交った。なんの証拠も裏付けもないこの自尊心論がこれほどまでに深く根を下した国は、世界中でもアメリカにおいてほかにない。かくして保護者会型の親は、子供の通う学校に精力を注ぎ込むにしても、学業とは関係のないところにばかり、目をつけるようになったわけである。」(第6章 駆り立てるもの163頁)
 日本における「ゆとり教育」、「画一性排除」、「個性重視」などの議論と関連する(実際に影響を受けているかもしれぬ)。

 「もし復職して、死ぬ前に改革をもう一押しできるとしたら、なにをしますか。わたしの質問にハントケは即答した。『教員ですね。なにもかも教員が基礎。優秀な教員が必要なんです。養成も選抜もきちんとして、ね。あとはなにもしませんよ。』」(第7章 変容220頁)
 ハントケはポーランドの教育改革を断行した科学者でもあった教育相(1997―2000年)、彼の回想インタビューである。教育の成否は教育を行う主体である教員にかかっているという強い考え方であり、重要な点である。教育論は子供のことをクローズアップさせて論じがちであるが、教育においては子供は主体であるが、客体性があるということである。

 「『制度がうまく機能している国々では、驚くほど教室内に機器設備が少ないのです。』世界各国の教育を知り尽すOECDのアンドレアス・シュライヒャーはそう語ってくれた。『その理由についてはよくわかりませんが、こういった国々は、デジタル機器よりも教育実践そのものを主眼として努力を注いでいるということのようですね。』」(付録1 世界水準の教育の見極め方317頁)
 世界の教育を比較調査しての著者の結論である。学校が何を装備しているかではなくて、何を思って、何をしているかである、と述べているのである。
 

 「生徒たちに聞いておくべき質問として、ワシントンDCのジョン・P・スーザン中学校の元校長であるドワン・ジョードンからいただいた案を加えておきたい。それは、なにかわからないことがあったときにはどうするか、というものである。厳格な教室の生徒たちであれば、その答えがわかるはずだ。」(同313頁)
 学校の見学や調査をするときの目の付け所(のためのカンニングペーパーと述べている)を著者が付録として記述。「生徒をよく見ること」の箇所である。そのほか、生徒に尋ねるべき最初の質問は、「今あなたがしているのはなにか、なぜ今それをしているのか」つまり、学んでいること、学んでいる目的を生徒に問いなさいと言っている。

  「学校を見定めるうえでは、上に立つ指導者ほどに大事な要因はない。もちろん教員も極めて重要な存在だが、現在の学校制度では、わが子が教わる教員をこちらが選ぶことはできない。そうなると、あとは校長を当てにするしかないのである。」(同318頁)
 上記の学校調査の心得に関して、「校長に難しい問いを投げかけること」の重要性からの引用である。教員の選択方法、教員の指導力の向上、教え方、教育成否の成果、学びの厳格さの確保など学校経営の基本を強調する。
 

 「わたしは他国のどんな点が優れているのかを探る手がかりを得るため世界中を見て回ったが、教育費の多寡、地域権力の強さ、教育課程の特徴などは、重要な差異を生んでいるわけではないようだった。というより、そんなものに大した意味はないらしい。政策がものを言うのは周縁的な部分にとどまることがほとんどであって、根本的な違いはむしろ心理的な面にあるのだ。教育諸大国は、厳格さに対する信念を持っている。また、学校の目的についても意思統一が見られる。学校は生徒が複雑な学科内容を学び取る手助けをするためにこそある、ということだ。ほかにも大事なことがないわけではないが、それでも学業の優位は揺るぐことがない。」(第6章 駆り立てるもの175頁)
 私たちが福井の教育の良さの背景として挙げるいくつかの理由は重要であるとして、さらにその奥にある教師や学校が抱く精神性が大事なのであろうか。その内容分析がさらに必要かもしれない

 「自分の役割を教育上のコーチだと考える親は、子供が幼い頃から毎日読み聞かせをする傾向が強い。子供が成長してからは、身の周りや世界で起きている物事を、一緒に話し合うようになる。また、子供の間違いには寛容に対処しつつ、すぐに切り替えるように促す。できるだけ自律性を与えながら、良い習慣を教え込むわけである。言い方を変えれば、親自身が教師として、厳格さを旨とした行動をとるのだ。この種の親は、我が子には幼いうちから失敗の仕方を学んでほしいと考えている。そしてその失敗のなかから、勤勉さ、忍耐強さ、誠実さ、それがもたらす結果などを教訓として学ぶことが、以後数十年にわたってわが子の糧になるはずだという信念をもっているのである。」
(付録1 世界水準の教育の見極め方315頁)
 この部分はやや観念的な記述になっているが、親が平常からみずから本を読む姿を子供が見て、何が大事かを自然に学ぶのであるというようなことを他の所で言っている。親から子への働きかけが基本であることを主張している。

(「世界教育戦争」アマンダ・リプリー著、北和丈訳 2014年 中央公論新社)

(2015.9.11 記)