【ISSEIエッセイ】

 

・・・・書感−森銑三著作集(続編第14巻)「読書日記」・・・・


 金田一京助(1882〜1971)が当時(昭和8年)書いた「民衆のことば」をとりあげて、銑三は彼に同感の意を示している。金田一は「民衆によって自然にできた言葉にはよいものが多く、知識階級によって故意に造られたものには毎度うんざりさせられる」と言い、前者の例に「めがね、むしめがね、とほめがね、吊橋、反橋、ふみきり」、後者の例に「陸橋、跨線橋、硬筆練習帳、遊動円木」を挙げているのである。銑三の感覚としては、「民衆」ではなく「大衆」という語はあまり快い言葉ではなく、また「結婚解消」というのも、こなれない新語だったようである。また「とても巧い」とか、「断然いい」とか言うのは多少の愛嬌があると述べている。「待望」という言葉は、現在は普通に使われるが、当時としては現代流行の言葉のようだと述べている。(昭和8年5月)
 また某書から次のように紹介している。(中国の人達は)「物に名を命ずること巧みなり。トコロテンを水晶鱠といふ、いかにも美し。赤トンボを赤衣使者などいふもをかし。掃晴娘のテリテリバウヅなることは奎堂(注 幕末志士の松本奎堂)の詩にも見ゆ。花豹子は何かと思ひしに、こは美男の悪漢のことにてありし」(昭和8年6月)
 「淡窓たんそう詩話」からの引用として以下のごとし。
 「詩文を作る者、遅にして速なること能はざるものは鈍才なり。速にして遅なること能はざるものは粗才なり。鈍才教ふべし、粗才教ふべからす矣。」(昭和8年9月)
 「詩を作ることを好んで古詩を読むことを好まず。故に之を読むと雖も其味を知らず。」(昭和8年10月)
又、次のような感想あり。
 「安井息軒そっけんの『時務一隅』を読む。吏員はその数を減じて、その俸を増すべし。実績却って挙がるべしといへる、卓説なり。人のために仕事を作り、仕事徒らに多しとて、何れの方面にも徹底を欠けるが、現今の状態ならずやと思はる。冗事を省きて、最も主要なる事業に力を注ぎたし。」(昭和8年10月)

('05.12記、'06.1出)


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