日記ブログ
 

2008年
●7月
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333号  墨守か墨攻か

 前五世紀頃の春秋時代の諸子百家の一つである「墨家」の思想は、ふつう教科書には、儒家を批判して、氏族や身分にとらわれない無差別な愛(兼愛)と相互扶助(交利)を説き、戦争を否定し平和を主張した(非攻)、と解説されている。
 これだけみると墨子とその門弟の思想は、ラジカルであり近代的な社会観にもっとも近い。博愛的なキリスト教にかぎりなく類似して見える。
 最近、子供の本棚にあった「墨攻」という小説(酒見賢一著)を読んだ。
 墨家がよく城を守った故事から、自説を固執する「墨守」という言葉が生まれたのは周知のことである。このフィクションは、二万人をこえる趙の軍勢から、たった一人の才覚で千五百人たらずの梁の城邑と小城を守ろうとした墨家の「革離」という人物の八面六臂の活躍とその最後を描いたものだ。
 この物語によると墨子教団は、非攻の説を口先だけで終らせないために、一種の傭兵部隊ないし技術屋集団の性格を備え、諸国の求めに応じ、ほとんど無報酬で身をもって大国の侵略を挫いて見せたとある。決して好戦的ではないが守戦を旨とした戦術家達であり、アルキメデス的、デヴィー・クロケット的、七人の侍的なのである。
 主人公は粗衣に縄の帯、頭を青く剃上げた乞食にも似た異様な風体をしており、南伸坊の何枚かの挿画は、小説の文体とよく合っている。
 (「墨攻」平成三年、酒見賢一著。平成六年新潮文庫)
(‘08.7.21記)