| 「経済成長」という学問用語を日本で初めて使ったのは高田保馬編「経済成長の研究」(1954年、昭和29年)だそうだ(「高度成長」武田晴人2008年4月岩波新書)。
この成長なる用語が経済学で使えるためには、経済の発展を単なる「鉱工業生産」や「物価」の伸びだけでとらえていては不可能である。国民経済を大きな総量としてまとめて経済計算するという観念と、統計的手法とがそろわないと、この言葉は成立しないことは明らかだ。
そして1956年のもはや戦後ではないの「経済白書」において、はじめて公式に「成長率」という用語が使われる。
先月、中国に出張した際に、会って話した人達から、国や省のGDPの金額の大きさや伸率のことを何度も聞くことになり、昔なつかしい気持になった。これは経済成長そのものに深い関心を示すその国の時代用語である。
また、高度成長による農家労働力の農外への流出は、1965年頃までは離村型が多かったが、「それ以後になると地方都市などでも就業機会が増加したためか、過半が農家から『通勤』するものとなり、農家の兼業化が進んだ」(上記 172頁)、いわゆる「三ちゃん農業」の出現である。
米の消費量は国民一人当りのピークが62年、生産量も63年がピーク。そして、日本の貿易は黒字基調となり、外貨制約から自由となる67年は、時代の変り目の年であった。米の需給が逆転し転作が求められるようになる。60年代の終りは「貧農層」は基本的に消失するが、これは兼業収入の増加によるものであって、時間当りの都市と農村の所得格差はむしろ増大している。以上のような日本経済の現代史がこの本からわかる(同174頁「過疎のなかの農村」)。
この1960年代末は、我々の世代がちょうど社会に出た時代である。その当時、自分は広島県で農業関係の予算担当をしていたが、島嶼部へのかんがい農業用水の供給事業や土地改良事業などをせっせとやっていた時代である。米価の生産価格と消費価格の逆ザヤも政治問題化していた。
当時との大きな時代差を要約すれば、40年前には今のようなさまざまな社会制約がなかった時代であるということだ。財政赤字、人口減少、地球環境問題、グローバル化などが全く考えられなかった時代だということである。
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