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1062号 文化の受容と達成―続三(宮崎市定「中国史」)

2015年08月26日(水)

(中国人の異文化受容)
 「孫文の場合に限らず、彼に先行する康有為もそうであったが、中国人はヨーロッパ文化を輸入するに当って、決してそれを生のままに紹介しようとせず、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これを自己の身体で消化した上で、自己のものとして発表するのを常とする・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。(中略)孫文は中国古典よりも、西洋医学を主として専攻した者である。その三民主義は主要部分が全く西洋思想であって、従って中国の伝統とは異質なものであるにかかわらず、自己を中国思想から断絶せしめず、正統思想の延長上に置こうと苦心している状態が窺われる。そうしないと、中国社会には受容されにくい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・のである。」((下)289頁 傍点小生、以下同じ)
 「この点が日本とは甚だ異なっている。日本では西洋事物を輸入するには、原産地証明付きの直訳本が尊重される・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。明治時代には新しい学説は必ず、ベーコン氏いわくとか、ニュートン氏曰くとかを付け加えないと尊重されないのが通常であった。明治時代は従来の伝統が断絶した時代であり、古いものは古いがゆえにことさら低く評価された・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。いわゆる文明開化とは、西洋一辺倒、欧米崇拝を意味した。この傾向は現在まで続いて来ている。」((下)289―290頁)

 「すべて物事は一長一短である。日本は国を挙げて欧米を崇拝したればこそ、東洋諸国にさきがけて、いわゆる近代化を急速に成し遂げたのである。もし古い伝統に執着していてはこれは不可能であったに違いない。そしてこの熱意があったればこそ、西洋文化の長所を、ある点までは深く探ることができた。客観的に見て西洋文化に優れた所がある以上、正直にその美点を認めることは、後進国自身にとって有利なことでもあった。」((下)290頁)

 「日本が開国に踏み切った頃は、まだまだ世界は人種差別の甚しい時代であった。その実情は到底今日からは想像できない。その間に立って日本は我を忘れて欧化に専念した甲斐あって、いつの間にか準白人の第一号と認められたのである。(中略)しかしながら実際には、準白人第一号の出現は決して他の東洋人に無関係ではなかったのである。近頃漸く人種平等が観念的に世界で普ねく承認され、次第に実績も上りつつある。しかしこれは、現実に準白人が出現したという実績があってのことである。(中略)ヴェルサイユ平和会議の席上で、日本が提出した人種平等案が葬り去られたのは、そんなに古い昔のことではなかったのだ。こういうことを歴史の概説書に書く人は外にいないであろうが、私は歴史家として、一番大事なことを書かずにおれない義務を感ずる。なぜかと言えば、ヨーロッパ人に任しておけば誰も書くはずはないからである。((下)290―291頁)

(2015.8.22 記)