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イッセイエッセイ

1006号 アダム・スミスの方法(985号参照)

2014年10月29日(水)

 世界史の教科書に出てくるような著名な思想家の代表作を読むとき、現代のわれわれは幾らかの違和感とごく僅かの共感をおぼえながら、おおむね退屈を感じることが多い。これはもう偉人の思考がわれわれの常識に完全に入り込んでしまっており、当時との気風の違いだけが目立って冗漫な文体になかなかついて行けないことに原因があると思われる。アダム・スミスの「国富論」などはそうしたタイプの著作の代表であり、何度か読むことに挑戦しても、最後までは行き着けない。
 今回はこの「国富論」を読んだのではなく、アダム・スミスの思想を中心にした伝記、ニコラス・フィリップソン著「アダム・スミスとその時代」(2010年)を通読したのである。
 この伝記は偉人の姿をエピソードを混えて生々と描くといった調子の伝記ではない。著者はスコットランドの啓蒙思想の大家らしく、スミスの残した各種のテキストを主な資料にしながら、記述は節度をもった厳密さを守り、やや地味な印象を与える伝記になっている。さりとて詰らない本では決してない。
 以下、この伝記の中から感じた部分を、便宜表題を付して抜く。

(「国富論」の同時代的な性格)
 …『国富論』も大元のところは、『道徳感情論』や執筆に利用した講義と同じように、同時代の人に向けて、自分と自分が相手にすべき人の人生を道徳・政治・知性の面からうまく御するように呼びかけたものであるからだ。歴史家が『国富論』を読む際は、こうした文脈に位置づけなければならない。そのほかの読み方は、スミスの信奉者なり批判者なりに任せておけばよい。
(第11章313頁、本書の伝記の書き方は、できるだけその時代に合わせて偉人を理解しようとする方法論である―小生)

(A・スミスの考え方の特徴)
 …ひょっとしたら、スミスの人生と思想において一番変わらない特徴とは、謙虚さだったのかもしれない。その対象範囲の広さや志の高さ、大胆不敵さにもかかわらず、彼の思想というのは、単純で一見大したことのないような・・・・・・・・・・・・・・・・人間本性の特徴―すべての条件を同じとした場合に、自分自身や家族、自分の属する社会が置かれている境遇をよくしようとする、われわれの欲望―について省察するところから始める、そんなひとりの控えめな人間が作ったものなのである。それは日雇い労働者も貴族も、出世を目指す若者も賢人も為政者も、みながもっている性向である。この性向から、慎慮ある一般市民は、千年王国じみた新たな天地創造を目論むよりも、生活や公共の事案への対処において小さな改善を少しずつ進めていくことを大切にするよう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・教えられる。この性向は、欠乏を抱える種の個体に自然に備わったものであり、その物静かで地味な力は、物質・精神・知性における人類のめざましい成長と、文明の進歩によって証明されることになる。…
(第13章エディンバラでの晩年367頁、傍点小生。 アダム・スミスの思考は言葉の本来の意味での保守主義である。現実から観念的に遊離しようとしない―小生)

(「道徳感情論」のエッセンス―利己愛を洗練させただけのものではない)
 …スミスにしてみれば形而上学者がなんと言っていようと、日常生活において重要なのは、…内面の道徳感覚の導きに従っていると思われる人を判断するときは、周囲の人間の考えに合せていると思われる人を判断する場合とまったく違うということである。…前者を原理に従って物事を行う者と見なし、後者はたんに他人の顰蹙を買わないように振る舞っているだけだと見なす。…さらにわれわれが自分の内面の声に従った場合も、自分のことを、大勢の意見に従った場合とはまったく違ったふうに考える・・・・・・・・・・・・・のである。…倫理的に難しい状況に対するこのような応じ方を、スミスは読者の誰しもわが身のことのように認識することとして提示・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・しており、そうであるからこそ、人間本性の「自然な」特徴として扱ってもかまわないのである。さらに、これは社会化の過程や市民社会におけるモラル・エコノミーの機能を理解しようとするうえで欠かせない特徴でもあった。…
(第13章359-360頁、傍点小生。 この今ではごく当り前の人間哲学は、それ以前の真理が神から由来するという考え方があったからこそ当り前ではなかったのだろう―小生)

(「国富論」のアダム・スミスの言葉とみられる箇所の引用部分)
 …啓蒙思想の名言、すなわち「科学は狂信や盲信という毒に対する偉大な解毒剤である」ことや、よい教育を受けた者は優れた市民になることを心得ていた。…
(第11章308頁、科学の形而上学に対する優位性をのべたものか―小生)
 …「地域や地方の収入を地域や地方の手によって管理する際に、ときとして密かに悪弊が入り込むことがあるが、それがどれほど巨大に思えても、実際には、大帝国の収入の管理と支出においてごく普通に行われている悪弊に比べれば、必ずといっていいほど、些細きわまりないものである。そのうえ、是正もはるかに容易である。」
(第11章307頁、アダム・スミスによる地方自治の支持論である―小生)

