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イッセイエッセイ

1032号 元気、希望、勇気

2015年03月02日(月)

 新渡戸稲造全集(第七巻)には「修養」と「自警」という、当時、全国の青年層をはじめ広く人々に親しまれたベストセラーの二つの書物が収められている。
 巻末の解説(武田清子)によると、やさしく誰にでもわかるような表現で書かれているけれども、決してだらだらと常識談議を述べたような書物、と理解すべきものではない。著者はキリスト教の人間観に立ちながらも、それを表面に出さずに、日本の精神的土壌に合った説き方をした啓蒙書だということである。
 出版された頃の時代背景としては、日露戦争後の家族国家観に基づいた思想状況の下で修身教科書(明治43年)が編纂されて国民道徳運動が活発化する一方、自然主義、人道主義(白樺派)、新カント派など、いわゆる大正ヒューマニズム運動が起ってくる。新渡戸稲造はそうした対立の中で独自の修養的思想を展開したと解説されている。
 本巻は700頁に近い大部のものであるが、目次をみて関心が向き読んでみたところを以下に記す。
 『青年は元気を貯蓄せよ』(44頁~)
 「青年の特性として挙ぐべきことは、元気(エネルギー)に富むことである。…青年は常に将来に為すべき多大の希望抱負を持って居る。之を遂げて目的に達せんとすれば、元気即ち勇気の必要が起ってくる。…金銭を失った者は、再び働いて得らるゝことがある。名誉のそこなはれた者は、謹慎に依って恢復さるゝ時がある。併し勇気の失はれた者は再びつの時がないとゲーテが教へた。勇気は老人をも若がへらしむ、七度倒れて八度起上るといふ、勇気ある人は即ち将来ある人である。元気は斯の如く大切である。……」

 「元気」とはエネルギーに富むことであり、元気な青年は多大な「希望」抱負を持っており、これを遂げて目的を達するには「元気」すなわち「勇気」の必要が起ってくると述べる(著者は具体例をあげて論じているが略す)。新渡戸稲造にとっては、元気、希望、勇気という心情は、同義語に近い精神上の類似語として観念されている。
 この中でとくに「勇気」に関しては、『勇気の修養』(112頁)という特別の章を設けて論じている。
 「或程度までの勇氣は誰にでも修養され、又することが必要であると信ずる」
 「第一に勇気の修養に必要な心得は『正を守りて怖るゝこと勿れ』(Be just and fear not)といふシェークスピアの名言を守ることが大切である。『正を守る』と云ふことは勇気の根本で、『怖る勿れ』は即ち勇気である。正を守ることは勇気修養の最大条件で、正義に基礎を置かない勇気は匹夫の勇である」

(2015.2.22 記)

 紹介した武田清子の解説の中に、新カント派―19世紀後半カントの批判哲学を復興させようとしたドイツを中心とした学派―という名前が出ているが、この哲学者カントが著した「道徳哲学」(1797年)という本では、「勇気」について次のような哲学的厳格さを持った定義が行われている。
 「强いが併し不正な敵に抵抗する能力及び熟考された決意は勇気・・(fortitudo)であり、われわれのうちなる・・・・・・・・・道德的心情の敵に關するものとすれば、徳(virtus道德的强さ)である」(21頁 岩波文庫から)
 「悪德は法則に反せる心情の仔であり、人が實にそれと戰わねばならない怪物である。それ故この道德的な强さこそ實に(道德的力)として、人間の最大にして唯一の眞實な武勳を形成している。それは叉本來の、卽ち實踐上の智慧・・とも名づけられる、何となればそれは地上に於ける人間存在の究極目的・・・・を自己の究極目的となすのだから。--かかる强さを有すればこそ人間は自由であり、健全であり、豐かであり、王者である等々、そして偶然によっても運命によっても損われ得ないのである。」(57頁 同上)

(2015.2.24 記)

 カントは「勇気」の本当の意味は、内なる心の敵と戦う強さのことであると、厳密な形式で述べているが、一般常識的には外なる敵との戦い(その意味は広いだろう)における強さも、哲学的には付随的であっても、「勇気」の範囲と考えてよいであろう。

 『眠られぬ夜のために』中において、カール・ヒルティは、「勇気」について次のように語っている(6月15日付)。
 「勇気は、あらゆる純人間的な性質のなかで最も有用なものである。普通、勇気はほんの短い期間だけ必要なものであって、そうすれば、事情が前よりよくなる。しかし、たちまち過ぎさってしまう重大な瞬間に勇気を失うならば、そのために一生の努力も水の泡となることがある。したがって、およそどんなことがあっても・・・・・・・・・・勇気をすててはならない・・・・。」
 また「勇気」の意味をわかりやすく次のようにも説明する。
 「勇気は、つねにいくらか努力すればしばらく持ちつづけられる一種の気分・・であり、やがてそのうちに助けも与えられ、事情が好転することになる。戦争においてもその通りである。人生は戦争とよく似たところがあって、同じような戦術的原理に従っていとなまれるものである。」

 ヒルティは「スイスの聖者」あるいは「現代の預言者」として広く仰がれた思想家、歴史家、政治家であり、実際家としても知られている。そしてこの「勇気」の問題については、ヒルティは読者に向って宗教的な表現をとらずに、決して難しい心構えでないということを強調するために、瞬間的に保持すべき気分であると譬えて述べているようだ。

(2015.2.28 記)