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1064号 独裁者の地理的基盤

2015年08月26日(水)

 内藤湖南、桑原隲蔵以来の東洋史学の伝統を発展させたといわれる宮崎市定(1901-1995年)が著した「中国史」は、文庫本(2015年初版、岩波文庫)では上下2冊からなり、中国史の全体がわかる通史である。著者の深く広い学識と明瞭な主張、そして平易な表現によって、中国史の特徴を知ることのみならず、歴史一般を考える際の示唆を与えてくれるものである。
 ここではその中から、「独裁者」について言及されている部分を、歴史的に起りうる興味ある例として、感想をのべ抜粋をしたい。
 われわれがふつう歴史の本を読むとき、「独裁者」といわれるような人物がどういう時に生まれてきたのか、また彼らが歴史上どういう役割と運命をたどったのかなど、時代的背景や歴史的功罪についてはよく論じられることを知っている(709号「歴史における幸不幸について」、711号「偉大について」参照)。しかし、独裁者(近現代前の時代であれば、「英雄」と呼ばれたかもしれぬ)が、どういう場所に生まれるかについて、つまり歴史上の重要人物の「地理的基盤」について本書のように論じたものは読んだことがない。
 「由来独裁者は文化の境界線から現われるものであって、それは相異なる両種の文明、風気によって鍛錬され、頭脳が複雑に働くので、乱世に処して難局を切り抜けるのに最も適しているからである。」(中国史(上)204頁)
 著者の例証として、秦が滅亡した後に項羽と相争って漢王朝を樹てた高祖・劉邦(前247-前195)の出身地は、その当時の華北と華中のちょうど境界域(沛・江蘇省の北端)、後漢の光武帝が河南省の南端の南陽の出身、三国・魏の曹操が安徽省の北端の譙、時代が下り明の太祖は、さらに文明域が南下したことにより、出身地が淮水域の鳳陽の出であると論じる。つまり、古来、英雄豪傑というものは文化の境界地に出現するという見立てである。
 「独裁者が地域の境目に生まれやすい傾向は世界に共通する現象であるらしい。ヒットラーが生まれたのはドイツとオーストリアの境界近くであり、スターリンが生まれたグルジアはキリスト文明とイスラム文明との境界に当っていた。」
 「日本では、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人が揃って尾張、三河から現われたがこの辺は銀使いの西日本、金使いの東日本の境目付近であった。維新の際の西郷や山県を生んだ薩摩、長門は日本の辺境であって、琉球や対馬を通して、海外との密貿易を行って接触を保っていた。乱世に生まれて覇を争うには画一的な教育によって頭の動きを固定されず、物事を相対的に考え、平衡感覚を働かせて現実に即した行動をすることが最も必要なのであった。」(以上は206頁)
 上記の日本の例では、俗っぽく言えば「大河ドラマ」の主要な舞台になる戦国あるいは幕末期に先導的な人物がどういう地域から輩出したかの地理的基盤を示している。もしかして京都大学の記者であった司馬遼太郎も、こうした「中国史」からの思考法を学んだのではないかと想像したくなる。

(2015.8.15 記)