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イッセイエッセイ

1013号 わが心ここにあらず

2014年12月21日(日)

 考えごとをしながら別のことに気をとられていると、現にいま行っていることが疎かになったり、間違いをする。
 今朝のこと洗面所で他の事を考えていたので、つい一番近くの電気スイッチに手が伸びてしまい、隣の風呂場のスイッチを押したのである。そして洗面所が依然暗いままなので、電灯が切れたのかと勘違いをした。また昨晩はのんびり浴槽につかって、何かを考えながら数分が過ぎた。我に返って普通の感覚に戻ったのだが、お湯の中にいたことも、湯にどの位つかっていたのかも、全く記憶から無くて自分で驚いてしまった。
 我が心が現実世界を欠席している状態は、全て物事に集中していないということであるから、放心のまま心と体が遠くの場所に旅しているようなものである。心の緊張緩和には多少良いのかもしれないが、目的をもった行動ではないのでやや不都合な精神ということになる。
 以上のような現実遊離の心的状況が、もっと日常を超えたスケールの中でも起ることがあると想像することは決しておかしくない仮定である。失われた何十年とか言うのも、国民多数が十分気づかずに集団的放心を起した長期の例ではなかろうか。正気にもどるにも年月を要する。
 最近出版された「吉田健一」(長谷川郁夫著 新潮社)という評伝には、日米開戦に突入するわが国の国家首脳部を支配した時代の空気、また一般の国民の中にも来たるべき時が来たという安堵のような感覚、文学者も頭上から西欧がとり払われたような印象をもって感激する様子などが描かれている。(同書185~191頁から)。

(2014.12.6 初雪の日 記)

 今朝の毎日新聞に野坂昭如さんが、日米開戦時であった73年前と今と一体どこが違うのかという内容で「七転び八起き」という文章を書いている。
 「ぼくが、くどくど戦争について喋るのは73年前の12月8日、真珠湾攻撃に喜んだ世間と、今の日本人、どこが違うのか。戦争はしない、戦争は嫌だというのはまことに結構だが、人間というものは人間を差別する。また、国家というものは、自らを守るため、戦争という手段にも応じる。戦争について考えることがなければ戦争をしないという覚悟は生まれない。」、「ぼくは若い人にこそ戦争を知ってほしい。当時の最高指導者達は、戦争というものを知らなかった。・・・だが戦争を知らず、人間を知らなかった。当時の最高指導者達と今の連中、その仕組み、体質、ほぼ変わりはない。戦争を考えることは、人間というものを考えることに他ならない」と述べる。

(2014.12.9 記)