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イッセイエッセイ

1025号 演技と英語

2015年02月11日(水)

 英語を話すための学習は演劇に似たところがある、と数年前エッセイに書いたことがある(784号「英語学習と演劇と運転」2013.3)。この趣旨のことを高校生と直接話し合ったこともある(2014年6月藤島高2年生と)。その後去年の12月には同じクラスを再び訪問して、生徒に英文を読んでもらったとき一層そういう考え方を痛感した。
 そして今晩、吉田健一著作集 第九巻(昭和54年集英社)を読んでいて、次の文章に出会い味方を得たような気になり意を強くしたのである。

 「ヨオロッパ人は劇場でない場所にゐる素人でも絕えず演技してゐると言へる。それはヨオロッパ各國の言語がさういふ構造を持ってゐるからとも考えられるので、リズムが一言一句を貫き、抑揚が强い英語やフランス語、或はその他、スペイン語でもドイツ語でも構はないが、要するに、あのやうな言葉を喋ってゐれば、身振りをして見せなくても舞臺の上で芝居をしてゐるやうな結果になる。」(本巻所収「チャアチルと沙翁の臺詞」)

 吉田健一が言うように、日本語はお経を読む時の発声法に通じており、演説的、劇的ではなく、唱える(歌う)ことに適した国語であるということであるから、英語を話すことを学ぶ際には、日本語とは逆にことさら俳優の真似をすべきなのであって、自己とは別の人格をもう一人創った上で学習にかからなければ始まらない。
 シンガポール陥落を、下院でチャアチルが報告したものとして演説(以下)を引用し、英語だから見得を切っているような堂々たる雄弁になるのであって、もし日本語ならば、声涙ともに下ると言った型のしんみりした口調の演説になるであろうと著者は述べる。
 We have suffered a defeat, an imperial defeat, Singapore has fallen…….(一種の無韻詩形の演説になっている)

(2015.2.7 記)