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1049号 堀口大學全集(第6巻)―読書、外国語など

2015年07月14日(火)

 詩人で翻訳家、文化勲章をうけた堀口大學(1892-1981)という名前は知っていたが、その詩をよんだことはない。先日、NHKのラジオ番組(去年の録音)で、堀口すみれ子という堀口大學の息女の講演を偶然聴いた。日本の近代文学における立派な先人であることを知って、その著作の中から、むしろ中心となる詩歌・譯詩の巻ではなく、周辺の随想の巻の一部を読んでみた。
 この全集(第六巻)は昭和57年8月發行、平成元年再版となっていて、小澤書店(發行所)、長谷川郁夫(發行者)の努力によるものである。なぜか編集部分に用いられている活字が旧字体であり、また「しおり」が二本も付いている凝った装丁になっている。
 本巻の奥付の発行者名からようやく思い当たったのだが、この正月明けに読んだ新潮社出版の評伝「吉田健一」の著者だと気づいた。売りにくい本を何んとか苦労して出版したという長谷川氏の話がどこかに書かれてあったことを想い出した(1020号「吉田健三・茂・健一の三代」参照)。現にこの第6巻の月報には「堀口さんとヴァレリイ―吉田健一」が掲載されている。
 さて、堀口大學は明治25年に生まれており、母を4歳のときに亡くしたので祖母の手一つで育てられた。祖父は長岡藩士として26歳のとき戊辰の役で戦死したというから、森鷗外などとは一世代ちがっても、いわば江戸時代の精神による祖母の躾けを受けたと考えられる。
 この巻の最初には1933年3月16日付の『日記』が1日分だけ収録されている。文章は鷗外の日記ほど古典的ではないにしても、以下のとおり似たところがある。
 寒雨しきりにいたる・・・・・・・/出るころ・・雨やむ/母と妹とに・・分れ/旅が多いなど云はる・・・・・/来遊を約さる・・・/眺めたらん・・には/とかいふ藏造りの家に寄って小酌・・・・・/久々にて先生の温客に接し・・・・・歡盡きず・・・・/時餘にして・・・・・辭し/(傍点小生)

 『父と読書』という随想では、「父ほど疲れを知らない読書家を僕は知らない」という出だしである。堀口大學の父は九萬一という人で、帝国大学を出て三十余年間外交官を務め、子の大學も父の勤務地に従い、戦前にあって世界中で生活している。
 「朝夕必ず1回ずつされる散歩と三度の飯の間以外、父の手には常に書巻がある。これは病中はもとより、厠上枕上とも、変りはない。」
 「お疲れになりませんか?と訊ねると、『眼は疲れることはあるが、好きで読むのだから、神(しん)は疲れるものでない』と言われる。」
 「結果から言えば、多読ということにもなるが、父の読書の態度は、正に精読家というのであろう。随分くだらないと思われるような本にまで、一々、欄外にレジュメと批評を書入れして丹念に読んでいられる。一旦読み出したら、必ず最後まで読むことにしていられるらしく、『一度取り上げた本は最後まで読むのが読書の礼儀』だと言っていられる。」
 「『自分の読書は、主題をめぐる著者との闘いだ。』とも言っていられるが、それだけ父の手沢本をあとから読むのは興味がある。同感から賞讃、反対から罵倒、読過の際のあらゆる父の心の動きがありありと、赤と青の色鉛筆の縦横の線となり、克明な文字となって欄外に残されている。」
 堀口大學のこの父は、二百五十頁のアンドレ・ヴィオリス「日本の内面」(こういう書物が今でも残っているのかはわからない)を一週間たらずで読んでいたらしい。その中の日本の道徳の章で、「日本の道徳ノ本ハ左ノ川柳善ク之ヲ言ヒ尽ス、腹を切る事も教へて可愛がり」という書き入れがあったという。
 「父は今年七十六歳になられた。今日も書斎のテーブルを前に、端然と書に対していられる。『近頃は、眼が疲れるので、夜分は専ら漢籍を読むことにしている。これは字が大きいのでよい。』と、先日洩らされた。『天よ父の明を守れ!』この祈りを捧げて、子は筆を擱く。」この文は1940年のものであるから著者は48歳であり、よき父にしてよき子、つまり父子鷹なり。
 『私と外国語』(1962年)は、フランス文学のとくに詩の翻訳家であった堀口大學の外国語学習の体験談である。外国にいる父からの命令で、祖母が見つけてきた地元(越後長岡)の教会牧師の夫妻に、小学入学時(明治31年)から中学入学まで6年間、この大學少年は一対一で「毎日1時間ずつレッスンをとり」、リーダーと会話を中心に習った。いやいやながらもこのレッスンによって「年数をかければやはり進歩するとみえ」、中学入学時には中学卒業くらいの学力がついていたようだ。中学時代はさっぱり勉強をしなかったので、中学5年間は楽であったが、その間実力はさっぱり変わらなかったらしいのである。この話は現代の英語教育の参考になると思われる。それにしても、明治の一地方にあって誠にうらやましい限りの体験記である。
 そして『勇気あることば』(1966年)。「僕のような平和な現代人にとって、勇気とは一体、どのようなものであろうか。」、「僕としては、勇気を、武勇などとは無関係な、人間の魂に宿る高貴な能力のひとつだと考えたいのである。」、「自分の不利や、生命の危険を度外視して、やむにやまれぬ正義感から発せられることばだけが、勇気あることばの名にふさわしいのだ。そのためだと思うが、今日、僕らの平和な市民の生活にあって、勇気あることばは極めて稀れ、めったに耳にしない。」
 大學という名も珍しいが(いわれがある)、お子さんのすみれ子というのも子がついていて(このことについてはラジオで感想が述べられている)珍しい。

(2015.7.5 記)