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1059号 歴史とは何か(宮崎市定著「中国史」)(昭和52年、岩波文庫2015年初版)

2015年08月26日(水)

 著者の宮崎市定(1901―1995年)は冒頭の総論において、「歴史とは何か」を論じている。その要点は次のごとし(小見出しは、著者によるものである)。
(歴史の個性)
 まず第一は、歴史は客観的な学問・・・・・・であるから、誰が書いても同じ結果になるという考えを棄てて欲しい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ことである。((上)13頁 傍点小生、以下同じ)
 上記については、歴史家によって知識の質量や人格には差異があるからという主張かと推量したが、筆者の答えはややちがう。歴史において動かせない事実(年表の類がこれに当る)はある、しかしそれにしても事実の意義(重大性、影響度など)の評価は各人各様である。従来の通説は紹介するが「そのいずれが正しいかは一概に決定されぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・であろう。私は本書を草するに当って、何よりも自己に忠実・・・・・・・・・であろうと努めた。」(同14頁)、と歴史解釈の困難性と歴史家の信念の重要性について決意を述べるのである。

(時間とは何か)
 第二には、「歴史学には時間の評価が大切・・・・・・・・であることを主張しようとする。私はある歴史的な事件が発生するためには、無数の原因があったはずだと考えているが、その原因を結びつけて一つの結果に達するには時間が必要・・・・・・・・・・・・・・・・であった。」(14頁)、「歴史学とは時に関する研究だと言うことができる。」(18頁)、と述べる。著者は人類が火の使用に成功するまでの長い時間の実際を、くわしく例に挙げて論じている。
 ところで人間の性質として、より近い原因の過大視、又、いまは消滅してわからない当時の人々のもつ精神状態の見逃し(ここ十年来のことでも、その時の気分をもう忘れかけてしまっている)など、因果の本当の説明を追うことの難しさがあると思える。歴史家は後からも見るが、同時代人は先が不明なまま見て動くのが実際ではないか。
 「発明、発見は非常にむつかしい・・・・・・・・・・・・・・ことであるが、それを模倣したり、借用したりするのは比較的容易・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なものである。」(16頁)「このような考え方からして、私は必然的に文化一元論・・・・・・・・・の立場に立つ。人類文化の最も基本的な要素はある特定の一地域で発達し、それが世界の各地に伝播して、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それぞれの地に特色ある文明を成立させた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と考える。」(16頁)
 著者は、人類最古の文明は西アジア(シリア周辺)に発生し、西に伝わり(ヨーロッパ)東に向い(インド、中国)それぞれ文明になったと述べる。銅や鉄の発生もしかりと。したがってあちこちに簇簇と文明や発明が割拠して発生することの困難さを示す。模倣の強度さを強調しているのである(文明一元伝播論と文明特色発達論)。著書の1970年代にはまだ解明されていなかった人類の発生起源、その後の長期間の移動と拡散理論を予言していることになる。
 日本列島の辺境性、文物に現われている独自性や究極性といった特色は、どう考えたらよいのか。また文明の伝播の前後を、優劣の差と単純に見なすことも誤り、一方で過程を無視することの誤り。とくに日本と中国、朝鮮半島との関係の文明的意味。

(距離の評価)
 「概して言えば古代へ行くほど社会の動きが緩慢であり、現代に近付くほど変転が激しい。それにもかかわらず、我々には古代の緩慢な動きによってもそれが長時間かかれば達成できる大きな成果を無視してはならない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。また現代の急激な社会の動きの裏に、本当に人類全体のために有益な進歩が果してどれだけできたのかの評価を慎重に見極めなければならない。」
 西アジアと中国の中間に横たわる広大な空間の克服の説明も、「解決の鍵は時間・・・・・・・に外ならない」と述べる。
 シルクロードは、歴史からみて比較的最近の実例にすぎないということか。
 「第三に私が主張したいのは、歴史学はどこまでも事実の論理・・・・・の学問だということである。」(19頁)
 「我々が注意しなければならぬことは、事実を抽象して抽象語を造ると、その言葉は事実の裏付けなしでも、独り歩きし出す危険・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・のあることである。」(19頁)
 著者は、人間の頭の働きには大体二通りの方向があり、(1)言葉を重んじ、言葉と言葉による事実の抽象化と論理による展開の方向、(2)事実と事実との連絡、因果関係による網の目の地理的、時間的な論理を展開する方向、があると言う。
 抽象化の例として挙げているのは、「律令国家」という概念の独り歩き。日本のいわゆる律令国家の状態から、隋唐のそれ(これら王朝は以前からあった律令を引き継いでいるのだ)を逆に観念する危険について。
 著者は、戦時中の抽象語である皇道、神国、八紘一宇などの言葉の独り歩きも挙げる。最近では、周辺国との国際的な係争用語が例か。

(事実の論理)
 「具体的な事実ならば、地理的な横糸と、時間的な縦糸との交錯する座標軸の上に夫々の地位を与えて整理すれば、この事実の論理は混同したり、衝突したりすることがない。そして事実と事実とを結びつけて網の目を造り、これまで足りなかったところを補い、もつれていたり、間違っていた網の目をほどいて正常に戻す、それが歴史学だと思っている。」(21頁)
 「しかし、世間ではどうやら、こういう作業は歴史学の中でもいちばん下等な仕事だと見る人が多いようである。少くともそれだけでは理論にならず、思索性を欠くと思われがちのようである。しかし私の考えではこのような行き方こそ、歴史家の本筋であり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、歴史家でなければ出来ない仕事だと思って自ら安んじている。他人が何と思おうとそれは私に関係したことではない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」(21頁)
 この点についても、歴史家としての筆者の強いマニフェスト宣言である。なおヘーゲルの歴史哲学は、言葉による観念論と考えるべきではないだろう。

(時間と空間)
 「しかし私が世界史の座標に要求している縦の発展の時間の線も、横の平面の地理の線も、それらは数学の線であっては困るのである。」(22頁)
 「歴史上の座標軸になる線は、幅もあり、重さもあり、何よりも学者の個性が滲んでいるものでなければならぬ。他人からの借物でなく、学者自らが創作した線であるべき・・・・・・・・・・・・・・・だと考える。」(23頁)
 時代区分の仕方こそ歴史家の生命である、というような文章を以前どこかで読んだことがある。

(2015.8.13 記)