(「国富論」における対立項―都市と地方、製造業と農業、封建と近代国家)
 …スミスはもはや、ヨーロッパにおける豊かさの進歩について、本来の・・・あり方と実際の・・・あり方とを対比できるところまで来ていた。議論の焦点となったのは、田舎カントリー都市タウンとの経済的な関係である。当時の人びとは、都市が田舎から自然資源を吸い取っていると考えていたのだが、それに対してスミスは、本来の両者の関係は互恵的なもので、田舎は都市の経済が依存する生活物資や原材料の供給源であり、都市は田舎にとって産品を売る市場、そして製造品や農業への投資にも向けられる資本の供給源である、と応じた。「それなりの規模がある都市近郊の土地の耕作を、ある程度離れた土地の耕作と比べてみれば、田舎が都市の商業からどれほど恩恵を受けているのか、容易に納得できるだろう」。間違いなくグラスゴー
(拙注―スミスの没年の頃人口8万人程度の都市)の例を念頭におきながら、スミスはそう述べている。というのも、突きつめれば「都市の住民と田舎の住民は、互いに役立っている」からだ。(第11章294-295頁、傍点・ふりがなは原書。 地方と都市との関係についてのA・スミス的な理解を現代ではどう扱うべきか。新自由主義、都市によるトリクルダウン論は、スミスと同系統の思考を無反省に引きずっているように思える―小生)
 …「事物の自然の成り行きに従えば、成長を続ける国の資本の大半はどこでも、まず農業に向けられ、そのあと製造業に、そして一番最後に外国貿易に向けられる。この順序はきわめて自然なもので、いくらか領土をもつ社会ならばどこであれ、ある程度は必ず従ってきたと考えられる」。厄介なのは、その順序がどういうわけか逆転してしまったことだ。つまり、西洋で起きた農業改良の大部分を生み出したのは製造業と外国貿易のほうで、そうした商業本位の体制は「この不自然で逆行的な順序」の所産だったのである。
(第11章295頁、日本は明治維新までに農業革新が終っており「正常」か―小生)
 …スミスにとって、豊かさの進歩の遅れや、事物の本来の順序が逆になっていることの根本原因は、封建制だった。…封建的な農業の旧式さや貴族からの支配力によって、小規模な都市やその周辺の地域は経済的にも政治的にも発展が遅れたのに対し、奢侈品の海外貿易は、貴族の力の伸張を抑えたいが資金繰りに窮している君主によって奨励され、それにより海岸沿いの都市には、近隣の地方に投資する資金をもった「一種の独立共和国」として発展するものも出てきた。…農業改良の結果・・となるはずだった商工業が、農業改良を促す「原因でありきっかけ」になってしまったのである。こうした進展を、スミスは封建国家における経済成長を全面的に阻害し、経済成長の促進に海外貿易が果たす役割についてひどい勘違いを起こしたものだと考えた。
(第11章295-296頁)

(スミス教授の講義の方法)
 …講義の手法として、スミスは入念に作り込まれた前回の要約から毎回の講義を始めていた。また、古いやり方にも頼っており、後年になって次のように思い返している。「学期中、平凡だが表情豊かな生徒がひとりいて、彼の存在は自分の講義がうまくいっているのか判じるのにとても役立った。彼は柱の前に座っていたので目につきやすく、私は常に彼を目に留めておいた。彼が前のめりになって聞いていればすべてうまくいっている証拠で、教室全体が話に耳を傾けていると分った。彼が無関心そうに後ろに寄りかかっていたら、これではまったく駄目だと即座に察知し、話題そのものか話し方のいずれかを変えなければならないと思った」。この回想からも分かるように、スミスが講師として成功した理由の多くは、学生たちのことが好きだったという事実によるものだ。
(第6章グラスゴー大学道徳哲学教授  181頁 講義で前回分のまとめをして始めることは重要な点だ―小生)
 …だがスミスにとっては、想像力と体系への志向は、人間を絶滅から救い進歩を可能にしてきた、もっとも強力な二大資源だったのである。突きつめると、この両者は安全、徳、幸福を左右する能力なのだ。
(第5章スミスのエディンバラ講義 155頁)
 …彼にとって必要だったのはニュートン的な分析で、これを用いれば「すでに知られているか、初めに証明されたさまざまの原理を提示したうえで、そこからさまざまな現象をすべて同じ鎖によって繋いで、説明することもできる」。このニュートンの方法は「道徳哲学であれ自然哲学などであれ、あらゆる学問において疑いもなく哲学的」であり、もっとも「魅力ある」方法であった。
(第5章138頁)

(小さな町に対するスミスの注目)
 …『国富論』のなかでスミスは、商業国家の各地域で商業と文化が形成される場合に、小さな町が果たす役割に着目している。小さな町は「休みのない定期市ないし市場」であり、一般市民はそこで公正な価格や賃金の意味を知ることができ、やがて自由と秩序の意味に関してより一般的な事実を認識し始める。スミスはまた、田舎の経済を改善していくうえで、賢慮と聡明さをもち独立不羈のジェントルマンがいかに重要であるかも知っていた。
(第1章カーコーディでの生い立ち 36頁)

(2014.10.22 抜記)