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1057号 「伝統の現在性」(西田幾多郎全集から その2)

2015年08月23日(日)

 「一寸話が横に外れるが伝統という事に就いて一言すると、普通に考へられて居る伝統は何か過去から直線的に伝って来たものと考へられる、つまり伝統に従うとはさういう過去に出来上ったものが有り、それに従ふことである、といわれる。が併し伝統とは現在を中心として過去と未来とが同時存在になる事である。即ち現在に於て過去が空間的に映され動いてゆく事である。一体歴史は過去から未来へ動く事と考へられているが、実は現在から過去を考へてゆくもので、伝統もそれに従って動いてゆくものである。この点に関するT・S・エリオットの考へはなかなか面白い。彼によれば伝統は過去のものでなく、現在に生きて働いてゆくもので、過去と未来とが現在で統一して働くことと考えて居る。それは何もせないものではあるが、それがなけれな現在を纏めて行くことの出来ぬものである。化学で或るものと他の或るものと化合する時、何か別のもの、触媒があると容易に化合する。それは何の働きもしないが、それがあると化合し易い、そういうものが伝統と考へられているが非常に面白いと思う。」(「日本文化の問題」京都大学月曜講義
昭和13年 西田幾多郎全集第13巻14頁)
 「歴史の成立には向ふ側に自然が置かれてゐのでは不可能である。向ふ側に立つものは汝でなければならない。既にmythologyやlegendに於ても自然は汝と見られてゐる。この様に表現的関係から歴史は成立するのであります。その様に過去は一つの汝でありますから、現在新しい芸術が成立することは汝としての過去が変る事である。過去は単に縦にあるのではなくて横にある、現在と同時にあるからであります。縦に過去から働くと云う事は横に世界が拡がる事である。」(「伝統主義に就て」昭和9年 258頁)
 「歴史を可能とする条件は超越的な伝統である。歴史の発端には迷信に類するmyth,legendのやうなものが表面に現はれてゐるであろうけれど、しかしその奥には深い超越的なものが、伝統として発展し得るものが蔵されてゐるのである。しかるに現在ではかかる深き伝統が破壊されてゐる。」(同上260頁)
 「而して歴史的実在といふものは伝統といふものなくして考へられない。伝統といふものは歴史的実在の構成原理と云ってよい。伝統といふのは単に主観的なものではない。科学といふものでも実は伝統なくして成立せない。さう考えれば古代のmythologyやlegendの中にも深い歴史的世界構成の意義が含まれている訳である。歴史的世界に於ては過去は過去ではない、過去未来がいつも現在に含まれて居る。」(同頁)

(2015.8.14 記)

 「存在するものはすべて歴史的である。しかして歴史的なものは身体的な限定を有している。歴史は行為と表現の二面を有つ。即ち歴史に於てあるものはすべて行為であり歴史家が解釈の対象とするものはすべて表現なのである。歴史はこの二面の結合である。」(「生と実在と論理」昭和7年 西田幾多郎全集第13巻153頁)

(2015.8.15 記)