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イッセイエッセイ

1036号 繰り返すこと

2015年03月25日(水)

 人間は何んでも初めてのことを自由自在にうまくこなすことはできない。まして沢山のことを何んでもできることなど、才能があったとしてもむずかしい。その度ごとに新しい異なったことを巧くできるようには人間は作られていない。
 セザンヌが自分の住んでいた村から遠望した聖なる山陵を繰り返し描いたことは、理由があることであって、格別に画家の固執的な態度によるものではない。芸術家として自然な仕事の仕方であったと思われる。描くものが同じ対象であっても絶えず日々に変化しているのである。同じものであるがために、かえって完全に描き切るまで一生を費やすことになったと思える。あるいは元々同じものという観念は存在しないのかも知れない。
 幸せあるいは幸福というものが、一体どういうものなのか。それを感じる感じないということは、どういうことなのか。
 幸せと言っても目新しいことではなく、小さな良い事や当り前の事の集まりであり、意外とそれらの積み重ねなのかも知れない。そうしたことを繰り返すことができる土台があるかが、幸せの存在理由かと思ったりする。
 国内外から刻々と集まる新聞やテレビのニュースは耳目を驚かすことはあっても、これらは一種の大騒ぎや祭りであって、良くも悪くも幸福とは対極にあるものである。
 芭蕉の「おくのほそ道」の冒頭部分には、馬の口とらへて老をむかふるものは、日々旅にして旅を栖とす、と書かれている。こうして同じことが繰り返され、旅のような人生が送れる世界こそ、ありふれてはいても幸せのすむところなのかと思う。

(2015.3.23 記)